4月20日(木)うららかな陽気に誘われて、横浜山手の方に行ってきました。

あちらこちらにお花が咲き、どこを見ても絵になる山手です。

 

・・・泣きたくなるほど方向音痴な私><;

神奈川近代文学館に行きたいのに、一向にたどり着かず冷や汗人に尋ねたり地図をぐるぐる回しながら、ようやく着きました。

正岡子規展が開催中なので、これが目的だったのです!正岡子規って「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の・・・俳句の人ってイメージだし、教科書の記憶では、横顔でけっこうおじいさんなのかなって思ってました。

アゲアゲ↑そうそう、このイメージ。

でも、実際は30代半ばで亡くなったのでおじいちゃんは失礼ですね汗

とにかく文学への熱い想い、言葉の天才的なセンスに恵まれながら、人生の大半を過酷な病と闘う運命にあった人なんですね。

もう常人であれば、筆をとることさえ辛い状況の中で、命の尽きる最後まで句を残そうとしたそうです。

そんな正岡子規と深い親交のあったのが・・・はい!出たsei夏目漱石なのです。

二人は東京大学予備門(←東京帝国大に入るための予備校のような所?)にて知り合い、一緒に帝大に進み切磋琢磨し合う親友となった。(子規は途中で退学する)

子規も漱石もペンネームみたいなものですから、お互いを本名で呼び合い、お互いまめに手紙をやりとりし、忌憚なく意見を交換できる間柄だったようです。

二人の青春時代の足跡を楽しく知るのに、このパンフレットがすごく解りやすかったです。矢印

東京でこんなに二人の足跡をたどれるなんて・・・。そういえば先日「有吉くんの正直さんぽ」で西日暮里の羽二重団子屋さんを紹介していたんだけど、まさに漱石と子規、他にも多くの文人に人気だった歴史あるお店らしく。これはいつか行かねばるん

 

病を抱えていたものの、体がそもそも頑健で気力みなぎる子規はあちこち旅行しているんです。

無理して悪化したらどうするんだ・・なんて心配よりも、好奇心の方が異常なまでに強かった。生きているうちに、色んなものを吸収したい、作品を作りたいという欲求がひしひしと感じられる展示です。

ロンドン留学中の漱石にあてた手紙は、ユーモラスな様でいてどこか悲痛です。現代だって日本とロンドンなんて遠いのに、明治時代・・おそらくもう、生きて会えることはあるまいと覚悟しながらも、手紙をおどけた調子で書く。「このまえのロンドンからの手紙は最高に面白かった。ここ最近で一番、自分を楽しませてくれた。またぜひ書いてよこしてくれよ」・・みたいな内容で、もうその頃、身動きすることすらも困難だったことを想像すると><;

 

↑☆文学館の中にあるカフェにて、抹茶と栗饅頭をいただくおいしい

たまたまお客さんが誰もいない時間で、窓際の一等席に座ることができましたニコベイブリッジのかかる港を遠くに臨み、葉桜にこそなっていたものの季節折々の花見を楽しめる、素敵な空間です。

 

常設展では横浜や鎌倉など、神奈川県内を舞台にした小説の作者についても色々展示品があり、面白いです。

夏目漱石が多くの名作を生み出し、文人の集まるサロン的な場でもあった自宅書斎「漱石山房」の復元も見ごたえがあります。ガラスケースに顔をなすりつけんばかりに見入ってしまいましたハートもう変態です・・・ahaha;*

今回、見ることのできなかった展示を、次の機会にはぜひ見たいと思います。

今回とても勉強になったのは、教科書に載るような凄い人たちにも、青春があり悩み葛藤があり、友情に支えられ、濃い人生にしていったということです。

年表にしてしまえばどんな偉人も数ページに無機質におさまってしまいますが、生きた証をおびただしい文字の中に煌めかせる、文人とはすごいものだなぁと、心に刻まれましたkirakirabosi

 

お土産・・漱石仕様原稿用紙♪新聞の文芸欄に載る体裁と同じ字数にするため、オリジナルで作らせたんだって。合理的だなぁsss

あと、「吾輩は猫である」の初版本装丁チックなマスキングテープでしょ。

それに、漱石が描いた水彩画のポストカード。ペルシャ絨毯の細かい柄も執拗に描きこんでるところが、性格表れるような・・・。

それと、正岡子規の「病床六尺」マンガ版も購入。これは大変分かりやすく、オススメです。

 

お昼ごはん・・・またも行きたい場所にたどり着けず、適当に入店してしまった苦笑

でも、何か貝類が食べたくなったのでちょうどよかった。

アサリのナポリ風ミニトマトソース。

「漱石書簡集」をおともにランチですぺろっ食後にジェラートと、ホットコーヒー。

 

大佛次郎記念館。ここは外観だけ~。

っていうか、大佛次郎の作品読んだこと無い汗

昔、「だいぶつ次郎」だと思ってたテヘ・・主人は「おとぼけ次郎」と読んでましたなあはは

いつかきっと読みませう。

 

港の見える丘公園をちょっとぶらついて、帰りました。

みなとみらい線で車両事故、田園都市線で人身事故と、トラブルの多い交通状況でしたが、何とか帰りたい時間に帰宅できました。

道に迷ってる時間がロスだったなぁ。何でこんなに地図が苦手なのかしら汗

 

最後に一つ・・「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は、先に漱石の「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」の句があって、(漱石は俳句も上手でした)そこからヒントを得た句と言われています。

これは、パクり・・・いやいやテヘ友情の成せる業ですかねキャ

 

長々と読んでくださってありがとうございます肉球本