40歳、AMH0.12。
医師から告げられたのは、
「卵巣年齢は55歳」
「閉経まであと2年ほど」
数字で突きつけられた“終わり”だった
不妊治療を続けて、採卵は11回、移植は4回。
結果は、すべて全滅だった。
ああ、もう無理なんだな。
そう思った。
子どもを持つ人生は、ここで手放そう。
治療もやめて、次の人生に進もう。
そうやって、静かに諦め始めていた。
でもそのとき、私はすでに妊娠していた。
気づいたのは、妊娠6ヶ月のときだった。
頭が追いつかなかった。
驚きというより、「え?」という感覚のまま、現実だけが進んでいく。
思い返せば、
妊娠3〜4ヶ月頃から体調は崩れていた。
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強い吐き気はない。
でも、どうしようもないだるさ。
一日中寝てしまう日が増えていった。
夫に伝えても、
仕事が忙しい彼には、そこまで深刻には受け取られなかった。
気づけば、昼も夜も、ひとりで横になっている時間が長くなっていた。
妊娠がわかってすぐに、私は仕事をやめた。
時間はある。
でも、自由というより、ぽっかりと空いたような日々だった。
すでに妊娠6ヶ月。
お腹は少しずつ大きくなり、体は確実に変わっていく。
それでも夫の帰宅は、いつも深夜0時頃。
それまでの長い時間、
私は、ひとりでこの変化と向き合っていた。
そこからの妊婦生活は、拍子抜けするくらい順調だった。
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そして私は、無事に出産した。
あれほど遠かった「出産」という場所に、
気づけばたどり着いていた。
夫の育休は、たったの1日。
その後、私は産後ケア施設に滞在し、
数日後、自宅へ戻ることになった。
ただ、そこに夫はいなかった。
義母のすすめで、
夫はホテル暮らしになっていた。
「男は仕事があるから、集中できる環境が大事」
その言葉と引き換えに、
私の隣に来たのは、夫ではなく義母だった。
義母はよくしてくれた。
本当に助けられたと思う。
でも
新生児期を、夫が一切関わらなかったという事実は、今でも消えない。
おむつ替えも、
ミルク作りも、
抱っこも。
“何もできない父親”が出来上がった。
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そしてその状態は、長く続いた。
新生児期が終わり、夫が自宅に戻ってくる。
そのタイミングで、最悪のことが起きた。
夫が、職場でコロナに感染した。
結果、私は1週間、
完全なワンオペになった。
生まれたばかりの赤ちゃんと、
たったひとり。
あの期間のことは、ほとんど覚えていない。
ただ、
必死に生きていた。
泣いても、眠くても、しんどくても、
代わりはいない。
誰もいない部屋で、
小さな命を守ることだけを考えていた。
時計を見る余裕もなく、
昼なのか夜なのかも曖昧で、
ただ、「次」をこなしていく。
ミルク。
おむつ。
抱っこ。
またミルク。
それだけで、1日が終わっていく。
あのとき、私は確かに、何かをすり減らしながら生きていたと思う。
それでも、止まることはできなかった
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