制服を着た女の子を腕にまとわりつかせたまま、振り向きもしない窓の外の遠く小さな少年の背中。
ひたりと、彼にだけに向けられていたキョーコの縋るような瞳。王子様だと、彼をそう言ったキョーコの言葉。
掌に食い込んだ爪の痛みと湧き上がるみたいな激しい制御の利かない感情の渦。医師としての労働を終えて帰り着いた自宅でひとり、らしく無く自分を振り回す感情の根源を探っていた蓮はやがて気付く。
致命的な迄に、堕ちるように深く己の胸に根を張ってい病に。
恐ろしいその熱病の名が、はじめて落ちた恋なのだと。





彼ひとりへと捧げられたキョーコの直向きな思慕と献身を、かえりみることなくあっさりと踏み躙る未来が見えるようなショーの言葉と態度。
一緒に東京へと行ってキョーコの王子様の夢が砕かれた時に、繋ぎ止めるもののないキョーコは、またあの暗い落胆の瞳をして……
死というある種の甘い誘惑を含んだ暗闇からの誘いに、ふらりと踏み出してはいけない一歩を飛び越えてしまうのだろう。
蓮にはその予測ただ、堪らない程に恐かった。
護るのに……ほんの僅かな一瞬の刹那でもいい、ショーへ向けたキョーコの瞳を蓮へと向けてくれたなら。大切にして涙に濡れてしまわないように、何に変えてでも慈しむのに。
けれど、蓮とキョーコはただの医師と患者でしかなく、きっと蓮が見聞きしたショーの言葉を本性をキョーコへ告げたとして……思い止まってくれるだろうか?
17年になるキョーコの歩んできた時間のほぼ全てを共に、そして自己犠牲の果てに救いを求める狂信者じみた王子様の夢を思い描いた幼馴染みだ。
「そんな事はない。お前だけなんだ……一緒に来てくれないか?」
そんなひと言でもあれば、どちらに天秤が傾くか分かりきっているみたいだった。
だから、キョーコを首輪で繋いで閉じ込めて。
そうすればスカウトの声に舞い上がりチャンスに飛び付こうと焦っていたショーは、きっとキョーコを諦めて友人たちとの会話にのぼっていた胸の大きな美森だか誰だかで妥協するだろう、そう考えていた。
実際のところは予想外にも、蓮の勤務先である病院のナースの祥子に手を出して乗り換えていたのだけど。
あからさまに女を武器に、蓮も何度か誘われた事のある典型的な男がいないと駄目で、男を駄目にする女だ。
妻君のある同僚の医師と不倫の仲であったが、じわじわと奥方への暴露を臭わせるような祥子の言動に嫌気がさして多少の手切れ金と共に東京の病院への口利きを条件に何とか手を切った、そう聞いていた。ショーにとってはさぞかし、あぶく銭を掴んで膨らんだ東京へ転移する予定だった祥子は渡りに船だったのだろう。
そうして、キョーコがショーを追って行かないように、無理矢理にキョーコの身体を奪った。
夢見がちな所のあるキョーコの事だ、純潔を奪われてまで王子様を追っていけるとは思えなかったから。
その果てに、キョーコに怯えられて泣かれて、嫌われ厭われて……怨まれてでも
ただキョーコを繋ぎ止めるなにかに蓮はなりたかった。其れに、全てを賭けたのだ。





慣れた男には削ぐわないどこか辿々しく恐る恐るに頬を濡らす涙を拭う蓮の指さきに、キョーコは自分が泣いている事にやっと気が付いた。
「彼の為に、キョーコちゃんに泣いて欲しくなかった…………でも」
知らなければずっと夢を見ていられたのに、誰からも……本当に誰からも必要とされないひとりぼっちだなんて。でも、突き付けられてしまった。まごう事なくキョーコの王子様のその口から。残酷なまでにはっきりと。
キョーコの思考はごちゃごちゃで、茫然とぼんやりとした視界の先には、苦々しく整った顔を顰たが、少し息を飲むとキョーコから視線を逸らす事なく続ける。
「せめて、キョーコちゃんの望みに沿いたい。彼と……彼をあの女から取り戻して一緒に東京に行きたいのなら、あの女を彼から遠ざけてあげるし東京での生活の費用も用意する。法の下に償いを望むならそうする。復讐の対価に俺の命を望むなら、それでもいいよ。キョーコちゃんが……本当にもう2度と目を開くことを拒むのなら、俺が……この手で、苦しむ事なく眠らせて……」
ぎゅうっと白衣の袖の先から出た大きな手が握り込まれていく。頬に触れる指さきが震えるのを感じながら、キョーコは口を開く。
「ど…して……なんで先生が……そこまで?」
恐ろしいというよりもただ、不可思議だった。だって、キョーコの歩んで来た人生には今まで、キョーコの為に全てを投げ打ってでもキョーコへなにかをしようとしてくれる存在なんていなかったから。
キョーコのその疑問に、蓮は落ちていた眉を更に少しだけ落とした。
成人男性の平均値よりずっと大きな筈の体躯、だけど、キョーコには何故か雨に濡れた寂しげな黒い犬のように思えてしまった。
絞り出すような、でも、どこまでも一途に、神に対する懺悔のように真剣な低い蓮の声が、答えた。





「キョーコちゃんを……愛してるんだ」





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うちの敦賀さんの殺意(自他共に)が高いのは、猫木の性癖ゆえにございますっ!!
(*ΦωΦ)



次回、最後話☆
唐突に終わります予定ですが
よろしければ、へん◯医に最後までお付き合い願いますわ。
ヾノ。ÒㅅÓ)ノシ



↓拍手のキリ番っぽいのを叩いちゃった方は、なにやらリクエストしていただくと猫木が大喜利的にぽちぽちと何か書くやもしれませぬ。


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