静岡県浜松市浜北区宮口
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/0d/a8/j/o1000061514444580866.jpg?caw=800)
自宅から新東名高速道路浜松SAぷらっとパークへ行く途中にある、昔ここを走っていた軽便鉄道の西遠鉄道(通称 宮口線)の宮口駅跡に何やら今までに無かったものが!!
ここはぷらっとパークへ行くために月に数回通るんですが今回初めて気付きました!
矢印の所です。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/51/1f/j/o0700052514444580884.jpg?caw=800)
以前は「軽便鉄道宮口駅跡」の標柱しか無かったんですが、写真入りの看板が!
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/c2/4a/j/o0800060014444580906.jpg?caw=800)
当時の写真と各駅の詳細が!これはめちゃめちゃ嬉しいです!!
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/17/d2/j/o0600045014444580922.jpg?caw=800)
当時の写真は初めて観たんで感動です!
西遠鉄道おさらい・・・
西遠鉄道の線路を敷設したのは、前身の西遠軌道である。西遠軌道は、浜名郡北浜村貴布祢(現:浜松市浜北区貴布祢)から引佐郡麁玉村宮口(現:浜松市浜北区宮口)間に延長4.2 km、軌間762 mmの軽便鉄道を敷設した。またの名を宮口線ともいう。当初は遠州電気鉄道線(元:大日本軌道浜松支社線、現:遠州鉄道線)が改軌した際に不要となった資材を用いたため、蒸気機関車を動力として運営していたが、後にガソリンカーに置き換えられた。沿線の人口は希薄、かつ路線も4.2 kmと短いことから、慢性的な赤字経営であった。末期には遠州電気鉄道(後の遠州鉄道)に経営を委託していたが、宮口の地に国鉄二俣線の駅開設が決まると営業継続は困難が確実視され、全線廃止された。
(Wikipediaより)
1924年(大正13年)7月1日 - 西遠軌道が貴布祢-宮口間に軽便鉄道を敷設し営業を始める。
1928年(昭和3年)
1月1日 - 軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更。社名も西遠軌道から西遠鉄道に変更する。
9月1日 - 遠州電気鉄道へ経営を委託する。
この頃蒸気機関車のガソリンカーへの置き換えが始まる。
1937年(昭和12年)10月6日 - 全線廃止。
1930年度の在籍車両は、蒸気機関車3両、気動車1両、客車3両、有蓋車2両、無蓋車1両であった。
動力車は遠州電気鉄道から購入したドイツコッペル社製の蒸気機関車。
(Wikipediaより)
1924年(大正13年)7月1日 - 西遠軌道が貴布祢-宮口間に軽便鉄道を敷設し営業を始める。
1928年(昭和3年)
1月1日 - 軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更。社名も西遠軌道から西遠鉄道に変更する。
9月1日 - 遠州電気鉄道へ経営を委託する。
この頃蒸気機関車のガソリンカーへの置き換えが始まる。
1937年(昭和12年)10月6日 - 全線廃止。
1930年度の在籍車両は、蒸気機関車3両、気動車1両、客車3両、有蓋車2両、無蓋車1両であった。
動力車は遠州電気鉄道から購入したドイツコッペル社製の蒸気機関車。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/e3/8a/j/o0800060014444580941.jpg?caw=800)
各駅跡にも看板が立つと嬉しいのですが・・・
おまけ・・・
数日前のローカル新聞のおまけの新聞に懐かしい浜松の写真が掲載されてました。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/f7/ea/j/o0800060014444580965.jpg?caw=800)
浜松駅、わたしが二十歳の頃まではこの木造駅舎でした。懐かしいです。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/e1/d0/j/o0800060014444580988.jpg?caw=800)