何か問題が起きたとき

それを改善したいとき



原因を探って

何が悪かったのか

誰が悪かったのか



考えると思います。



その原因を治せば

事態は良くなると思うから。



だけどそれって

犯人探しですよね。




私は子どもの頃



両親が大好きで

両親みたいな家族を作りたい

両親みたいな夫婦になりたいと

そう思っていました。



母親に憧れて

母みたいな

明るくて、可愛くて

父からも、みんなからも愛される人に

私もなりたいと思いながら育ちました。



もう随分と小さい頃から

無意識に、習慣のように

母と自分を比べて



お母さんは友達が沢山いるのに

私にはいない



お母さんは明るいのに

私は暗い



とコンプレックスをつのらせ

大人になってからも



お母さんはお父さんに愛されているのに

私は夫にあんな風に愛されてない



と、他の誰も責められないから

自分を責めていました。



私が悪いんだよねと。

暗い私が悪い

愛されないのは

私に原因があるからだと。



誰も私を責めていないのに

私は私を責め続けた。

自ら自己肯定感を叩きつぶしていたのです。



毒親に苦しむ子どもは多いけど

優しい両親のもとに生まれても

どういう訳かひねくれる

私のような子もいます笑




だけど

私は母の一部分しか見ていなかったし

きっと良いところにフォーカスして

美化して見ていたし



私は私の一部分しか見ていなくて

きっと苦手なことにフォーカスして

悪いように見ていた。



相手の長所と

自分の短所を比べたら

そりゃ凹むの当たり前だし



短所を補うようにある

自分の長所も見えてないし



ヘイヘイヘイ!

視界が狭すぎるよ!

一歩二歩、引きで見てごらん?

色んな角度から見てご覧?

あなたにはお母さんと違う魅力が沢山あるし

お父さんと違う方法で

愛されているよ!



今なら自分に言ってあげられるのです。



悪い人なんかどこにも居なくて



誰かに嫌なことを言われたとしても

その誰かは

自分の思い込みのコンプレックスに傷ついて

その傷が痛くて痛くて

拗ねて、むくれて

誰かにイヤミのひとつでも

言いたくなっていただけかもしれない。



怒る人は

基本、傷付いている人だし



問題行動の裏側には

その理由が必ずあって

職場の嫌な人も

裏で苦しんでいたりするものです。



争いごとも

善者と悪者がいるのではなく



正義と

違う正義のぶつかり合いだと

聞いたことがあるでしょう。



悪者探しをすると

悪者を見つけ出すと

そいつを叩きたくなるのは

きっとヒトという動物の

とても原始的な習性なのでしょう。



何かに帰属しなければ

生きてこれなかった

悪者はグループから排除しなければ

安全地帯を守ることが出来なかった

だから

自動的に善と悪とをジャッジして

悪だと思う方を叩くように

潜在意識に組み込まれている。



無意識でやってしまうことには

注意が必要です。



起きている事の裏側まで見ることが出来たら

悪なんてないことがわかる。



だから

起きていることの表面だけ見て

そこから悪者探しをしたって

なんの意味もない。



誰かを叩くか

自分を叩くかの

原始的な反応しか出来ない。



悪者など居ないのです。

みんな自分を守るために

必死なだけなんです。