前回の記事で、89の事を書きましたが、

その後中国からのアクセスが一気にあがりました。

 

 

 

 

 

中国では89という数字はタブーになっているらしいのですが、

64もタブーになっているみたいです。

天安門事件が89年にあったのでタブーになっているらしいです。

そして、天安門事件は、ロクヨン天安門事件というそうですね。

 一昨日まで知りませんでした。

64は何かあると思っていたので、またここで繋がりました。

 

でも89は前に記事に書いたのに、今頃中国でアクセスが多くあるなんて

なぜでしょう。

 

なんかいろいろ考えて、警告メールのこととかひどいなとか

思いつつ、私は間違っていないと考えていたら

主に背くような悪魔的な考えが浮かんでしまいました。

あぁ私は悪魔なのだと思う方が納得すると思ったり。

悪魔の方がいろいろやりやすいかも。

悪魔だけど主に愛されている。

イエスもたしか言ってました。蛇のように賢くなれと。

そしてネットで見つけて、聖書ではどこに書かれてあるかわからないのですが、

イエス言いました。わたしは父に愛されているから私も父を愛し喜んで父に仕えると

言っていたと思います。

わたしも、主に愛されているので私も主を愛し喜んで主に仕えています。

 

ゲームのイベントシーン特集の動画を見ていて、

神が悪魔のように描かれていてうっかりすると悪魔側にいってしまいそうでした。

 

 

タイトルの件、前回の記事の詳細をここに残します。

 彼の6/19に神の啓示があったというのは、

わたしが6/18~6/19に彼に対しての想いとしるしです。

そして主が伝えてくれました。

(彼という人物の名前は伏せています。キリスト信者です。)

 

 

 

 

↓以下、警告メール

 

 

****

 

○○○○様

○○と申します。

昨日、聖書のエゼキエル書3章を読んで、気づかされ、わたしは○○○○さんにお伝えしなくてはいけないと思いメール致しました。

 

以下の部分です。

*****

エゼキエル書3.16-3.21

預言者の務め

七日の後、主の言葉がわたしに臨んだ。
「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの家の見張りとする。わたしの口から言葉を聞くなら、あなたはわたしに代わって彼らに警告せねばならない。
わたしが悪人に向かって、『お前は必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたがその悪人に警告して、悪人が悪の道から離れて命を得るように諭さないなら、悪人は自分の罪のゆえに死ぬが、
彼の死の責任をあなたに問う。
しかし、あなたが悪人に警告したのに、悪人が自分の悪と悪の道から立ち帰らなかった場合には、彼は自分の罪のゆえに死に、あなたは自分の命を救う。
また、正しい人が自分の正しい生き方を離れて不正を行うなら、わたしは彼をつまずかせ、彼は死ぬ。
あなたが彼に警告しなかったので、彼は自分の過ちのゆえに死ぬ。
彼がなしてきた正しい生き方は覚えられない。
また、彼の死の責任をわたしはあなたに問う。
しかし、あなたが正しい人に過ちを犯さないように警告し、彼が過ちを犯さなければ、彼は警告を受け入れたのだから命を得、あなたも自分の命を救う。」

 

***

 


エゼキエル書を読む前の昨日までは、
わたしは○○○○さんにお伝えしようとは思っていませんでした。
ですが、主が○○○○さんに救いの手を差し伸べていらっしゃるとエゼキエル書を読んで思いました。


以前、○○○○さんのブログで6/19日に神様から啓示を受けたと書かれていたかと思います。

---------ここから

 

※啓示の部分は省略します。


----ここまで


この啓示はわたしの想い(前日の6/18)とわたしのしるし(6/19に以下しるしをつけた)
にぴったりと一致するのです。

 

 

※しるしは以下の記事

 

また主のメッセージとシンクロ、月暈と地震、記事のアクセス数

 

 

 

 


わたしからも○○○○さんに主の御言葉を以下にしるし、警告させていただきます。
主から○○○○さんへのメッセージです。
↓以下

-----

イザヤ書29.9-29.16

 

酔いしれる指導者

 

ためらえ、立ちすくめ。
目をふさげ、そして見えなくなれ。


酔っているが、ぶどう酒のゆえではない。
よろめいているが、濃い酒のゆえではない。

 

主はお前たちに深い眠りの霊を注ぎ
お前たちの目である予言者の目を閉ざし
頭である先見者を覆われた。

 

それゆえすべての幻は、お前たちにとって封じられた書物の中の言葉のようだ。
字の読める人に渡して、「どうぞ、読んでください。」と頼んでも、
その人は「封じられているから読めない。」と答える。

 

字の読めない人に渡して、「どうぞ、読んでください。」と頼んでも、
「わたしは字が読めない。」と答える。

 

主は言われた。
「この民は、口でわたしに近づき
唇でわたしを敬うが
心はわたしから遠く離れている。
彼らがわたしを畏れ敬うとしても
それは人間の戒めを覚え込んだからだ。
それゆえ、見よ、わたしは再び
驚くべき業を重ねて、この民を驚かす。
賢者の知恵は滅び
聡明な者の分別は隠される。」

 

災いだ、主を避けてその謀を深く隠す者は。
彼らの業は闇の中にある。
彼らは言う。
「誰が我らを見るものか
誰が我らに気づくものか」と。
お前たちはなんとゆがんでいることか。
陶工が粘土と同じに見なされうるのか。
造られた者が、造った者に言いうるのか
「彼がわたしを造ったのではない」と。
陶器が、陶工に言いうるのか
「彼には分別がない」と。

 

***

 

「封じられているから読めない」というのは、有料記事の事のようにわたしは感じました。

わたしがなぜこの日にしるしをつけたのかは、
熊本地震が人工地震だという○○○○さんの記事があったからです。
熊本地震は、わたしが封印を解き、その後主の裁きが下りました。
人工地震説は、主の御業や裁きを隠すための悪魔の手段だとこの時思いました。
わたしも人工地震説を信じていた一人ですが。。。
神の裁きがなんであるのか私たちは人工地震説でそのことを忘れてしまっていました。
悪魔の罠に私たちは嵌ったのです。
人工地震説の有力の情報があれば、そちらを疑いもなく信じる。
人工地震説のその情報をくれる人が工作員かどうかも疑いもせず。。。
そして○○○○さんに6/19に、神の御業について啓示があったのだと思います。
人工地震はあるかも知れませんが、
主の御業を人工地震といわれるのがとても嫌です。これはわたしの個人的な想いです。


そして、もう一つ。
主から○○○○さんへの手紙を以下に記します。

--------

 

ヨハネの黙示録2


エフェソにある教会にあてた手紙

 

エフェソにある教会の天使にこう書き送れ。
『右の手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が、次のように言われる。

「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、

また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、

彼らのうそを見抜いたことも知っている。
あなたはよく忍耐して、わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった。

しかし、あなたに言うべきことがある。

あなたは初めのころの愛から離れてしまった。

だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。

もし悔い改めなければ、わたしはあなたのところへ行って、

あなたの燭台をその場所から取りのけてしまおう。

だが、あなたには取り柄もある。ニコライ派の者たちの行いを憎んでいることだ。

わたしもそれを憎んでいる。耳ある者は“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。

勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。」』

 

教会とはブログの事だとわたしは思います。


わたしあての手紙もあります。
わたしは、6/4に手紙を受け取った夢を見ました。

そして数字6と4には意味があり、主は世界を十字架にかけられたというしるしです。

ヨハネ黙示録にある7つの手紙を、わたしは7/4に手紙全てにしるしを付けました。
そして、ダッカ人質テロで日本人7人が犠牲になり、7/5に遺体が日本に到着しました。
それが手紙の中にある“霊”です。
7/5付けの手紙だと思ってください。

自分の愚かさというのは見えにくいものです。わたしもそうです。
ここ数か月の間、○○○○さんが変わってしまったような気がずっとしていました。
高慢さが出ているようにも感じました。
それは気のせいではなかったのだと思います。
主は見ておられます。そして○○○○さんに救いの手を差し伸べられました。


わたしは主からお告げがありました。
ずっと私はうろたえておりましたが、
○○○○さんにこのメールを送ることにより、わたしは、主の僕であること自覚しなければ
ならないと思っています。
主の僕の務めとして○○○○さんにメールをお送りしました。
以上です。

 

----

 

 

それから彼から返信メールが来ました。

彼の返信メールはここに転載しません。

内容は、あなたが受けたものは神の啓示ではないということです。

そして彼はわたしに対して裁きの祈りを主にするとの事でした。

最後の彼のメールは、あなたは近いうち精神が錯乱するか、病にかかるか、死に至ります。

とのメールでした。

 

 

 

わたしのメールだけ以下に転載

 

 

 

一部省略

 
 
想像通りの○○○○さんからの回答でしたが、
わたしは○○○○さんに伝えたという主の僕である務めを果たしました。
 
○○○○さんを批判したのではなく、主の御言葉です。
主は救いの手を差し伸べたのです。
あとはどうされるかどう悟るかは○○○○さん次第です。
 
わたしの自分の命は既に主にゆだねております。
命を狙われてるのは覚悟のうえです。
私はこれから主の僕として使命を果たさなくてはならないと思っています。
後悔だけはしたくありませんから。
 
信仰は長い短いは関係ないのではないでしょうか。
イエスキリストもそのようにおっしゃっていたはずです。
そして私は、聖書をかりに読んでいないとしても信仰の長さが重要ではなく
いかに悟るかが重要だとわたしは悟れるので、そのような事を先に○○○○さんが言った事に驚いております。
 
 
そしてわたしは主の僕でありながら、
主に背きに背いた人生を歩んできました。
主はそんなわたしをお選びになりました。
なぜ、権威もなく学力もなく信仰もなかった私を
主がお選びになったか○○○○さんにはわかりませんか?
 
 
※省略
主の御言葉は聖書にすべて記されているからです。
 
 
****
 
 
 
批判はしていません。主の御言葉です。
と前回の記事で書きました。
※前回の記事ではなくメールの間違い
 
批判をして私はなんのとくがあるというのでしょう。
本当に○○○○さんと言う方がどういう方がわかりました。
とてもプライドが高いのは前々から感じておりましたが。
 
一部省略
それでもその間、主からたくさんの祝福としるしをもらいました。
今の科学では証明できないでしょう。
霊の世界は本当にあり、悪魔崇拝者はその情報を得るのも早い。
わたしたちより一足それ以上早く悪魔崇拝者は先に進んでおります
 
わたしが本当の神様を知り信じる事ができ、聖書にも出会えたのは
○○○○さんの書かれている文章のおかげです。
霊の世界も○○○○さんはあると最初からおっしゃっていました。
○○○○さんの言葉で私はすんなり信じることができました。
他の方だったら同じようにすんなり信じる事ができただろうかと今では思います。
その事については感謝致します。
 
****
 
 
どうぞわたしを裁くように主に祈ってください。
わたしは何も怖くありません。
わたしは主にただただ仕えるだけの者です。
 
 
どうぞ主よ、わたしの○○○○さんへのメールが間違った行いをしているのであれば
どうぞ、主よわたしを裁いてください。
わたしは、務めとしてやったまでのことです。
主の御心にかないますなら、どうぞ○○○○さんがわたしに対する裁きの祈りをかなえてください。
わたしは何もこわくありません。

 

***