ねこにーずのブログ
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

2020イスラエル&ヨルダンツアー 10日目

2月19日水曜日

イスラエル&ヨルダンツアー いよいよ最終日になってしまいました。

 

もう旅が終わってしまう寂しさと

ブログもいつかは終わらせなければならないという使命感で挑みます!

 

ホテルからの朝の景色、霧でした!

 

 

今日はイエス様が捕らえられ十字架につくまでのイエス様の足取りをたどります。

鶏鳴教会~ヴィアドロローサ~聖墳墓教会~園の墓まで。そして空港へ。

 

ゲッセマネの園で捕まってからイエス様は大祭司カヤパの邸宅に連れて行かれます。(マタイ26:57)

そのカヤパ邸と言われるところは9つあるそうですが、ツアーでは鶏鳴教会に行きました。オリーブ山を降りて反対側の山を登ったところにあります。

鶏鳴教会はあの弟子のペテロが、捕らえられたイエス様の後をこっそりついていってそこにいた人たちに混ざって焚火をかこんで成り行きを見ていた場所として有名です。

ペテロがイエス様に「鶏がなく前に私を3度知らないと言うだろう」と預言された場所です。

聖書箇所:マタイ26:69~75、マルコ14:66~72、ルカ22:54~62、

       ヨハネ18:25~28

 

カヤパの官邸に続く階段。

右が2000年前の、左が現代のです。

 

 

 

栄子先生のメッセージ。ルカ22:54~62

 

61、62節 「主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは主の言葉を思い出し外に出ていって激しく泣いた。」とあります。

鶏が鳴いたのは朝だからではなく預言の成就。

イエス様は牢獄の穴に放り込まれる直前に振り返ってペテロを優しいまなざしで見つめたのでしょう、大丈夫だよと。

 

 

十字架の3日後、イエス様が蘇られた後、ペテロと弟子たちは蘇られたイエス様に会うために主が言われたとおりにガリラヤに行きイエス様を待っていました。

そこは私たちがツアーで最初の頃に行って聖餐式をしたペテロ召命教会のある湖のほとりです。ペテロは主を裏切ってしまった悲しい気持ちで主の現れをどんな思いで待っていたのでしょうね。ごめんなさいと言うつもりだったのかな?

ところが主はなかなか来てくれなくてペテロはもう漁師に戻ろうとまで考え、その夜、仲間たちと漁に出ていました。そんなタイミングで主は来てくれて早朝に朝ごはんを用意して漁にでたペテロたちを待っていてくれました。

イエス様と弟子たちがそこで和解した美しいシーンがヨハネ21章に書かれています。私の大好きな箇所です。

 

ガリラヤ湖 漁の様子。

 

栄子先生はペテロが自分に似ているのでお好きだそうでペテロのお話をたくさんされていました。確かに聖書にはペテロのエピソードがたくさん書かれていることに気づきました。

ペテロはガリラヤ湖で蘇られたイエス様を岸辺に見つけた時に漁の途中で舟から水に飛び込んでイエス様のもとに走り寄っていったり、(他の弟子たちは冷静に捕った魚を運んでいた!)

捕らえられたイエス様の後について行って見つかればイエス様を知らないと言ってしまったり、(他の弟子はついて行ったりはしなかった!逃げてしまったのですが)

おっちょこちょいで感情的で憎めない性格、あまり頼りにならない人格だったかもしれないけど、イエス様から天の御国の鍵を渡され(マタイ16:19)弟子として信頼されていたことを思うと、私たちも臆病で弱くてもイエス様を愛する心があればイエス様は大丈夫だよと最後まで面倒を見てくれるのだなと思いました。

 

 

鍵を持っているペテロ像。この像はシナゴーグ跡にあります。

 

こうして書いていると聖書のお話は説明するよりも聖書を読んだほうがわかりやすいな、と思います。それだけわかりやすく書かれているのですね。

 

 

カヤパ邸の地下牢でのメッセージ。

もともと地下牢として造られたのではなく、昔はこのあたりに鉄砲水が流れていたので貯水池として造られていたものだそう。イエス様の時代には鉄砲水が来なくなっていたので牢獄として使われていたと。上に穴があり、側面に見張るための窓があるだけで灯りがなかったらとても深くて真っ暗でした。放り込まれるときに骨が折れたり時には死んでしまうこともあったそう。ローマ兵は囚人をこのように扱っていたと。

イエス様の骨は折られることはないという預言もあるとおりにイエス様の骨はここでも十字架上でも折られませんでした。。

 

 

下から見た穴。

 

ここにイエス様は一晩放り込まれて、何を思っていたのだろう、一晩どうやって過ごされていたのか?救われる私たち一人ひとりのために、このことがあるのだと思われていたのではないかとおっしゃっていました。本当にそうですね。

 

詩編88:1~19にはイエス様についての預言が書かれています。

罪を飲み干し、罪びととなられ弟子たちに見放され、死ぬためにお生れになったイエス様は暗闇の中で私たちの罪を十字架で釘付けにするため、私たちの救いのために祈ってくれていました。

 

 

次は、カヤパ邸をでてヴィアドロローサに向かいます。

ヴィアドロローサはゴルゴタの丘に向かう小さな路地のような道です。

周りには商店街があってとても賑やかです。この通りをイエス様はゴトンゴトンと重たい十字架をかついで登って行かれました。

 

 

 

 

おもに日用品を売るたくさんのお店が出ています。

 

 

 

スパイスやドライフルーツ?山積みです!

 

お土産物屋さんも。

 

 

 

 

聖墳墓教会に着きました。

見ての通り行列です!中もメチャ込みで全然進まなくて、一度来た私はもう入らなくていいよって思っていたら、たまたま隣にいた栄子先生が「この場所は混んでるから見なくてもいい、という場所ではないのですよ」、って私の心の声が聞こえちゃったかと思うタイミングで言ったのでした!

でも本当に混んでいて2階にある十字架の建てられた岩は見に行くのを断念したのです。それくらい混んでました。

 

 

聖墳墓教会(ゴルゴダの丘)

・イエス様が十字架に架けられ、葬られ、復活されたと考えられている場所の一つ。

 カトリック、ギリシャ正教、アルメニア正教、シリア正教、エチオピア正教、

 コプト正教、の6宗派が共同管理。

・二度のユダヤ戦争の後、エルサレムがローマ風の町に再開発されたため、

 ゴルゴダの位置がわからなくなっていたが、ローマ皇帝コンスタンティヌスの母、

 ヘレナ(熱心なキリスト教徒)がエルサレムを訪問してゴルゴダの場所を特定。

 ヴィーナス神殿となっていた地に神殿を取り壊してAD325年に教会を建てた。

 異教のものが建っているところこそ本物があったところだと教えてくれました。

・幾度か破壊され11世紀に再建。12世紀に大幅な増改築。

聖書箇所:イエス様の叫び(詩編22:1)

 

 

ゴッタゴタの丘を出て、園の墓まで歩きます。

 

 

 

 

ここもイエス様のお墓のあるところとして有名です。イギリスのクリスチャン団体が管理しています。

・19世紀に発見。主が十字架に架けられたとされている場所の近くにある。

・ぶどう絞り器や水タンクが発見され、この場所がイエス様時代にブドウ園を営む園

 であったことを物語っている。

・園の北の端に石を切り出して作られた個人の墓がある。(ヨハネ19:10~42)

聖書箇所:

 空の墓、マグダラのマリアに現れるイエス様。(マタイ28:1~10、マルコ16:

 1~11、ルカ24:1~12、ヨハネ10:1~18)

 初穂としてのキリスト、第一コリント15:20

 初穂の祭り(過ぎ越しの祭りの後の安息日の翌日、レビ23:9~23)の日に

 復活。(ヨハネ11:25)

 

 

お墓の入口。

 

お墓の内部です。

ここはゴルゴダのすぐ近くにあった新しいお墓で急遽イエス様を入れることになり、長さが足りず、足元を少し削った跡があるとのこと。

わかりにくいけど向こうの角の下の方が足の幅くらい削られています。

 

 

どくろの丘と言われてるところ。

右の方に顔のように見える岩があるのですが、7年前より崩れてました。

 

 

園の墓では礼拝と聖餐式、そしてツアーの修了証書がエルサレム市からひとりひとりに用意されていました。栄子先生からいただきました。

 

こんな感じです。前回の旅ではもらってないのでうれしいサプライズでした!

 

 

こうして長かった10日間のツアーが無事に終わりました。

 

この後は素敵なレストランでランチをして空港に向かいます。

最後の食事はハンバーガー、パスタ、ピザなどから選べました。

私はハンバーガー。

 

 

デザートはプチケーキたくさん。一人分ではないですが、3つくらい食べたかな。

 

 

 後ろにおられる大久保さんは何気にいつもそばにいてくれた。大久保さん始め同じ班の二組のご夫婦は頼りない班長の私をいつも助けてくれました。てっちゃんがはぐれた時も大久保さんを見つけてグループに戻ってこれたんだよね。

 

食事をしたレストランのあるホテル。こんなホテルにも泊まってみたいですね。

 

 

空港へ行きながら、ユダヤ人街、メアシャリームを通ってくれたので超正統派のユダヤ人の住むところをバス越しに見ることが出来ました。

超正統派では旦那さんがユダヤ教に専念するために子育てや家事をして、

奥さんが働きに出るそうです。

街並みは古く雨降りだったせいなのか貧しい感じがしました。写真はないです。

 

ここはもう空港近くです。雨が降ってきてたけど空が赤い。

空港でガイドの石堂さんとアメリカへ帰る栄子先生と別れて、( ;∀;)

21:00時発 トルコ航空でイスタンブールへ。

 

 

まずはイスラエルの空港で小腹を満たす。サンドイッチと飲み物で二人で2000円くらいした!!買ってから計算してビックリ!お金を使ってないので感覚がまるでない!

 

 

 

ここはイスタンブールに着いたとこ。夜の12:30。

 

 

 

 

乗り換えをするトルコのイスタンブール空港は広くてきれいだけど、

乗り継ぎ時間があまりなく急ぎ足で歩きました。買い物出来ず(>_<)

 

 

イスタンブールで最後のお別れの挨拶の時間。成田に着いたらみんなバラバラに解散になるのでみんなと集まるのはここで最後になります。さみし...

ツアー後半はコロナの脅威がジワジワとイスラエルにも迫ってきてる頃でたまに中国人かと聞かれることもあったりしたなか、ほんとに守られて普通に旅行が出来て感謝でした。

帰国したのが20日の木曜日で翌週からイスラエルの入国が禁止となり、

長い長いロックダウンや自粛生活が始まりました。

このギリギリのタイミングで無事に行けて帰ってこれたことを思うと奇跡的です。

実はツアーに行く1週間前にもエルサレムでテロがあったという情報がスタッフの方たちに入ってツアーを決行してよのかどうかと悩み祈ったと聞きました。実際には行ってる間何事もなくて私は何の心配もすることなくただツアーを楽しんでいましたが、

このツアーではドキュメンタリー番組を作る目的もあったので神様がなんとしても成功させてくれたとしか思えません。

 

01:55イスタンブール発、20日(木)の19:40成田到着。

成田まで無事に着き11日間のイスラエル&ヨルダンツアーが終了しました。

 

 

 

夜に到着の飛行機だったので成田ビューホテルに泊まって温泉に入ってきました。

このホテルには茶色の硫黄の温泉があります。帰国後の楽しみはまずこの温泉ですね。そして和食もある朝食。車も停められて今までも何度かお世話になっています。

 

私は成田に着いた翌日から疲れがどっと出てその後はしばらく寝込んでしまいました!体力的には相当ハードでした。誰かがブートキャンプのようだったとも言ってましたから私だけではなかったかな?

帰国後のいろいろな予定もコロナのおかげで中止となり、逆に気持ちもゆっくり静養できたのは感謝でした。でも静養期間が3か月も続くことになろうとは思いもよらないことでしたが、何もやることがなかったからこんなに一生懸命ブログが書けたのだと思います。

 

長いブログを読んでくださって感謝します。

どなたかの参考になれば幸いです。

そのためにも早く海外に行けるようになりますように。

私もまた行きたい!

歴史をつかさどる神様はこれからどのように世界を導いていかれるのでしょうか?

終末に向けての学びをこのツアーでたくさん学んできました。終末には地震が頻繁に起こり戦争のうわさもたくさん聞くだろうと聖書には預言されていますがイエスキリストを信じる者にとっては終末が来ることは恐ろしいことではなく、むしろ新しい世界への希望の持てることです。

これから何が起ころうとも信じるに値するイエス様にすべてを委ねて従ってゆきたいと願っています。

 

主に栄光がありますように!

シャロ~ム!

2020イスラエル&ヨルダンツアー 9日目

2月18日 (火曜日) 9日目です。

この日はエルサレム中心です。

ヤドバシェム(ホロコースト記念館)、BFPフードバンク、ランチ、

オリーブ山展望、ゲッセマネの園、嘆きの壁の順番です。

 

まずはホロコースト記念館へ。

ヤドバシェムの意味はヘブライ語で「手と名」の意味。

迫害の預言:申命記28:64~67

ホロコースト時の収容所が再現されており、ユダヤ人から没収した靴やカバン、メガネ、義足、髪の毛などの山、着ていた囚人服、粗末な固い木の3段ベッド、彼らを運んだ家畜の貨車など残されているものが展示されています。

中の写真は撮れないのですが順番に見てくると最後はこの景色になっています。

 

 

美しいエルサレムが見えるように設計されてるそうです。

庭には杉原千畝さんやオスカーシンドラーの木なども植わっています。

 

ヤドバシェム公認ガイドもされてる石堂さんによるメッセージがありました。

ヤドバシェムが伝えたいことは「ユダヤ人がナチスにこんなひどいことをされた」ということではなく、この問題は世界を巻き込んでいて私たちも日本人だから関係ないということではないと。ヨーロッパではまた反ユダヤ主義が大きくなってきているし、

反ユダヤ主義は世界中にある、「その時に自分はどうするのか?」を考えてほしいということでした。

 

私も最近はホロコーストの生き残った方たちの体験談をいろいろ読んでいますが

ユダヤ人の記録ももちろん知りたいけど、その周りにいた非ユダヤ人、ドイツ人やポーランド人やユダヤ人が住んでいた国々の方たちの書いた記録書なども読みました。もし自分がそこにいたらユダヤ人を助ける勇気ある行動ができたのだろうかと本当に考えさせられます。命に係わることですし見て見ぬふりをすれば害は受けないのですから。現に見て見ぬふりをした人たちもたくさんいたし、反対に本当にたくさんの方がユダヤ人を助けて同じように収容所に入れられたのです。その時殺されたユダヤ人は600万人、ユダヤ人以外の方は1000万人いたそうです。日本では反ユダヤ主義は聞かないですが、ユダヤ人に限らず理不尽に扱われてる人を見たときに多数派に巻き込まれるのでなく、神様の目から見て正しく行動できるようになりたいと思わされます。

 

次はBFPフードバンクを訪問しました。BFPとはBridges For Peace

の略です。外国から帰ってきた離散ユダヤ人を助ける団体です。

ここではBFPの働きについて説明があったり、日本からのお土産を渡したり、

実際にツアーの中にユダヤ人支援をしてる方がいらして支援されてるユダヤ人の方とのご対面の時がありました。

 

 

BFPフードバンクは栄子先生のイスラエル生活の原点です。

栄子先生のご主人のビルさんが子供の頃にホロコーストのニュースをみて「大人になったら自分はユダヤ人のために何かさせてもらいたい」とずっと思い続けていたそうです。

ビルさんは栄子先生と結婚された後にクリスチャンになられたそうですが、

その時に子供の頃抱いたユダヤ人への思いは神様からきていると確信したそうです。

それからは家族を養いながらイスラエル行きをずっと祈っていてある時決断して、

下のお子さんは高校生くらいになっていたころですが、家を売ってそのお金で神学校へ行き、残りのお金で栄子先生とイスラエルに何も持たずに来てしまったそうです。何をするとか誰と会うとかという計画は何もなくです。しかしイスラエルに着いたその日に、ユダヤ人のためのフードバンクを開きたいと願っていた人と知り合ってその人と一緒にフードバンクを始めることにしたということです。その時48歳だったそうで、

それから18年もの間イスラエルに住んでユダヤ人の生活をフォローする働きをしてこられたそうです。今BFPがあるのはビルさんの思いの実なのですね。

 

一方栄子先生は日本人伝道に重荷があったのでイスラエルに行きたくなかったそうですが、夫に従ってイスラエルに来てみたら、イスラエルにも日本人がいることがわかってこのために二人をイスラエルに遣わせたのだと理解し、エルサレムの神学校に行き牧師になってエルサレム日本人教会を造り奉仕をされてたそうです。またイスラエルのガイドの資格もとられてたくさんの日本人を案内したそうです。あのヨルダンのペトラにも100回行ったと聞いた時にはぶっ飛びました!私は1回で十分です。(>_<)

 

とっても無謀に見えますが神様がちゃんと整えてくださっていて、

お二人の夢をかなえてくれてユダヤ人と日本人のために用いていることがわかりま

した。すごい人生ですね!!!

栄子先生のイスラエル滞在経験があるので聖書理解が深くて

イスラエルを軸にして聖書を教えてくださるので旧約聖書や預言がどれほど大切なのかに私も目が開かれ、特に栄子先生の黙示録を学んでからはこの世が終わってからがどれほど重要なのかがよくわかりました。

人間が人間を支配する残酷な世界はやがて終わり、神様が治める平和な世界が来ることを聖書から学びました。クリスチャンになってそのことがわかったことが人生で一番の収穫なのです。

 

昼食は久し振りの中華でした!

やっぱりおいしいーーー

 

 

日本人には中華よね!

 

 

レストランの建物の一画に風車小屋がありユニーク。

石堂さんがエルサレムの風車小屋のお話をしてくれました。

街の中に本物の風車小屋があるのですが、

入植してきたユダヤ人が初めは城壁の中に住んでて外に出たがらなくて、そのままだと町が広がらないのでなんとかユダヤ人を外に出すための政策として風車小屋をつくってお仕事を作り、またお金もあげて城壁の外にユダヤ人を引っ張りだし、街を広げたとのことでした。

 

昼食後はオリーブ山に向かいます。

オリーブ山からの景色。空から不思議な光が降っています。

 

 

資料より:

オリーブ山には古代から使われている墓地があり、ダビデ王の時代から今日に至るまで使用されている。山の麓にはゲッセマネ、べテパゲ、べタニヤがある。

この写真の右下に見える四角い石はお墓です。

聖書箇所

・イエス様はエルサレム入場のためにロバに乗られた。(マタイ21:1~10、

 マルコ11:1~10)

・弟子たちに終わりの時代について語られた。(マタイ24章、25章)

・最後の晩餐の後、イエス様はオリーブ山で祈られた(マタイ26:30、

 マルコ14:26、ルカ22:39)

・イエス様はオリーブ山から昇天。(使途1:9~12)

・イエス様がもう一度来られる再臨の場所。(ゼカリヤ14:4)

 

 

オリーブ山からゲッセマネの園まで坂を下って歩きました。

道路を挟んで向かい側に黄金門が見えました。

 

 

 

栄子先生のメッセージから。

昔は至聖所から黄金門を通ってオリーブ山まで一直線だったそうです。

今黄金のドームが建っているところからはかると一直線にはならず、ドームが少し

左にあるそうです。するとドームかゲートがずれているということで本当にゲートがここにあったのかどうかが気になるところです。

ある時、ヘブライ大学の考古学の先生がゲートの前を歩いていたらいきなり

穴に落ちたそう。でよく見ると昔のゲートがそこにあったそうでここは間違いなくゲートのあったところだと確信したと栄子先生は直接その先生から話を聞いたとのことでした。翌日仲間をつれてもう一度来た時には誰かがセメントで穴を埋めてしまってたそうでもう見られないようです。誰がどうして埋めたのかな?

ということで帰国後、栄子先生に質問をしてみました。

黄金門の周りにはイスラムの人たちのお墓もあるそうで、ユダヤ人があちこち掘り起こすのを嫌がっていたイスラムの人達が埋めてしまったのだろうとのことでした。

また、ユダヤ教のメシヤは黄金門から入ってくるのを知ってるイスラムの人たちは黄金門の前にお墓を作っておけばメシヤもそこは汚れていると思ってそこから入ってこないだろうと考えているとのことでした。現に門もふさがれていますしね。

 

次はゲッセマネの園です。

ゲッセマネの園(万国民の教会)

オリーブ山の西麓に位置する。ゲッセマネとは油絞りという意味で、オリーブの木が茂り、圧搾所があったところ。

 

 

 

メッセージより、

イエス様の最後の晩餐の後のこと。ルカ22:39~

その日は過ぎ越しの祭りでお祭りのきまりとして4杯の盃を飲むそうです。

お酒を飲み食事をした後に弟子たちとここに来て、イエス様はお祈りをしてたのですが、弟子たちは眠り込んでいました。私もそこにいたら弟子たちと同じだったと思います。イエス様はここで血の汗を流しながら、必死にお祈りをしてる時にです。イエス様が同じお祈りを3回するのはこの箇所しかないそうでそれほど苦しかったと。

ある時栄子先生がこの盃に何が入っていたのかと神様に聞いたところ、

到底飲むことの出来ない汚物のような人間のすべての罪が入っているのだと神様が教えてくれたそうです。罪のないイエス様がこの罪の盃を受けることはどれほど耐え難いことだったのでしょう。生まれながらに罪をもっている人間には想像も出来ないほどの苦しみだったのだと思います。イエス様がその盃を飲んで罪人と同じになって、私たちが罰を受けなくてもいいようにと身代わりに十字架にかかってくれたことを、どれほ大きな事として私がわかって感謝できているのかな、

ただただ、天の御国に入れる罪のない永遠の命をくれたことをありがとうございますとしか言えません。

イエス様が罪を飲んですぐにローマ兵に逮捕されました。ローマがユダヤを治めていたのでユダヤの刑罰でなくローマの死刑の十字架刑にかかったことも預言のとおり実現したのでした。

 

もう夕方でしたがこの日最後の場所、城壁です。

雨が降ってきました。よく雨が降りますね。

兵隊さんがたくさんリラックスした様子で集まっていました。何か集まりがあったのかな?

嘆きの壁は第2神殿(BC516~AD70)の西壁の残された部分。

ユダヤ教の最も聖なる場所。

 

ここが西壁です。

 

 

石壁に灯りがなんとも素敵です。

 

 

ここは西壁と南壁の角です。

下には崩された昔の石がゴロゴロと転がっています。一つも積まれたままで残らないという預言も成就してますね。

神殿は丘の上にあったのですから下から登ってくる人にはどれだけ巨大に見えたのでしょうね?見てみたいですね。

 

 

ホテルに戻り、

私たちの最後の晩餐も終わり~楽しいけどさみしいです。

 

 

いよいよ明日は最終日です。

 

2020イスラエル&ヨルダンツアー 8日目(後半)

2月17日

マサダからエルサレムへ。

 

クムランを出てからエルサレム郊外のスーパーマーケットに連れて行ってくれました。お土産はここで買わねば!

ハーブティーやコーヒー、ナッツ、デーツなど。

ナッツなど味見ができてお店の人がどんどん在庫を出してきました。

悔やまれるのはインスタントのトルココーヒーを一袋しか買わなかったこと。

うちでは好評で大事に大事に飲んでましたがもうなくなり、

ネットで探したけど見当たらず買いに行くしかない!

そのためにイスラエルに行ってもいいくらい。てかまた行きたい!

 

 

インスタントコーヒーの山!

なんで一袋しか買わなかったのか?

 

 

こっちはハーブティーの山!

種類も豊富でパッケージの絵がかわいいの!

5箱くらい買ってきましたが配ったり飲んだりして残りわずか!

 

 

お野菜もカラフルで大きい。

 

 

どこの町でもスーパーは楽しいですね!一日いたいくらい。

 

 

エルサレムはまずは市街地が見渡せるスコーパス山へ。

 

 

もう夕方に近かったけどオリーブ山とは角度も違ってきれいに見えました。

黄金のドームがあるので城壁の場所がよくわかりますね。

 

スコーパス山での栄子先生のお話は創世記22章の

アブラハムがモリヤの山でイサクを捧げるところからでした。

神様はアブラハムに一人息子のイサクを捧げるようにと言います。

アブラハムが100歳の時に与えられた子供で、この時は20歳くらいになっていたそう。もう大人のイサクと二人でモリヤの山まで3日間歩いて登っていきました。

イサクは薪はかついでいったけど、いけにえがないのに不信感を抱いていただろうけ

ど逃げることもせず父に従って行きました。

イサクの心境はどうだったのかなといま思いました。

 

一方、アブラハムの心境はどうだったのでしょうか?

なぜ神様はこんな試練を与えたのか?

それは神様とアブラハムの関係に依ります。神はアブラハムのことを友と呼びました。アブラハムは神様と親友の関係だったのです。

神様は「私の一番大事なものを上げるからあなたも一番大事なものを私にくれないか」と言ったのです。

まさにイサクをほふろうとした時、神様はアブラハムが本気で神を畏れていると知って止めます。そしてアブラハムの子孫を大いに増やすと祝福の約束をされました。

そのアブラハムの家系からイエス様がお生れになり、

神様は一番大事なひとり子を私たち全人類に与えてくださったのです。

 

私たちに命が与えられたのはアブラハムの信仰のおかげなのですね。

今改めてアブラハムが信仰の父と言われていることを理解しました。

創世記22:15~18

 

今日泊まるホテルは

クラウンプラザホテルでして、あのアメリカのペンス副大統領もお泊りになったホテルだそうです。それだけでテンションあがる~

 

 

 

夕方、お部屋からこんな太陽が見えました。

エルサレムは標高が高いことがよくわかるのは山の天気みたいによく変わることです。

翌朝は霧が出ていました。

でも一日中、車やサイレンの音がして都会の喧騒を感じました。

 

 

 部屋からの夜景。一晩中、虹色のライトが点滅しててきれいでしたよ。

 

 

カメラをむけたら快く笑ってくれました。お肉美味しかったな~

 

 

 

 

お料理最高でした。

こんな時少食は損ですね!自分が少食かどうか?ですが

ケーキ類はほとんど食べられなかった。

 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>