私の子の宮さんはとても素直。
たとえ相手がどんな人、どんな関係であれ、
『ソレ、いる?』って問いかけてくる。
そう聞かれた時の答えは一つ。
『別にいらないよね』なの。
最近、私は自分の心を潤わす事しか考えないでいようと、
私が不快に感じる事をしない、見ない、聞かない、知る必要もないと、
サクサクと私から遠ざけている。
Facebookのタイムラインに否応なしに上がってくる、
誰かの今の状況や情報の中にも、
見たくないものなんかは結構溢れている。
TVのワイドショーやニュースも見ない。
知っておいた方が良いぞと言われることもあるけど、
やたら人の不幸やどうでもいい恋愛にグルメ、
立場を乱用して貶めて取る笑い、事件事故に災害、
見ていて心が苦しくなるものは今は見たくない。
人の噂話の類もどうでもいい。
誰がどうしたとか、誰と誰が不倫してるとか、
誰の収入がどれだけだとか、どんな家に住んでいるとか、
そんなもの私の日常に何の関係もなく、
聞いていて気持ち良くはないから聞かない。
Facebookのシェアも溢れているけど、
案外目にしなければよかったと思うものもある。
物事の見方など一つではないから、
良かれと思ったものでも、そう思えないものもあって当たり前。
そんなものを一つずつそぎおとしている。
『ソレ、いる?』
『別にいらないよね』
これを素直にやっている。
そうするとね。
どんどん自分の心に向き合う事が研ぎ澄まされてきた。
恋愛の事もそう。
相手に求めていたものが、
ただ自分の自信のなさや、
自分を愛せない弱さから湧いていた、
私への言葉や気持ちだと感じたりした。
誰と恋愛してもコレじゃ意味ないわ。
多分、私は今、どんな形であれ愛されている。
私はそれを信じる事も出来ず、信じる事も怖く、
疑う事で安心したくて不安になってた。
愛されている事が不安で
愛されたくて安心を求めてた。
私が私をまだまだ愛してなかったわけじゃなく、
愛している事を受け入れるのが怖かっただけ。
自分を愛さずにいることしか知らなかったと言い訳して
自分を愛している事を否定して安心を求めた。
自分を愛せない自分、ソレ、いる?
いらないよね。
自分を苦しめるだけの自分、ソレ、いる?
いらないよね。
自分を愛している自分は?
いるよね。
要るし、居るよね。
そんな風に恋愛をしているのに
とどのつまりは自分を愛しているかどうかに
ドカンとまたぶち当たった。
成長してないなぁ(笑
私の子の宮さんはとても素直。
誰より私にまっすぐ問いかけてくる。
私にはこの子の宮さんがいてくれれば
何だか何もかもがうまくいく気がしてきた。
命とつながるっていうのは
まず自分の命とつながるということ。
私は胎児の時から自分の存在を否定してたみたいだ。
お腹に宿ってごめんなさい…と。
辛かったね。
『私はあなたがとても大好きよ。
あなたをとても信頼しているの。
いつもそばにいてくれてありがとう。
愛してる、この温もりはあなたと私の大切な温もり。
あなたの潤いが私の潤い。
大好き、愛してる、ずっとそばにいてくれてありがとう。』
そう伝えながら私は私を潤わす。
この指で子の宮さんの参道にお参りしながら。
この言葉を私は誰より言われたかった。
いつか自分に言う。
『生まれてきてくれてありがとう。
あなたと共にある命としてここにいれて
私はとても幸せです』
そして私は今の恋愛相手の鏡でもある。
あの人もきっと自分が気づかない所で
自分を愛している事を受け入れてなくて、
自分が愛されている事が不安で仕方なくて、
自分で愛されている事を試して壊したくなるんだろう。
とても強くて、まっすぐな自分をさらけ出しているからこそ、
気づかない様にしているのかなぁと思う。
なら、私は私を愛しながら
私はあの人を愛してみよう。
そして、怖れながらでも、
愛していることを伝えてみよう。
どうなるかはあの人次第で構わない。
私の子の宮さんには
女神が宿っているみたいと感じることがある。
女っていいね。
自分で自分を潤わすことが出来るなんて。
私が潤えば、私が大切と感じる人も
ちゃんと自然に潤っていくはず。
誰かが私を潤わす事を期待するんじゃなく
私が私を潤わす事を絶え間無く与える。
私は川に流れる水の様に、
その姿を変えながら
潤いを湛えていこう。
子の宮さんはすごいね。
誰より私を救ってくれるんだもの。
ありがとう。