人を見た目で判断してはいけない、とよく言われますが、では、通りがかりの人をどう判断したらいいのでしょうか?

 

わざわざ声をかけることもできないし、そこまで興味があるわけではない。でもその行動や身なりは気になる。

 

例えば、混雑時に優先席に座っている若者をどう思うでしょうか?

 

お年寄りに譲れよ

若いくせに恥ずかしくないの?

どんな教育受けてきたんだろうね

 

こんな感じでしょうか。

 

つまり、それは昨日の私のことです。

どうしても体調が悪い時、バスでも電車でも優先席に座ることがあります。もちろん、普通の座席が空いていればそっちに座りたいのですが、そんな時に大抵空いているのは優先席。背に腹は代えられません。

 

暖かい日でも長袖にストール、帽子を深くかぶった若者が混雑した電車で優先席に座っている風景。

 

どう思われようが仕方ないのですが、それでも目の前にお年寄りや妊婦の方が来たら席を譲らざるを得ません。

 

そんな私の行動をどう思いますか?

A.堂々と優先席に座るべきだ

B.席を譲って当然だ

 

私はこの問いの答えを持っていません。そもそも、見た目にはただの普通の青年(中年)。いや、かなり若く見られる。

 

浪人生と言われたら、そうかと納得してしまうとよくいわれる。

不思議なパターンだが、がんになって5歳以上、時には10歳以上若返ってしまったようだ。

ついこの前、AIの自動認証システムに27歳(実年齢マイナス17歳!)と判断されたくらい。

 

バランスの良い食生活のせいか、肌ツヤもよくなってる。

私が胃のないがん末期患者であることなど誰にもわかりません。

 

なので、心がけているのは、とにかく具合が悪くない時は(体力が削られるとしても)座らない、ということ。

もっといえば、少しくらいの体調不良でも座らない。立ってられないなら、途中駅で下車してベンチに座る。

 

だって、仕方ないでしょう。人は見た目でしか結局判断できないんですから。

優先席に座っている若者を見て、不快に思う人は少なくないはずです。

 

自分が内臓疾患を持つまでは、混雑時に優先席に若者が座っていたらすごくイライラしていました。

若いんだから立てよ、と。

 

それを偏見というのはあまりにも乱暴すぎる。なら、すべての通りすがりの人に

「もしかしたらこの人は目に見えない障害を持っているのかもしれない」

と思いながら生活しなければいけないのでしょうか。

 

そんなの無理でしょう?

 

わからないものはわからない。

 

自分が少数派であることを受け入れて、社会で不自由な生活をするのは仕方がないことだと思っています。

 

つまり私は、がんになって見た目も肌も10歳若返ったというマイノリティ・リポートをここで自慢しているというわけです(笑)。