「……コ…ォーン?」
魔犬の尻尾による強かな突っ込みを受けた魔術師の男が口の中で小さく短く詠唱を唱えたかと思うと、キョーコの視界がくにゃりと僅かに歪んだ次の瞬間にはみるみると霧が晴れてゆくようにキョーコの目の前の男が姿を変えた。
人間離れした美貌はそのままに、傍らの魔犬の毛並みと同じく月も星もない深い闇夜を溶かしたかのような黒い髪と瞳が色を変える。
輝くような見事な金の髪と不思議なゆらぎを秘めた翠の瞳。
大きな琥珀色の瞳を驚きで更にまんまるく大きくしたキョーコの唇から思わずに零れ落ちた名前。その名前に、ローブを纏った魔術師はにこりとさも嬉しげに唇を綻ばせてみせたのだった。
その神々しいまでの笑みに、キョーコは確信する。
そして、鮮やかにありありと思い出したのだった。
確かに……確かにキョーコは目の前のこの男を夢魔として『食べる』と、そう約束を交わしたのだったと。
 
 

 
 
 
その赤子は異端として、小さな領土を預かる人間の夫婦のもとに産まれた。
乳飲み子を抜け出したばかりの頃から、どう考えても人並みを外れた聡明過ぎる成長を見せる幼な子。端麗に作り物めいて整った美貌も相まって、人びとは幼な子を不気味がった。
だが……クオンと名付けた我が子を、彼の家族はただありのままに受け止め慈しみ育てた。
聡いクオンは物心ついた頃には、理解していた……自分の瞳には、『人間には見えてはいけないもの』が映ってしまっているのだと。
草木の合間に光るぼんやりとした揺らぎや暖炉の火の中を踊る小人に翅を生やした小さな獣。
クオンが成長するに従い、数を増やし、小さなものだったのがだんだんと人ほどにも大きくなってゆく。
白い幾対もの羽を持つ光の塊や蝙蝠の翼を広げる闇色の歪み。
クオン以外の人の目には見えない彼らは皆、揃って言うのだ。
『嬰児よ、我らの愛し嬰児。おいで……さぁ、還っておいで』と、そうクオンへと誘いの声を投げる人ならざる者たち。
「違うっ!お前たちの仲間なんかじゃない!!俺は……俺は…………人間なんだ。」
人ならざる者たちが現れるたびに、クオンはその誘いの声を否定した。消え失せろと、そうクオンが強く念じるとパツンッと弾け散る。
まだ片手にも満たぬ年端の幼な子の内に、クオンはそんな異界の者たちのクオン以外の誰の目にも映らない返り血で汚れる事にさえ慣れてしまい、その顔からは表情が抜け落ちてしまっていた。
クオン以外の誰もいない筈なのに洩れ聞こえる何者かの声や光、一瞬に血生臭いような匂いとして残る残滓のような日常からかけ離れた異物の気配が、クオンから人を遠ざける。異端な存在として怯えて白い目で見られ、ひそひそと密やかに囀られる排斥の声がクオンを孤立させる。
クオンを留まらせてくれているのは、ただひとえに彼を愛してくれる家族の存在だけだった。
でも……それでも、幼くも聡いクオンは感じ悟ってしまった。
クオンの両親が治める領地の領民たちが皆、蝗の数が増えたのも、病が流行ったのも、日照りが続いたのも、そんな平穏な日々に訪れ重なる悪い何かの原因をクオンという異物の所為だと、そう信じはじめているのを。
両親は必死にその声を否定し、クオンの耳に入るのを塞ごうとしてくれていたのだが…………
クオンがこのままこの地に留まればそう遠くない先に、クオンを災いの種として糾弾する群衆の狂気と怨嗟の声が彼の家族をも巻き込んでしまう未来が待ち受けているのだろうと。
そうして、クオンの年の数がやっと10になる頃の夜にクオンは寝静まる彼を深く慈しんでくれた家族へと心の中でお礼と別れを告げ、こっそりとひとりで領地の外れの大きな森へと向かった。
幸い、クオンには2つ上のリックという優秀な兄がいる。自分ひとりが消えれば民たちの不安の声も消えて時が過ぎ、そして兄が両親の後を継ぎ領地を平和に納めてゆくだろうと、そう祈るように。
深く、暗い森の中へと彷徨い込んだクオン。
あてどないクオンはやがて、人間の目には見えない異界への空間の裂け目を見つける。
ゆくあても生きてゆく希望もないまだ幼いクオンは、どうにでもなれとその歪みの中へと身を投げ落としたのだった。
 
 
 
 
「わかった、食べる!私が、貴方を食べるから……だからっ!」
 
 
 
 
 
クオンが落ちて堕ちた先。天から見放された魔物たちの蠢くただひとの来る筈のない世界。
そこで、クオンはクオンの為にその美しい琥珀色の瞳に涙を浮かべてくれる、まだ未成熟のサキュバスのキョーコと出会ったのだった。
 
 
 
 
 
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前後編で纏められませんでしたー!!
ヘーイ、お嬢さん今言ったよね?俺を食べるって言ったよね?じゃ、ここに判とサインを……的な勢いの魔術師さんになりそーぅ?
_(:3」z)_



我ながら、凹んで生きる気力のない蓮さんな時に、自分の為に泣いてくれるキョコちゃんの存在が……って、出会いが好き過ぎるでしょうに。
(^▽^;)



次回、いざ実食???……まで辿り着けるかな?



 ↓拍手のキリ番っぽいのを叩いちゃった方は、なにやらリクエストしていただくと猫木が大喜利的にぽちぽちと何か書くやもしれませぬ。

 


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