つづき

 

母が倒れてから5年ほど

 

私は

父の家と母の病院と

適度に回りながら

自身の不妊治療にも通っていた

 

何もかもがうまくいかない

モヤモヤしていた時期だった

 

父の生活は昼夜逆転しており

昼間行っても寝ていることが増えた

ヘルパーさんも

「息してるか確かめちゃった」

とか言うくらい寝ていることが多かった

 

具合が悪くて寝ているのか

酔って寝ているのかわからない

 

そんなある日

父が火事を起こした

 

ある朝、父のアパートの大家さんから電話があり

「お父さんの家が火事!」

 

慌てて家を飛び出した

消防車が数台、救急車、パトカー

狭い道に連なって止まり

人だかりができていた

 

父は担架に乗せられて

何やら喚いていた

 

明らかに酔っている。。。。

 

アホ、バカ、カス!

心の中で呪詛を吐いた

 

出火が発見されてすぐ

近所の人が消火してくれたらしい

幸い一室を焼いただけで済んだ

 

父は煙を吸っていたが

床にうつぶせで倒れていたため

多くは吸いこまずに済んだ

足に軽い火傷を負っていた

 

 

父は台所が燃えていたと証言したらしいが

実際に燃えていたのは

父が寝ていた部屋で

電気ストーブの上にカーテンがかかって

火がついたと思われる

 

憶測でしかないが

父がベッドから立ち上がった際に

よろけてすぐそばのカーテンにしがみついたのではないか

重さでカーテンが外れて垂れ下がり

電気ストーブに被さったのではないか

 

カーテンレールが垂れ下がっていたことと

カーテンがほとんど燃え落ちていたことから

後日消防が判断した

 

 

父が運ばれた病院では

一通り検査が行われ

「ひどい糖尿病なのでインシュリンを打ちます」

と告げられた

 

警察からは

「もう一人暮らしはさせないでください」

と言われた

 

 

父は病院で度々問題を起こした

何度も婦長さんに呼び出され

「ご家族から注意して下さい」

と注意を受けた

 

そんなことができるくらいならとっくにしてる

と思いつつ

ひたすら謝るしかない

 

あるとき

よく相談に乗ってくれる看護師さんがいて

その人に泣きながら

「人に迷惑かけるのが辛い」

と言ったら

 

「みんな、誰だって迷惑かけて生きてるじゃん!」

 

「迷惑かけないで生きるなんてムリ」

 

そう返された

 

その時は

こんなことぐじぐじ相談するなって怒られたのかと

思っていたんだけど

今思えば

大したことじゃないって言われていたんだね

 

患者さんにはもっとひどい人や

めちゃくちゃな人がいると思う

看護師さんはそういう人たちと毎日関わっているけど

割り切らないときっとやっていけない

 

婦長さんも仕事だから注意して来るけど

父が言うこと聞かないのもわかっていると思う

 

30そこそこの娘が一人で背負っていることも

父を押さえきれないだろうことも

きっとみんなわかっている

 

わかっているけど

他人はそれを背負うことはできない

 

私と父の問題は

私と父との間で解決するしかない

もっと言うなら

問題としている私自身が解決するしかない

 

現に

同じ家族でも

兄は問題にはしていなかった

直接言われていないせいもあるけど

兄にいくら訴えても

兄が”問題”にしているようには見えなかった

 

という話は

心屋を知った今だから思える話で

当時は問題を共有しない兄に

怒りを抱いていたんだけどね

 

 

やっとここで

ぢんさんのブログに繋がった!

(この回想録の発端はここ)

 

今だから言うけど

 

本当は私

父が迷惑かけてるとは思っていなかったんだ

 

病院のルールでは確かに迷惑なんだけど

普通に暮らしていたら

個人の自由

 

父には自由に生きてくれてよかったんだけど

それでも

社会で生きるってことは

一人じゃないし

多数決で多数が勝つってことだし

 

父は生きづらかったんだろうなぁ

 

私も生きづらかった

 

 

人が怖い

人の目が怖い

その原点は

自分の自信の無さもあるけど

こういうところからかもしれないなぁ

 

なんか

中途半端だけど

これにて

介護編の回想録はおわり

 

その後をざっくり言うと

 

父は糖尿で足先が壊死して片足を太ももから切断

最期は肺がんで亡くなった

私と兄に看取られながら病院で

 

 

母は途中から寝たきりになって

いつも朦朧としていて

それでも父より3年長く生きた

母は看取らせてくれなかった

 

前の晩泊って付き添ったのに

一旦家に帰ったその間に

一人で逝っちゃった

 

倒れてから14年

さんざん介護したのに

見送らせてくれなかった

 

思い返せば

親との大事な時間だったのかもねぇ

 

父が亡くなる前に

私はどうしても父を許したくて

恨んだままにしたくなくて

スピリチュアルなことを

勉強したんだよなぁ

 

 

長々お付き合い

ありがとうございましたm(__)m