母との和解に向けて

   前回のブログの内容では 母がすごく悪者に見えたか 私がどれだけ 被害妄想なバカな人間に見えたか どちらにしても 読んでいて記事ではないことは 明白。
  いいねを下さった方々に 申し訳ないと思います。
    母と同居して 母に家事を やってもらっているにも かかわらず 子どもの頃のことが どうしても 心にひっかかり 拒絶しているのだ。 
  母に何かを言われても 聴く耳を持てないし  何かを話しても 同調してもらえないから 話す気にもならないことも多かった。
 一緒に住んでおきながら さみしい思いをさせてしまったと思う。
このままではいけない
 母は 私と同じく パク・ヨンハさんが好きだった。共通の話題で ヨンハのドラマや DVDを 一緒に見たり 感想を言ったりして 私なりのリハビリの仕方で努力してきた。
  私の中での母との関係を良くしていきたいと思うことに 水を差すのが、たまに話題にでてきてしまう 聖書の教理である。
  『純粋なそらにはあのエホバの教理が合ってると思う。
  排斥されたわけでもないのに私を 村八分にしてきた あの集団が。強い人間に痛め付け 崩れそうな人間に愛が足りないと言うような 教えが どこがあってるんだ。
 『あんたは 尻尾降って逃げておいて、私を教団に売っておいてよくそんなことが言えるな。それはエホバの集団に 辛抱強く耐えて 中にいる人間が言うべき言葉でないのか?
  そんなことで必ず口論となる。
あんたはエホバのことで 私を責めるけど、じゃあ過去をどうすればいいのよ』と涙ぐむフリ

はい!来ました!!被害者面 !
  こんなやり取りを うんざりするほど重ねてきた。母も 親としての良心を 植え付けられた被害者なのである。
 そんな風に 思えるようになってきた。