静岡鉄道駿遠線①・・・お袋望郷編 | ねこじゃらし・Kの懐かし処

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ヤフブロ時代の過去記事

 
静岡県掛川市横須賀
 
掛川市大須賀歴史民族資料館にあった静岡鉄道駿遠線「新横須賀駅」の跡・・・
 
廃線になった新横須賀駅の当時のものが、ここにそのまま残っていました。
 
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静岡鉄道駿遠線

駿遠線(すんえんせん)は、かつて静岡県中部、藤枝市の大手駅から新藤枝駅(東海道本線藤枝駅前)を経由し、駿河湾西岸、御前崎付近及び遠州灘北東岸を回って袋井市の袋井駅(東海道本線袋井駅前)を結んでいた静岡鉄道の鉄道路線。軌間762mmの軽便鉄道で、線名は駿河国と遠江国を結ぶことから付いた。なお、大手 - 新藤枝間を大手線として区別することもある。
元は藤枝からの藤相鉄道(とうそうてつどう[2])と袋井からの中遠鉄道(ちゅうえんてつどう[2])が、静岡電気鉄道(後の静鉄静岡清水線)など他の運輸事業者と戦時統合して静岡鉄道となり、戦後に藤相・中遠両鉄道の末端部をつないで一本の路線としたものである。
その結果、大手 - 新藤枝 - 新袋井は全長64.6kmと、軽便鉄道としては日本最長規模になった。
その複雑な生い立ちと長大さから、使用される車両も引き継ぎ車、静岡鉄道自社製を中心に種々雑多で、鉄道ファンには人気の高い路線だったが、モータリゼーションの荒波に抗し切れず、また老朽化した大井川橋梁の架け替えに多額の費用を要することから、全通からわずか16年後の1964年(昭和39年)より区間廃止が始まり、1970年(昭和45年)8月1日付けで全線廃止、バスに転換された。          (Wikipediaより)

駅名標

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名所案内板

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当時の新横須賀駅のホームにこれらが・・・
 
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一緒に展示してあったこの本に載ってました。
 
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時刻表運賃表
 
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鉄道レール    ・・・細いです
 
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鉄道員制服タブレット
 
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制服のボタン    ・・・「エ」のマークが光ります。
 
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「わたしのお袋の思い出の新横須賀駅」 (静岡鉄道中遠線だった頃かと)

1945年浜松大空襲でお袋たち(母親・継父・妹)が焼け出されて、少し離れた親戚の家へ・・・
 
継父がその時の空襲で大火傷を負った為、母親と幼い妹は浜松に残って継父の看病にあたった。
 
そしてお袋一人だけは旧大須賀町横須賀にある戦地で亡くなった実の父親の実家へ勝手に置いていかれた。
 
来る日も来る日も毎朝母親が迎えに来ると信じて新横須賀駅に向かった・・・雨の日も風の日も・・・
 
けれど何日経っても迎えには来なかった・・・厳しい肩身の狭い生活、そしてここで終戦迎えた。
 
・・・業を煮やした実父の妹(叔母)がお袋を連れて浜松の親戚の家へ・・・もうそこには家族は居なかった。
 
家族は島根県の継父の実家へ黙って行ってしまっていた・・・お袋が小学校2年の時です。
 
戦時中にはよくある話だったのか・・・
 
その後、名古屋の親戚、島根県の継父の実家へと・・・最終的に子供が無かった母の兄夫婦がお袋を島根県まで迎えに来てお袋を養女に迎え浜松に帰って来た。
 
お袋の浜松に帰って来た当時の思い・・・「浜松に帰って来れて良かった・・・」その気持ちが強かったとのことでした。
 
 
 
写真上、昭和42年新横須賀駅が残っていた頃。 写真下、廃線になった後の最近の様子。
 
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南方向、現在の新横須賀駅跡の様子、今は何も残っていません。
 
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左に見える「かねきや割烹旅館」は今も健在です。
 
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北方向、こちらからお袋が新横須賀駅へ向かった道・・・
移動式信号機の右角に最近立ち寄る「風紋館」があります。
 
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今気付いたんですが、この風紋館築100年以上経ってる古民家なんで、当時のお袋の事を見ていたのかもしれません。
 
 
この後、西方向の袋井方面へ駿遠線(中遠線側)の遺構を少し探しに・・・