種を越えた運命
今、「私」と一緒に暮らしている2匹の猫MewとVoyage割と最近まで「私の猫」という捉え方をしていた全ては元々同じ存在であり、「無」から生まれた「全て」という感覚も理解しながら、一緒に居る猫への「愛着」がそう思わせていたのだろう、と考える*愛着についての理解も深めると、煩悩の一種であり、それも良い悪いでもないけれど、時に苦しみの原因になりうる存在だと分かるが、一緒にいるけど「私の」ではない、と理解し、以前と愛し方に変化があるかというと、違わないと同時に、視点を変え、以前よりもものすごい「運命」を感じる事も出来る「猫」と「人」という「種」を越えたモノを感じたので、様々な気づきも交えつつ、自分記録として綴る事にする「私の猫」もちろん、間違いではないけれど、本来全ては同じエネルギーであり、誰も何も所有する事は出来ない、何かを所有するという概念も存在しないこの世界に存在する全てが「自分」(私も含む)であると認識すると「私は私と私と存在している」がよりその状態に近い「猫は猫と猫と存在している」でも、もちろん楽しい「私」や「猫」という存在も無い所の視点から表現すると、この瞬間に見える見えないに関わらず、全ては「一つ」という概念もなく全てをも包括する「無」になり、そこが全ての「源」でもあると感じる感じている(脳が機能している=肉体が生きている)時点で100%ではないけれど無いけど在る在るけど無いこの全セカイという感じで常に揺れ動いている感覚変化し続ける事が変わらない本質*「無」についての理解が難しい時は、全てが「猫」でも良いと思うこの世の全ては「猫」から生れ「猫」に還る(猫=無)スペイン(バルセロナ)カタルーニャ美術館(2015.3)数学的な観点で説明するならば「ゼロ」という存在ゼロという数字はどんなに大きな数字をかけても全てをゼロにするそのゼロの視点が「ゼロポイント」でもあり『今、ココ』という全てでもあると理解するゼロから生まれる全てゼロも無限大も同じく全ては「ゼロ」に還る常にグルグル廻っているゼロ猫から無限大猫からゼロ猫の世界色々な方が、色々な方法で様々な言葉で、様々な作品でこの「有無」世界を表現している全てが正解偉業を成し遂げた天才的と言われる人、善の象徴、悪の象徴と言われる人ニュートン、ダーウィン、アインシュタイン、ダヴィンチ、テスラ、ピカソ、ヴェートヴェン、モーツァルト、聖母マリア、ヒトラー等々も全ては「猫」であると感じるその時の「今」ある姿で、その時の「今」興味の在る事を追求し続け、個々に体現、表現したと理解する全てのモノに平等に与えられた選択の自由、自分の興味を探求する事が自分探求にも繋がり、個を知る事が全を知る事となる無の中に存在する無限の可能性面白い発想で創造する有無世界究極の愛溢れる『猫世界』「無の中」とは「夢の中」で夢中という事正に「無我夢中」「我」(エゴ)の無い「夢の中」に無限の可能性が存在するとも表現できる「猫が猫の中」と表現できる面白さ”好きな事をしましょう、嫌な事を止めましょう"と様々な方が伝えている昨今、夢中になる事、やってみたい事、それが個々であるそれぞれが体験してみる事であり、自然な流れでそれに辿り着く様な気がする私は「今」コレを書く事に夢中になっている誰の為でもなく、自分の理解を深めるために夢中になる時、そこには「時」は存在せず、生理的欲求もほとんど存在しない、限りなく「私」が消えている感覚夢中になる事は「時」と共に変化してもいいし、一つとも限らないし、夢中になる事も多種多様であり、皆それぞれに、夢中になる事は違い、一人一人唯一無二の何かを生み出す事ができる世界が、この「有無」世界だと思うこの有無世界は「幻」や「夢」の様な世界であると表現される事も多く、無限の可能性が隠れているそれを存在させる(創造する)のはココに生きる「個」である答えは全て正解答えは「無い」全てのモノはエネルギーであり「猫」という種も「人」という種も本来は分けるモノでもなく無い所に「ある」を存在させるために違う形で違う呼び名で、ただある同じ存在「誰か」という「全て」である「源」が創造したモノその「源」は常に変わりゆく「今、ココ」であり「自分」言葉も文字も存在しない「時」様々なモノが存在する中で、全てのエネルギーを感じる力はより強いと理解できる言葉無しで通じ合えるテレパシー等もエネルギーでエネルギーで動かす事もエネルギーでエネルギーを生み出す事もこの世界に存在するかぎり、無くならないエネルギーの存在無限にエネルギーを創りだすフリーエネルギーは今も昔もこれからもずっと存在する言葉や文字にする必要の無い「時」そこには「愛」しか存在せず、二極を感覚として知る必要も分ける必要も無く、ただただそのまま全てが存在していると感じる*「愛」も本来「無」であると知ると、ココで究極に溢れ出すモノを常に感じ続ける事も可能であり、常に枯渇していると感じ続ける事も出来るモノ、どちらを選択するか、にすぎないそしてその「時」を存在させているのも「自分」であり「今」過去も未来も「今」に集約し、その言葉や文字を必要としない「時」もまた「今」に存在している(個の意識がそれを捉えていないだけ)と感じる種を越えたモノとは、「運命」や「縁」と言えるこの世界で、ある「時」に出会い「今」一緒に「時」を過ごすモノ同士として個々にココに存在しているという事その「時」の長短に関わらず今迄、一瞬でも時を共にした全てとの運命であり縁であり【共に時を過ごす】「時」の存在が「人」を「全て」を存在させており、人は時そのものでもあるとも言える私は今、「人」として「猫」2匹と一緒に暮らしている猫以外のモノと一緒に「時」を過ごす事も、本来全て同じであり、種を越えた「縁」も、同種の「縁」も同じであり、この世界で人種を越えて誰かが養子を迎える事も、誰かが猫の里親になる事も、全く等しい、と理解する「養子」は英語で adoptと言い、採用する、(自分のものとして)取り入れる、という意味がある血縁があるなしに関わらず、本来自分のものも何も存在しないゼロ点でみると、とても興味深く、本来の自由な世界を表現している、とも言えるVoyageとMewが私の猫であるならばこの世界中の全ての猫が私の猫である「猫」も家族だと表現する事も多く、もちろん、私もそのように捉えているだが、少し前とは全く違う感覚もある「家族」とは何か、と問い「家族」が存在するのならばこの世界に存在する全てのモノが家族である血縁云々をこだわるのであれば、また違う表現になりそれは一般的に、常識的に、という視点にすぎない私には「私の子ども」はいないこの世界中の全ての子どもが私の子どもとも言える私には子どもが居ないのなら、この世界には子どもは存在しないとも言える「私の」「誰かの」という概念が、全てのモノの不平等という「幻」を生み出している気がするアリカナシカの世界どの視点で捉えるかそこには「私の」という概念は存在しない本来、全てのモノは誰のモノでもないからそして、この視点で観ると、とても興味深いのは、Aさんが出産するとすると、(出産という言葉も適切なのか分からないが)外見は違っていても生まれてくるのはAさんであり、実はそれも「個」として存在している私でもあるという事の理解メキシコ(オアハカ)サント・ドミンゴ教会の生命の木(Árbol de la vida)(2014.12)「無」から何かを「生む」事とは全てに有無を生み出す世界全てのエネルギーの源であり種の起源でもある気がする「種」の無い世界で「種」を生む世界と、私は感じつつ理解しつつ...グルグル廻り踊る表現の理解も以前より深まった気がするトルコ(コンヤ)のルーミーの聖堂/メヴラーナ博物館(2015.1)この世界で数々の奇跡という自動操縦の元とある瞬間にVoyageとMewという素敵な猫に出会い、ある意味その瞬間は化学反応でもあり、ビックバンとも表現できる「今」一緒に存在する事を、とても愛おしく感じると共に、ある意味、どの「個」でも本来同じである、とも思う不思議な感覚もあり、やっぱりこの個で良かった、と波の様に揺れ動く不思議な瞬間に存在する不思議な「私」だけど、究極的に「運命」を感じるならば「種」を越えた中からの運命的な出会いだとも言える例えば、地球上の人類が74億人強である中で、一人の人が人生で出会う人の数は限られており、ある瞬間に誰かと誰かが出会う確率は平均的な計算で可能でしょうエネルギーが形となり、木、動物、水、火、風、土、石、人、虫、魚、花、等々地球上で、どの形でも存在しうる無限のエネルギーの中で、「猫」と「人」としてこの世界で出会う究極の奇跡もし、この確率を数字化できる人がいるなら、是非知りたいという興味が湧いてくると、この問いもおそらく答えが無い無意味なモノかもしれないけど、考えてみるのは面白い「有無世界」であり、コレも「時」の存在なくしては存在しえない答えなのだと思う「問い」が存在するという事は「答え」も存在する科学の発展は究極的には全て仮説からの検証、結果であり、正に、無いモノを在るモノとして、実験、観察しつづける事で、ココに存在させる事が「結果」として「創造」に繋がるとても分かり易い有無世界世紀の大発見と言われるモノも、発見者(観察者)の創造だと感じる驚く事でもあり、驚かない事でもある実験、観察しつづける観察者が「今」創りだしていると言え、観察者自身もエネルギーであるから、エネルギーがエネルギーに影響を与え、とある形(それも同じエネルギー)に固定させる、という作業皆、意識的にも無意識的にも常に行っている創造という作業【Fake or Real】私はモントリオールの教会の角で天使を見つけたカナダ・モントリオール(2011.7)多くの方が「天使」だと認識するモノも、この存在も同じであり、「天使」が存在するのなら、全てが天使であると言える、姿形に関わらず何が本物か、偽物か、全てが本物であり、偽物にもなりうる世界で、個々の認識、選択の自由である互いに尊重しあう事、歩み寄る事、理解を深める事で、問題や争いが存在できない世界も存在する「絶対的なモノ」が存在しない世の中「絶対的なモノ」も存在しうる世の中例えば、何かを選択する時、複雑にカテゴリー分けされたこの世界(社会)の中では、様々な選択肢があるけれど、その中に特質した何かや、比べてしまうモノがあるのであれば、それも「幻」でしかなく、気になる何かがある時は、その「時」の心の在り方や、育って来た中での思い込み、がそれを見せているだけなんだ、ともちろん、好みで選んで良いし、何も気にしなくても良い「特別」という言葉の意味「奇跡」という言葉の意味全てが特別であり、全てが奇跡であり全てが特別でなく、全てが奇跡でない偏りが無くなるととてもスッキリするこの世界で生きる上で、何を採用するか常に「今」という瞬間の中での選択の連続で生きている何を取入れるか、adoptするか、が「鍵」であり、その「鍵」も多種多様である「個」の世界Hotel Geneve CD Mexicoのロビーに飾られている鍵(2014.12)何をadoptするかは、モノに関わらず、考え方や意図する事も含み、それによって変化する世界だと感じる量子力学では観察者の意図がエネルギーに影響を与え、現象結果も変化すると言われている「個」又は個が集った「集合体」の意識、意図がこの「有無」世界に存在させる現象に影響を与える事を知る重要性も改めて感じる全ては同じエネルギーであり、そのエネルギーは意識、意図によって変化し続ける世界私の猫の話に戻りましょう誰がどの猫を育てても誰が誰の子どもを育てても「個」が「個」を育てる意味では同じこの「育てる」という言葉も少し違和感を感じるお互いの存在から、お互いに学ぶ事は多く、お互いも何も「全て自分」であり、誰が何がどれが上下もなく、全てが必要で、自然で、全てがその「時」の姿でただ、存在しているという「今」仮に、私の猫が病気だとしたら、「私自身が病気」であると理解し、同じく、世界中の誰かの猫が病気だとしたら、私自身が病気であると思う(病気が存在している「今」を観察している人は、理解しがたいかもしれないので、あくまでも本来のゼロ点から観た場合、と追加しておく)病は「気」から気とはエネルギーそのもの常に、今の自分の心の在り方によって左右される(揺れ動く)現象であり病気の有無も生む世界ならではの事だと感じるアルケドナイケドナイケドアルモノどちらをadoptするか半端なadoptは半端な現象結果になると予想するくっきりハッキリ意図する事で(ある意味覚悟でもある)アリ・ナシ限りなく100に近い or 0に近いの世界となる、と私は思うdead or alive その狭間にいる「極」を知る意味の重要性一切妥協しない半端無く生きる100%(限りなく近い意味)で生きるとはこの感覚だと理解すると、いつの「今」死んでも何も悔いはない悔いる瞬間が存在できないという感覚があるココの悔いる瞬間がない所で生き続け、自分の心に素直に興味を追求し続け、表現し続ける事が、究極の幸せの中でココを去る事にも繋がる気がするPPL取得を試みた際に撮った証明写真(フィリピンにて2015.4)「私」という観点で見ると、私の猫が "一番" かわいい、と思いがちだが、もちろん可愛いけれど、順番をつけることすら意味がない、とても大きな大きな何も無い世界に全てが存在する順位をつけることで生まれる「何か」は順位がないと存在できないモノとなりその「何か」を求める限りは複雑な中に生きる事になるその「何か」は個々によって違うけれど、それも良い悪いでもなく、全ては自分を知る為に大切なモノだと感じる「人類みな兄弟」という一文は呪文にもなりうるこれはきっとより身近に感じられる最善の言い方をしており、本来は「人類に限らず全ては家族」でも良いと思う端的に表すのであれば「全部全部」もちろん「猫猫」でも楽しいかもしれないが、理解しがたいかもしれない、そして、本来は「無」なのだから存在しないモノを存在しているモノで表す事の難しさと面白さ、とでも言おうか、本来人類も兄弟も存在しない種を越えた運命共同体(意識エネルギー)であり種を越えた起源は「無」と表現できると思うそしてこの『運命』という言葉、本来は意味は無いとも言える全てが運命であり、運命でないマーケティングやブランディングの存在の意味も、改めて凄いなと思う全てが「同じ」だけど、その幻の中に特質した何かを存在させ、ある意味戦略な訳で、それを言葉なり、CMなり、で表現しているエンターテインメント性を改めて感じるどんな瞬間でも共に過ごす「時」そこに存在する全てが運命の「人」であり通行人も、電車内で居合わせる人も、全てたまたま見かけた「猫」も、全てが運命の「猫」であり「運命」であり「運命」でない全て何かと特別な何かや意味を持つ傾向にあると、なかなか抜けられない巧妙な罠に、自分で自分にナワナワした瞬間...全てが無い中に存在する全ては完璧な宇宙の采配宇宙も在るけど無いけど無いけど在るけどの世界自由な発想の元、この有無世界で自由を体現していく事がより「無」に近づく事であると感じる種を越え、性別を越え、様々な全てが存在する可能性があると考えると、時間軸的に遡った古代という「時」は「今」よりも自由という意味で進化しているのかもしれない今、「幻」と言われているモノの存在普通ではないと言われているモノの存在そして、今、特異や、特質、異常、説明不可と判断されるモノも何も問題はないと思う何かが特異なのであれば、全てが特異何かが普通とされるのであれば、全てが普通その逆もしかり標準、基準、データ等本来は数字でしかなく、それを「気」にするかしないか自分で自分にadoptするかしないかのとてもシンプルな世界メキシコ国立人類学博物館(2014.12)アリカナシカと言われれば、どちらも存在する世界であり、有無の中で全てが存在している人魚や、ケンタウロス、ユニコーン等々も単なる伝説ではなく、エネルギーによって創造可能な同じモノである気がする常に誰かという「全て」が何かという「全て」を創造し続ける「今」全ての存在は純粋な全意識、全意図に委ねられているのかもしれない全ての点が中心であり全ての個が全てであり「無」に還る瞬間に、全てはそこから始った事を本当の意味で知るのかもしれない宇宙の始まりも終わりも同じ「無」である気がする無人の劇場のステージで「ひとり」満員の客席、オーケストラを指揮する「私」スタンディングオベーション盛大な拍手と共に幕が閉じるその瞬間まで私の中で生きる私私の中に存在する宇宙私が存在する限り、猫は存在するアリカナシカ自由な発想で猫とともに旅はつづく...Now, observing carefullyand enjoy every momentEvery moment isagolden oneuntil the end of this programにゃんいつか銀河に帰る日まで猫にマタタビ♡関連記事自分に還る為に意識エネルギー惑星波FMにゃんWave*「枠」を越える、常識を覆す、自分を越える、そんな感じで様々な事を経験し、考え、時を越えて自分で答え合わせする日々ある日、夢の中で見た一コマに対する疑問を自問自答し続けるうちに辿り着いた自分なりの『今』の考えを自分記録の為に綴っております何気ない日常に、過去の経験に、夢の中に、そして自分の中に自分が納得する答え(感覚的なモノも)を見つけると、それが消える面白さと同時に、「私」にとって、とても大切な「猫」という存在が消える瞬間をココで体験し、自分が引き裂かれる思いで号泣した人間Yossyですが、またその何とも言いがたい悲しみを味わい尽くすと同時に『猫、死なない』というこれまた不思議な感覚になった不死身のYossyです「死」に対する理解を深めると共に、自分の体験を通し「死」に対する恐れが消え、その瞬間から限りなく100%に近い「今」を生きるが始った気がしますこの記事をまとめつつ「世界から猫が消えたなら」の様な体験もし、自分なりにあの映画の意味を改めて理解した瞬間でもあり、猫が消えるという事は「私」も消えるという事「猫、死なない」についてはまた別の機会に記事にするかもしれません猫に限らず、この世界の全てのモノ、猫も私もあなたもいるけどいないいないけどいるとても不思議なこの世界自分で書いて、自分でほぉ〜と納得する正に一人芝居泣いたり笑ったり、正にコレが人生なんだ、とこの世界はとても良く出来てる、そして、自分に魔法をかけるのは他の何でもない「自分」であり、ラスボスは「自分」気づくのも自分、自分にしか分からない何かで分かる瞬間Everything happens to meそれに気づかせてくれる為に、「他」として存在してくれていた全てのモノに感謝と愛を送ります全ての方が自由に愛溢れる猫世界に生きているこの瞬間に私は、半端無く生きる、一切妥協しない人生を自分にadoptすると共に、ココに存在する限り、私は私に問い続ける最後の無人劇場の写真はメキシコ・オアハカにて旅の途中でのミスターMとの出会いも必然で完璧今、この最後の写真を撮ってくれたミスターMに心から感謝スペイン語は「主語」を略する事が多い意味もより深まった旅には、あの時気づけなかった事が沢山含まれている、「今」気づく事で「あの時」が「今」に集約される記憶というモノの存在のありがたさを改めて感じる膨大なデータでもあり、全てが繋がっていて、全てがデータでもある「私の」データも「誰か」のデータも区別なく、平等に全てがいつでも、どの過去も未来も辿る事のできる貯蔵庫が「全記憶」と理解する私はStar Trekに登場するデータが大好き人間に憧れるアンドロイドだけど、真の意味を知ると、ある意味ココで生きる人間のあるべき姿を体現しているとも言える無限の可能性の中、私もデータそのものであり「猫」全てが「今」に繋がっている...(この記事は4/12〜14でまとめ、前日に見た夢からのヒントを得て)