こんばんは。

あいこです。

 

コロナの影響により、

テレワークが続いています。

なかなかブログを書く気になれず、

時間が経ってしまいました。

 

久しぶりに読み返してみたら

その時の状況を忘れてしまいそうだな、と

思いまして

続きを書きたいと思います。

 


入院して、手術当日を迎えた日。

何を思っていたか、

正直あまり覚えていません。

 

怖さはもちろんありましたが

これで一旦決着がつくのかと

少しほっとしたような気持ちだった

かもしれません。

 

父親が

もし何かあった場合は

病院のPHSで連絡するので、、

と看護婦さんからピッチを預かっていました。

 

手術室までは何重にも扉があり

付き添いの人とは途中で別れます。

 

ドラマで見るような手術台にあがると

緊張感はMAXでしたが

不安を感じる間もない程

手際よく準備が始まります。

 

酸素マスクをされ、

男性の看護師さんに

慣れた手つきで

手の甲に麻酔を打たれました。


注射された部分からすごく血が出ていて

それを見ながら意識を失いました。

 

 

 

目覚めたのは誰かに声を掛けられたから、

だったと思います。

 

腕には点滴、

両足には“シュコン、シュコン”と

音を立てる機械が付けられていました。

血流を促すため、

足の圧迫したり緩めたりするものです。


それから、尿を輩出する管と

手術したところからたまった血を貯める袋が

体に付けられていました。

 

とにかく朦朧としていて、

ただ寝ている体制でいました。

 


手術は体感的に

思ったよりあっさりとした出来事でした。


変な表現かもしませんが、

「ラク」でした。

 

そんな感想と共に

これからの私は女性としてどうなんだろう?と

思いました。

 

思ったままに言うならば


片方の胸にキズを抱えて、

女性として少し ポンコツ になった気分に

なりました。

 


普通の恋愛や結婚は無理なのかもしれない

と、思うと

心が空っぽになりました。

 

とりあえず、手術は無事に終わりました。

 

 

まず辛かったのは、

仰向けの体制から動けないことでした。


夜になって

足の“シュコン、シュコン”がずっと鳴っていて

それが

段々とイライラしてきます。

 


身動きとれない上に

単調な“シュコン、シュコン”が

本当に耳障りで

手術がどうとか、傷口が痛いとかの

問題ではなく

頭がおかしくなりそうなくらい

うんざりしました。

 


翌日にはその機械は外されたので

ホッとしましたが

そこからは傷口の痛みとの闘いでした。


少しでも動くと“ピリッ”と皮膚が裂けるような

感覚が走ります。

 

特に辛かったのはリハビリです。

 

病棟の廊下で

同じ状況の何名かの患者さんと一緒に

リハビリの指導を受けました。


私はワキの下のリンパも切除したので

左の腕がほとんど上がりませんでした。

 

 

ただ、

本当に自分の体というものはタフなもので

日に日にきちんと良くなっていきました。


友達や親戚が

お見舞いに来れる状況になりました。

 

ひとつ、私の最大の失敗は、

入院のことでバタバタしていて

契約社員の書類を会社に提出していなかったことです。

上司から至急出して欲しいと連絡が来て

焦りました。

 


検査やリハビリなどで

なんだかんだで目まぐるしく日が過ぎ、

傷口から血を溜める袋に、

血が溜まらなくなってくると

退院が近づくサインです。

 

1日、外出許可が出た日があり

その日はどこかへ

時間ギリギリまで一人で外に出ていたのですが

なぜか、何をしていたのか全く覚えていません。

 


それから順調に回復することが出来、

退院の日になりました。

薬をもらい、

会計を済ませて父親に送ってもらいました。

 


その後、

1ヵ月~1ヵ月半くらい

1日も欠かすことなく、

放射線治療に通わなければいけないという

試練がありましたが

仕事の合間を縫って

無事に終わらせることが出来ました。

 


放射線治療は軽いヤケドのようなものなので

当てた部分が少しづつ黒くなります。

 

手術した左の脇の下から胸の横にかけて

ブラックジャックの顔の傷と

全く同じ縫い目が付き、

漫画の傷跡は嘘じゃないと知りました。

 

この縫い目と、

放射線の四角いヤケドしたような跡は

いつか消えるのでしょうか...。

 

 

 

ここ数年、

再発の恐怖と密かに戦っていました。

またガンになったら、と

考えると眠れなくなることもありました。

 


昨年、

プランナーに医療保険の相談をしたとき

ガンを患った場合は

5年経たないと加入出来ないと言われ

私はまだ完治したとは言えないのだな、と

思い知りました。

 

その方は50代前後のおばさんで、

若くして病気にかかったということに

とても同情してくれました。

そして

「来年は入れるようになるから、

覚えておきます。

1年後に連絡しますね」と言いました。

 



昨日、その時のおばさんから電話が来ました。

 

些細な話ですが、

営業に熱心な方だな、と思うのと同時に

これで克服出来たのだな、と

実感しました。

もう大丈夫だよ、と知らせてくれたような

気がして私のことを覚えていてくれて

嬉しかったです。

 


 

人生の中で重く、

長く、辛い時間でしたが

 

また一つ動じないものを掴めた気がします。

 

病気以前のように

物事全てが

明るく見える訳ではありませんが

別の視点を持てたことを、糧にして生きます。


 

もう朝になってしまったので

それでは✋