掛川城天守閣とおもろ~土産 | ねこじゃらし・Kの懐かし処

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ヤフブロ時代の過去記事

 
静岡県掛川市
 
昨日はカミさんのお母上を連れて掛川城へ・・・
 
久しぶりに天守閣へ登ってみました。
 
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ちょっと急な階段ですが頑張って登ってもらいました。
 
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掛川城
室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが掛川城のはじまりです。
戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城しました。働き盛りの一豊は大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門を建設するとともに、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注ぎました。掛川は、一豊の人生にとって大きな意味をもつ土地であり、高知城は掛川城を模して作られたとも伝えられています。
現在の掛川城は、平成6年(1994年)4月に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元されたものです。
(掛川市ホムペより)
 
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天守閣へは子供たちがまだ小さい時に一度だけ・・・
掛川の街を一望です!
 
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山内一豊の像
 
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WOW!こんなのもお出ましになるようです!
 
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鯉のぼりも揚がって賑わってます!
 
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天守閣の隣に佇む国の重要文化財掛川城二の丸御殿
 
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掛川城御殿
御殿は、城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用されました。書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室が連なり、各室は襖によって仕切られています。
当初は、本丸にも御殿がつくられましたが老朽化したり災害にあって、二の丸に移りました。
現存する御殿は、嘉永7年(1854年)大地震で倒壊したため、時の城主太田資功によって、安政2年(1855年)から文久元年(1861年)にかけて再建されたものです。
安政2年から明治2年(1869年)までの14年間は掛川藩で使われましたが、廃城と同時に勤番所と徳川家兵学校に転用され、廃藩置県とともに掛川宿に無償下附され聚学校として使われました。その後も女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用され続けました。
その後、現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国でも数カ所しかない、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建築物として、国の重要文化財に指定されています。
(掛川市ホムペより)
 
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ここの入口にこんなものが売られていました!
 
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見事におもろ~~なネーミングです!「これでよしなに」
 
小判の形をした焼菓子、しかも小判が付いてます!これは即買いでした!
 
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「お代官様ひとつこれでよしなに」「おぬしもなかなか悪じゃのう」
と箱にしっかり書かれてます(;^_^)
 
おまけの小判はズッシリです!
 
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・・・で、5枚の内一つにこんなのが入っていたんで驚きました!しかも一袋に2枚入っていたんです!金箔が入ってます!!\(^o\) (/o^)/
 
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箱の裏書に書かれていたんですが、よく見ると金箔は1枚と書かれてます・・・それが2枚でした!大当たりだったのかな?!
 
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おまけ・・・
深蒸し茶で有名な掛川新茶で賑わってます!
抹茶ソフトミックス頂いちゃいました。
やはり本場一味違います!めちゃめちゃ美味です!!
 
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お母上にはたいそう喜んで頂きました。