子供の頃から心霊番組とか好きだった。
あなたの知らない世界とか宜保愛子とか。

あと、UFOの番組とかもワクワクして好きだった。ミステリーサークルとか。

でもそれは、子供ながらにエンターテイメントとして楽しんでたと思う。


そんな私だったけど、母に創価学会に入信させられて、死後の世界に対しては恐怖も感じていた。

輪廻転生・・・死後はこの世の行いをすべてジャッジされる。

例え人を傷つける言葉は口に出さぬとも、心で思っただけで同罪である。

とにかく人のために尽くしなさいという自己犠牲の精神。

などなどのオンパレード。

その中でも私が一番怖かったのが、自分という存在が消えないことだった。


いくら一生懸命に生きても何度も何度も生まれ変わり、まるで銀河の果てまで永遠に転生を繰り返し生き続けることに恐怖を覚えた。

そして、そんな自分は死んだら地獄に落ちるとおもっていた。

しかし、結婚し嫁に行き、普通の家の神棚と仏壇をみた。

朝、炊きたてのご飯をお供えする。

お線香も。それはご先祖さま。

宗教とは違う。だから彼岸やお盆の行事は全然嫌じゃなかった。

むしろ、みんなと同じく、そういった行事をしてることに安心した。

それまで、彼岸も盆も大黒様も仏壇を飾り付けたりお供えすることもなく、どんな日かも知らなかった。

今もよくわからないけど。少しは経験できた。

その後、波乱万丈の人生の中でスピリチュアルが流行。

私は、スピリチュアルは宗教ではなく、自分の意思で信じるもの、信じないものを選択できる、そこに魅力を感じた。

そこからは、
ザ・シークレット引き寄せの法則
木村藤子
江原啓之
ホ・オポノポノ
浅見帆帆子
雲黒斎
HAPPY
心屋仁之助

その他、占いやパワーストーン

この辺りの著書は読み尽くしたし、パワーストーンも何個か買った。ここに名前があがってない自己啓発にもハマった。

あんなに宗教は嫌いだったのに、スピリチュアル=宗教ではない!という思いが私をスピリチュアルに走らせた。

一方で、死後の世界や輪廻転生はあると信じていた。だから、

人はなんのために生まれるのか。

そこには意味があると疑わなかったし、死後はお勤めご苦労様みたいなイメージでいた。

辛いときスピリチュアルにすがったのも事実。

守護霊様が守ってくださってる。ご先祖様が守ってくださってると毎日感謝して眠りについたこともあった。

でも、Twitterをはじめて、アンチの声を聴いた。

最初は聞き流していたけれど、スピリチュアル業界が崩壊して、その世界の闇や嘘に気づき、目が覚めはじめる。

そして、今まで信じてきたものを、根底から疑いはじめた。

そもそも、生きることに本当に意味なんてあるのか?

死後の世界なんてあるのか?

ご先祖様は見守ってくださってるのか?

そもそも霊なんているのか?

もし、それらが本当は無だとすれば、私のやってることはなんなだ?

まったく意味がない。

なぜ、自分が見てもいないものを、ここまで信じた?

もともとエンターテイメントとして好きだったから?

人生につまずいたとき、藁にもすがったから?

とにかく、ネットで調べてもこたえはない。あるのは根拠の乏しいスピリチュアルの戯れ言ばかり。

そもそも死後のことなど、死ななければわからないこと。

昔、死後の世界があるか見てくると言って自殺した子がいたけど、死後の世界についての報告はなかったようだ。

つまりこれは、死人に口なしであり、死後の世界がないか、あっても人間とコンタクトをとることは不可能なことを意味しているともとれる。



誰かに、死後の世界はないことを証明してほしくて仕方がない。今日この頃。

みなさんは、どんな気持ちで仏壇に手を合わせてますか?

花を飾りますか?

墓参りをしますか?

私は、この辺りにすら意味があるのだろうかと感じています。

それからお札、祈祷、初詣、御守り、熊手、みんなお金で得るものです。

お寺も神社も由緒あるビジネスなんです。

そこにご利益ってあるのでしょうか?

例えば願いが叶ったとして、それが本当にその神様のお陰だといいきるのか?

自分の努力のお陰かもしれません。

私は今、すごくすごくそんなことが気になって仕方ないんです。