おはようございます♪
事代龍天女・知砂です♡

楽しく女神、してますか~( ´ ▽ ` )ノ

私は今日も朝から女神です

今日はものすごいタイトルですが…(笑

今日は私が感じる今のこの世の『感覚』のお話です。

去年の秋くらいから、『そろそろ過去は必要なくなるぞ』という言葉が降りてくるのです。

これは自分一人に当てはめてもそうなのだろうし、社会的な流れを見てもそうなのだろうと感じております。

『思い出は大切にすれば良いが、過去に囚われては生き遅れるぞ』って感じです。

思い出っていえば、どちらかというと『楽しかった事、嬉しかった事、気持ちよかった事』…など、喜怒哀楽の『喜・楽』の部類の出来事が多くないですか?

学生時代、仲間と馬鹿騒ぎしてはしゃいだ思い出とか、部活やサークル活動を真剣に打ち込んでかけがえのない経験をしたとか、初恋でドキドキしたとか、初デートの時は照れて顔も見れなかったけどそばにいるだけで嬉しかったな…とか、苦しいことはあったけど今はそれが活かされているな…とか、思い出すと心が晴れやかになったり、勇気が湧いたり、元気が出たりする『記憶』です。

しかし、さて『過去』ってなると、どちらかといえば『悲しかった事、悔しかった事、さみしかった事、傷ついた事』…など、喜怒哀楽の『怒・哀』の部類の出来事が多くないですか?

両親にやりたい事を理解してもらえなかったとか、先生に理不尽に叱られたとか、恋人にひどい振られ方されたとか、仲間ハズレにされたとか、いじめられたとか、突然の裏切り行為に茫然自失となったとか、失敗をして挫折を経験したとか…、そいつの顔を見たり名前を聞くだけで殺したくなるほど憎くてたまらない…とか、思い出すと心がぎゅーっと痛くなったり、腹が立ったり、許せなかったり、傷ついた痛さに今でも暴れたくなったりする『記憶』です。

何となく同じ『昔話』をしているのに、ニュアンスが真逆っていう感じがします。

『過去は必要なくなるぞ』はこの『過去の怒・哀』の部類の記憶に飲み込まれるなという意味かと。

私達はどうしても心の構造上、脳の構造上、ここに固執してしまいがちなのですが、ここに固執しているのは他の誰でもない『自分』だけなのです。

これを『執着』というのではないでしょうか。

自分が自分の苦しみなどに固執して執着をして、苦しみを継続させているだけ…ということです。

今のあなたは別にその真っ只中にいるわけではないのに…です。

そして、ここに執着をしていたら、『まだ抜け出せないのか』『更にきつい内容』で気づきを促され、促された本人はまた『自分ばかりこんな目に遭う』とまたその苦しみに執着して、『自分は不幸だ、可哀想だ、苦しみしかこの世にはない』と螺旋を描くように堕ちて行ってしまうのです。

自分からドツボにハマる感じですね。

中には私ってこんなに可哀想なの…と酔いしれている人も居たりします。

そな果てに自殺という所に落ち着いたりする事があるわけですが…。
ハッキリ言いますけども。

過去の為に今死んでどないするねん…です。

自殺まではしなくても、過去の記憶に囚われて今の自分が本来生きるはずの人生を後回しにしてるならば。
ハッキリ言いますけども。

過去の為に今の自分の人生殺してどないするねん…です。

このね、過去の経験は変えられません。タイムマシンはありませんから。戻れないのだし。

今、輝いている人ってえげつない過去の記憶を持ってた人が多いですよね。
その人達はこの過去の記憶は過去の記憶としてちゃんと受け止めて、足掻いて、喚いて、苦しんで、のたうちまわって、死にそうになりながらも、『過去の記憶を思い出に近づけた人達』ではないですか?

社会を見れば『今までのやり方、考え方』など、過去の記憶が生み出した不安からの『安全神話』『自己啓発』などがわかりやすく崩壊していってます。

これも不安がその『安全神話』などを創り出しているから、不安を引き寄せる事例がわんさか出ているだけで、当たり前といえば当たり前ですよね。

感覚的に言いますと、『思いが実現する力・スピード』が、現実的にめまぐるしい強さで深まっています。
引き寄せるだなんてのったりとした感覚ではなく、『思う=即実現』です。

なので過去の記憶に囚われていては、ずっと過去の記憶の中で生きる事になり、抜け出すのが本当に難しくなっていくのではないかと。

それを選んでいるのは他の誰でもない自分なのですから、他人はどうする事も出来ません。
助けてもくれません。助けられたと感じたというなら、それは自分がその人から得た何かを感じ、行動したからです。
みんなを助けたい!とかあり得ません、無理なのを知ってますから、抜け出した人は。

今まで生きてきた時間がなくなることはありませんが、過去の記憶をどうするかは自分の中にあります。

選べばいいだけです。どうせ死にたくなるほど苦しいなら、どれだけのたうちまわっても、抜け出す為の苦しみや足掻きや痛みを選べばいいのだから。

『そろそろ過去がなくなるぞ』

…というのは、何も過去の記憶をすべて忘れる為に心に蓋をしてなかった事にしろといっているのではなく、今の内にその過去の記憶を思い出に昇華していく行動を起こして、自分が選んで生まれてきた人生を送る覚悟をさっさとサクッと決めなさい…ということではないかと。

社会的には『今までのやり方を捨てて、新しい流れを受け入れなさい』と強制的にズレを直す為にアレコレ起きているような感覚です。

天から最終確認をされている感覚です。

それも、猶予なく。

もう待てなーいо(ж>▽<)y ☆

…ぐらいの軽やかさでやってきてます。

まぁ、何もこの数年で始まった流れではないので、こういう事を書くのも今更な感があるのですけどね、でも書いておくかと。

過去が必要なくなっていく今、何をどう選択していくかは自分自身なのですねぇ、やっぱり。

誰も自分の人生を歩んではくれませんものね(ノ∀`)それはないよねー

自分の今を生きていれば、過去の暗く悲しく辛かった記憶は自ずと形を変えていくから、今を生きましょうね…がこの長く書いた文章をまとめる文章です(笑

私も然り、改めてこの流れを受け入れ、選択していきます。

あぁ、今日も長く書いてしまった。

アホですなぁ(ノ∀`)

ない頭はないんだよ~(・∀・)‼︎

最後まで読んでくださった方の優しさに感謝いたしまして、今日の締めくくりの言葉。


今を生きましょうね♡