ハローヾ(@^▽^@)ノ愛しき皆様

女神の知砂です

女の子は女神していますか?
男の子はスーパーヒーローしていますか?
12日、リビングのドアノブがこわれ
「あぁ、無常なり…」となり
(友人が直してくれた)
15日、愛用の眼鏡のフレームがバキッと折れて
「あぁ、無常なり…」となり、
(今日買い換えた)
16日、トイレの電気のスイッチがパチパチと切り替わらず「あぁ、無常なり…」となりました。
(明日の修理要請住みかたサービスにて完了)
なに、この流れ…( *´꒫`)…
あ〜、さてさて。
何が壊れようと、家があり、蛇口ひねれば水が出て、ガスつければ火がつきお湯が出て、スイッチ一つで電気が点く生活があればお家で生きていける。
そんな事が当たり前ではないと思い知った1995.1.17、阪神淡路大震災の日。
ここから私の震災時の細かい描写があります。
PTSD、またショックの大きい方は読まないでください。
そしてまとまりある文章で書く自信は微塵もありません。
心のまま書き、あえて書き直さずにアップします。
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あの日。
地震の直前、空が明るく何の音もしない不思議な時間があり、遠くから地を這うような低い音が近づいてきたと思ったらドンドン!という音と共に寝ていた体が浮かぶほど突き上げられ、軋むマンションの音とグルグル回されるような揺れの中にいた。
揺れが収まりガタガタと震えていると子供の名を呼ぶ母の声が家に響いた。
「生きてるか!?大丈夫!?
怪我してないか!?」
兄も私もそれぞれ「大丈夫!」「はい!生きてる!」と答える声を出した。
「◯◯!玄関まで行けるか!?」
兄にそう叫ぶ母の声。
「2人とも着れるだけ服着て足下何か履きなさい!!!出られるなら家から出なさい!!!」
そう指示を飛ばし、タンスと洋服掛けに埋もれた父の声を聞き「こっち!!」としっかりさせていた。
震えるしか出来ない中、真っ暗闇の中で服を着て部屋に置いていた靴を履き、両親の分も履けそうな靴を探し出して手にして両親の部屋との境目の引き戸を開けた。
「何してるん?」
「ドアが開かへんから出られへん!」
「私の部屋まで繋がってる…」
「…ホンマやな。でも出られへん」
「庭は?」
「箪笥が窓塞いでもうてる」
「持ち上がらへんかな?」
「無理やないか…」
「上げてみよか…」
そう母と話しながら箪笥を片手で押し上げられてしまった私の力。
あれをきっと火事場の馬鹿力というんだろう。
膝まで降り積もって割れた食器や家具を避けながら兄が開けてくれたドアから家を出て、マンション理事長やってた両親はマンション住民の安否確認をし、伯父伯母家族だけが居らず慌てて兄が家を訪ね、玄関ドアを開け出られずにいた伯父伯母家族を家から出した。
夜が明けた時に見た母は頭から血を流していた。
箪笥をが頭にあたったらしく、気を失いかけたけれど家族の安否確認!死んでたまるか!と気を取り戻したらしい。
そんな中であの指示を出し、その手には父の背広とワイシャツと靴を持ち、そして保険証や当座の現金をウエストバッグに入れ身につけ家から最後に出てきた母。
「それ、何…持ってんの…」
「お父さんの仕事着。これさえあったらここが駄目でも大阪の仕事場が無事なら仕事に行ける。
お父さんはサラリーマンやからな。
そしたらとりあえず家族は食いつなぐことできるやろ?」
「(……この人……すごすぎる)」
そう思ったことは忘れられない。
歩いて2分の近くの商店街に行けば本通りは倒壊した店、ビルが折り重なっていた。
近所では火事が起こり8階建てのマンションより高く火が燃え盛り、高速道路が倒れ、軒並み家が崩壊していた。
大好きだった思い出のある街並みは変わり果てて、ガス漏れによる避難勧告が出ていた。
時間が経ち何度も起きる余震、軋むマンション、町中に響くサイレンとヘリコプターの音。
戸板に乗せられ毛布がかけられた人、家族を呼ぶ声、色んなものが響いていた。
私はまだマシな方だった。
自分も家族も生きていたし、家も残り、両親共仕事は残り、ペットも生きていたのだから。
あれから24年経つけれどここまで細かく覚えている。
いまだに当時の写真や映像を見ると涙が出て止まらない。
まだ泣ける自分でいる。
泣きながらも受け止められている自分もいる。
人の心のしなやかさを我が身で感じる。
あの日から日本は数々の大災害が起き、復興の最中にまだある。
東南海地震が来るとずっと言われているし、今朝は火山も噴火したとニュースで流れていた。
日本は災害大国だ。
それでも私達は何度も何度も災害を乗り越えるしかないと乗り越え復興しながら子孫を残し今に至る。
普段当たり前に出来ていることが当たり前な出来ていると忘れがちになる。
何も今の暮らしが当たり前ではないことを。
明けない夜はないが、明けてガラリと変わる朝が来る時がある。
この街もそんな経験をした街の一つで、今もまだ更地のまま残る土地もある。
そんな土地に生まれ育ち震災を経験し復興の中で暮らしてきた。
今は震災の影も記憶も知る人も減っていくだけの街だけれど、記録は残る。
この街に生まれた子供たちは1/17に学校があればその日に、なければ前後の日に震災のことを学ぶ。
語り継いでいくことがどれほど大切なことか、経験を生かすことがどれほど大切なことか、身を以て知っているから。
東北、熊本、出雲、長野、鳥取、北海道などで起きた震災や津波被害、原発事故、西日本大豪雨、台風被害、火山の噴火、まだあるかもだけど様々な事がいくつも起きた平成の時代の傷跡はまだ癒えていない。
忘れちゃいけないことがある。
忘れたいことがあっても。
失くしちゃいけないことがある。
失くしたものがあっても。
みんなで大切なことを見失わず、目先の煌びやかな「幸せ」に目を奪われ過ぎず、苦しみや悲しみにつらくともとらわれ過ぎず、生きていきましょうって思う。
私が日々祈る中の一つ。
「どうか神々様が創られたこの国と生きとし生けるものが世界と共に平和で、どんなものにも穢される事なく、未来永劫天地人共に在れますように」
日々たとえ小さく拙い祈りだとしても祈る。
そして普通に暮らせることにも、今命ある事にも感謝が湧く。
無力だけれど、人知れずひっそり生きてるから何もないけれど、祈ることだけは重ねていける。
今日、生きていて良かったね、私たち。
誰かが生きたかった今日を生きている。
あなたも私も今を大切に生きていけたらいいな。
笑顔も、涙も、痛みも、喜びも、そこかしこで分かち合いながら。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
まとまりのない心の垂れ流しでした。
今日もあなたの笑顔と涙がとても綺麗な日でありますように

またね〜

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