先日夫と二人で、隣県に住む義父に会いに行って来ました。
義父は90歳を過ぎていますが、介護なしのケア付き自立型タイプの施設で一人暮らしをしています。
私は都合がつかずご無沙汰していたのですが、一、二ヶ月会わない間に少し耳が遠くなっているように感じました。
数ヶ月前までに訪れた時は一緒に外食できていたのに、今回は外出は難しいようで、体力も少しずつ落ちているようでした。
施設から駅に向かう帰りのバスの中で、途中の停留所で足の悪い老婦人がゆっくりと下車して行きました。
老婦人が去った途端、その様子を車内で見ていた高校生男子三人組が口々に「オレ年取って体が動かないのに生きていたくない」と話す声が聞こえてきました。
よくもまぁそんな事を口に出して言うものだ、と思いましたが、体の不自由さを経験したことのない、未熟な高校生の心から自然に出た言葉なのでしょう。
ついさっき義父は、この歳になって生きていることは苦痛でしかない、と言っていました。友達も皆死んでしまい、最後の一人になってしまったと。
体も頭も10年くらい前にはもう少ししっかりしてくれていたのに、このところは毎日体調が悪いことが普通で、だからといって死ぬほど具合が悪いわけでもない。
老婦人は足が悪いだけで体調は悪くないのかもしれません。でも明らかに歩行は辛そうでした。生きていることに疲れたと思う時もきっとあることでしょう。
体が死に向かっているのがわかるのに死なない。死ねない。そこにもし苦痛しか存在しないのであれば、確かに辛いことでしょう。
でも、辛くても生き続けることも人生の目的の一つなのかもしれません。
人は自分の人生を生ききって死ぬことができたら幸せなことです。
それは自分は何をするために生まれてきて、どう生きるべきかをよく考え、実行した結果に得られることなのでしょう。
頭と体が動けるうちに、心が感動できるうちに自分と向き合い、考え、自分の人生を生き抜いていく。
親や年長者の方たちは私たちに身をもってそのことを教えてくださっているのだと感じました。