タイトルの通りなんですけど
私の母親が「毒親」ってことは、前からブログにも書いてたんだけど、
よく考えたら、私の家族は機能不全家族だったということに最近、気づいた。
母親の創価学会活動強要
父親は単身赴任でほとんど家にいない
家族で旅行した記憶はない。
両親は顔を合わせれば喧嘩
その姿を見てよく泣いてた。
母にいいように使われていた。
お姉ちゃんなんだから、と6歳離れた弟の世話は私。
そのくせ私の同級生のお母さんに合うと、○○ちゃんは勉強も運動もできて、すごいね~!なんて誉める。
黒ねこちゃんだってお手伝いして偉いよねっと友達のお母さんに言われても、「うちのこなんて~」と否定
我が子を誉めない母
だらしない母
朝起きられない母
休み明け、体操着や給食の白衣も洗ってなかったり・・・
集金袋はいつも遅れて持たせられた。
ある時同級生に初めて誕生日パーティーに呼ばれた。
何かプレゼントもっていかないと!と母に相談。お金もない。
母から渡されたのは、コーンスープだった。(爆)
それをもって行ったら翌年から誕生日パーティーに呼ばれなくなった。
当たり前か。
私が同級生にいやがらせをされて相談した時も
あんたが何かしたんじゃないの?
あんたにも悪いところがあったんじゃないの?
と、私を信じてくれなかった。
私は愛情に飢えていたと思う。
――――――――――
父は母をないがしろにしていた。
そんな父だけど、私たち子供には優しくて好きだった。
だから、なんかあるとお父さんの見方をしていた。
そしたらある日、母が半狂乱になりマグカップを投げつけてきた。
私はショックと驚きで泣いた。
そして、私が母を追い込んだんだと思った。そこから母への罪悪感が生まれた。
――――――――――
父は後に自分のお店を出したけど、母は反対していたから、一切協力しなかった。
父は独りで頑張った。毎朝5時に家を出て夜遅く帰ってくると、インスタントラーメンを作って食べて寝ていた。
この頃母はパチンコか寝ていた(鬼畜)
当時、父の休みは月に1日しかなかった。
そんな日が続き、父が胃潰瘍になって入院した。
当たり前と言えば当たり前の結果。
そこからトラブルもあって、仕事はガタガタと傾き、借金まみれでついに自己破産。
そんな家だから、気づいたときには私の居場所はなかった。
だから社会人になると、ほとんど家に帰らなかった。
弟の夕飯だけ準備して出かけて朝帰りの日々。
そのままデキ婚→嫁ぐ。
そして12年後離婚
まともな恋愛なんてしたことなかった。
愛なんて知らなかった。
そんなダメな私に無償の愛を与えてくれたのは子供たちだった。
それでも満たされなかったのは、元旦那がモラハラだったから。
母が夫に変わっただけだった。
私がふがいないせいで子供たちにすら、悲しい思いをさせてしまった。
私はゆがんでいた。
普通をしらない。
友達もいない
人間関係ってどうやって築くの?
親友ってどうやって作るの?
わからない。
いつも誰かの二番目、三番目、かそれ以下。
ならいっそ1人が楽。
でも、私が自分の居場所と思える場所は今もどこにもない。
唯一、自分の部屋の自分のベッドに入ったときだけが自分のわずかなわずかな、自分の居場所であり時間かな。
アラフォーでこれってヤバイよね![あせる](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
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