窓の外に流れてる喧騒を聞きながら、
ひたすら自分の心や体に湧いてくる感覚、
そしてふっと浮き上がってくる言葉に、
全身全霊傾けて過ごしてます。

満ちているなぁ…と。

足りないものばかり探すのが
得意になってませんか?

そんなに『何もない自分』ですか?

足りるを知って、満ちるを感じ、
満ちるを感じ、与えるを分かつ。

私、こっちの生き方の方が好きです。

『そんなこと言ったって日々の生活してかなきゃいけないし‼︎
あれもこれもやんなきゃ毎日が回らないし‼︎
気楽な事ばっかり言ってんじゃないわよ‼︎』

そう言われる事も多々あります。
そんな時、以前なら『ごめんなさい』と言っていましたが、
今は『なら、そうやって生きてればいいと思います』と言います。

だって、それを選んでいるのはその人だもん。
私がそうやって生きなさいだなんて、一言もその人に言ってないもの。

言いたい間は言ってりゃいいよって思うだけ。
是が非でも教えて直してあげなきゃなんて思わない。
そんなの、私がしんどいだけだもん(笑

足りないからちょうだい‼︎…は奪うばかり。
でも、それはきっと何かが足りなかったり、
欲しい形のものじゃなかったり、
好きな色合いの思いじゃなかったり、
沁み込む言葉じゃなかったりして、
『そうじゃない!私の欲しいのはこういうものなの‼︎
なんでわかってくれないの‼︎』となりやすいし、
近いものをもらえたとしても、
もっともっと足りないを感じ始めて、
もっともっとちょうだい‼︎ってなる。

人から欲しいものを奪いながら、
人に何も与えない人になってる。

とっても面倒くさい人になってる。

私もそうだったから、
その満たされなさや、虚しさ、
苛立ち、悔しさ、悲しさ、わかる。

それをこの数ヶ月で手放して、
今あるものをひたすら数えて
とことん、整理してみた。

そしたら、案外たくさん持ってて、
必要なものはとてもとてもシンプルなもので、
残りのものはなくても良いなって思えるものだった。

きっとその人なりにたくさん持ってる。
自分が本当に大切にしたいものも、
人から善かれと思って与えられてしまったものも、
たくさんたくさん持ってる。

整理してみたらいいんだよ。
自分と他人の境界線をちゃんと引いて、
本当に必要なもの、本当は不必要なものを。

たとえば…。

不必要なものを混ぜ込んだ土の様な心で、
目新しい華やかな変化の種を掻き集めて、
植える前にアレコレ種が手一杯になって重さを感じて、
『うまく植えられない‼︎どれが一番簡単に綺麗な花が咲いて、美味しい実がなるの⁉︎』ってさ。
そんなのただのワガママだわ。

土壌を耕しもせず、ゴミの混じった土のままで、
集めに集めた種をまず植えもせずに、保管ばかりして、
植え方さえ調べもしない、植えて試しもしないで、
手軽にたくさん幸せの実を大量生産したがる本音隠して、
私はこんなにたくさん種を集めるのに疲れたわって
周りに吐き散らかすのはどうかと思うよ?

種を育てる準備の時期がある。
その為に土を耕して整える。
これが必要なもの、不必要なものを自分で決めて、手放していく時間。

整えた土に今一番植えたい種を選び蒔く。
これが今と未来を意図をするということで、
自分がどうなりたいかを決めるということ。

後の種はまた必要な時が来るもしれないから、そっと大切に保管しておけばいい。
それが知識として覚えておくこと。

あとは、自分の土や、周りから吹く風や、
移り変わる天候などに合わせて、
しっかり様子を見ながらアレコレやりながら育てればいい。
それが、まず意図したことのために
今、ピンときた感覚を信じて行動するということ。

まず、そういう事やって、それで疲れたなら、ひと休みってすればいいし。

そういうの、他の誰でもない
自分の感覚を通して感じるものだと
私は思ってる。

だから、他の誰かの言葉に頭で囚われるんやなくて、
自分の中にある感覚、感じる感覚を研ぎ澄まして、
いつでもピンとくるものを、ピンピンに感じるようにしてる方が楽しい。

とっても単純な事だと思うの。

足りるを知って、満ちるを感じ、
満ちるを感じ、与えるを分かつ。

私はね。

『足りるを知る』をまず意図した。
そしたら足りてることに気が付けた。
次に『満ちるを感じる』を意図した。
そしたら満ちてる事を感じられた。

あとは私の満ちてるものを、
『与えて分かつ』を意図する。

欲しい人が持って行ってくれたらいい。

そんな身軽な気軽さでね。