業界のキーマンが語る「米中半導体摩擦」前夜

小柴 満信 : JSR前会長、経済同友会経済安全保障委員会委員長

2024年08月06日

いま、半導体が「熱い」。

アメリカのバイデン大統領は中国への半導体規制の強化を検討、トランプ前大統領が台湾の防衛費支払い義務について言及すると半導体関連株が急落、マーケットも敏感な動きを見せるなど、世間の耳目が集まっている。

2023年まで経済同友会の副代表幹事をつとめ「半導体業界のキーマン」として知られる小柴満信氏は、2010年代の中ごろから中国の半導体産業国産化への姿勢に脅威を感じ、いち早く警鐘を鳴らしていたにも関わらず、アメリカの危機感は低かったと語る。

どのような経緯で対中制裁は強化されていったのか。小柴氏の著書『2040年 半導体の未来』より抜粋・編集してお届けする。

中国製造2025の脅威

「SEMI(Semiconductor Equipment and Materials International)に加盟する企業の皆さんは、中国進出に気をつけるべきだ」

SEMIとは、半導体の装置、材料、ソフトウエアをまたいだ世界的な業界団体だ。SEMIは毎年1月に米国でストラテジー・カンファレンスを開く。

忘れもしない、2018年1月のストラテジー・カンファレンスで、壇上に立った私はこうスピーチした。中国をサプライチェーンに深入りさせることに警鐘を鳴らしたつもりだった。

ところがこの発言は、強い批判を浴びた。

「ミスター・コシバ」

振り返ると、SEMIの幹部が渋い表情をして見つめている。

「あのスピーチはどうだろうな。世界はグローバルだ。サプライチェーンもグローバルで成り立っているのだから、中国批判はあまりしないでくれ」

何だって……。私はあまりの認識の差に驚いた。

私が中国を警戒する根拠はほかにもあった。中国が2017年6月1日に施行した「サイバーセキュリティ法」である。

サイバーセキュリティ法の内容の多くは、インターネット上のセキュリティの危険性をつみ取ろうとする至極まっとうなものである。ただし、「(中国にとって)重要な情報インフラを攻撃・破壊する国外組織や個人に対する処罰」をすると規定している点が、私は気になった。

もし将来、中国で「半導体は重要情報インフラである」と位置づけられ、中国が自国の半導体産業の競争力に自信を持ったらどうなるか。おそらく、外国企業が自社の中国工場から本国にデータを持ち出すことが許されなくなる。同様に、外国企業が中国半導体メーカーに納入した装置からもデータは抜き出せなくなるだろう。そう直感したのだ。

米国議会も早くから警戒していたが…

このころ、同じように、中国の動きをいち早く危険視したのが米国議会である。

中国の通信機器メーカーに安全保障上の脅威があると調査を開始し、2012年には政府に中興通訊(ZTE)製品に規制をかけるよう進言した。

しかし、このときの米政府の反応は鈍かった。

米国には「PCAST(President’s Council of Advisors on Science and Technology)」という諮問機関がある。イメージ的には大統領科学技術諮問会議といったところだろうか。

PCASTのメンバーは15人程度で、学者のほか、経済界からも加わるのがつねだ。年に数回会議を開き、政策のもととなる報告書を発表する。

いろいろな評価があるドナルド・トランプ前大統領だが、コロナワクチンの開発・供給計画「オペレーション・ワープ・スピード」は、間違いなく大きな功績だったといえる。まさにすさまじいスピードでワクチンをつくり上げたのだが、その背後にはPCASTの提言があったといわれている。

そんなPCASTで、「半導体の長期的な競争力を保つための方策」がテーマになったことがある。バラク・オバマ元大統領の2期目の終盤に当たる2016年のことだ。

このときは、世界第3位のファウンドリーであるグローバルファウンドリーズの社長だったアジット・マノチャ(SEMIの現会長兼CEO)や、インテルの第4代社長クレイグ・バレットなど、そうそうたるメンバーが招集された。

しかし、PCASTが出した提言は、米国が中国をグローバル経済において欠くことができない貿易相手国と見ていたことがわかるものだった。

「中国には懸念材料が山ほどあるが、世界はグローバルであり、半導体は非常に複雑なサプライチェーンになっている。それには手をつけられないだろう。だから、米国は他国に追いつかれないように速く走ればいい」

世界中の情報が集まる米国の、しかも大統領の諮問機関でさえ、グローバリズムは未来永劫続くと考えていたのだ。

ファーウェイのバックドア疑惑

米国の対中制裁がようやく本格化したのは、2018年4月になってからだ。

きっかけは、中国通信機器大手のZTEが、米国の拠点からイランや北朝鮮に違法に通信機器を輸出し続けたことだった。米国政府はZTEに対し、米国企業との取引の7年間禁止を言い渡す。

2019年に米国政府は、中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)も輸出管理法に基づくエンティティー・リスト―― つまり禁輸リストに加え、米国由来の技術やソフトウエアを使用した製品の輸出を許可制にした。ファーウェイの製品に、不正アクセスの侵入口である「バックドア」が仕掛けられ、機密情報などが漏洩するリスクがあるという理由からだった。

この影響は、ファーウェイ製品の半導体を設計するファブレス子会社の中国ハイシリコンや、生産を請け負うSMICにもすぐさま飛び火した。

わずか数年前にはPCASTで「懸念なし」としていた米国が〝変心〞した理由は何だったのか。

1つは、ZTEの違法輸出やファーウェイのバックドア疑惑が、米国の経済安全保障政策をあからさまに刺激する行為だったことだ。さらには、2019年から始まった新型コロナウイルス感染拡大が半導体の製造・供給を直撃したことがダメ押しになったのだと思う。米国でも自動車メーカーが減産に追い込まれ、政府間ルートで台湾に増産を要請する事態になった。

このあたりから米国は、中国の半導体国産化計画の脅威にはっきりと気づいたのではないだろうか。

中国が世界の半導体トップになる脅威もさることながら、中国に最先端半導体が十分に供給されると、最新鋭の武器に使われてしまうリスクもある。実際、2022年4月にロシアの巡洋艦「モスクワ」が、3週間前に開発されたばかりのウクライナの対艦ミサイル「ネプチューン」2発で撃沈されたが、これも、半導体を使ったエレクトロニクスの精度が向上したことがミサイルの精度に直結していたのは間違いない。

米中半導体摩擦へ

そこから米国はたたみかけていく。2020年5月には、中国に対して、米国由来の技術やソフトウエアを使用して生産された半導体を輸出規制の対象とするよう制裁を強化する。

この動きに呼応し、TSMCがファーウェイに対して半導体供給の停止に踏み切る。同年に米国は、SMICをエンティティー・リストに追加し、オランダのASMLしか実用化していないEUV露光装置を輸入できない状態に追い込んだ。

ただここまではあくまで個別企業を狙った制裁にすぎなかった。

2022年10月7日、ついに中国全体を対象にしたともいえる制裁に踏み切る。

・AI処理やスーパーコンピュータに利用される半導体の輸出禁止
・最先端半導体の開発・生産にからむ設計ソフトウエアと製造装置の輸出も禁止
・成膜装置の輸出も米政府の許可が必要
・中国の半導体装置メーカー向けの部品・材料の輸出も禁止

中でも、日本、韓国、台湾、オランダなどから輸入していた半導体製造設備や設計支援ソフトウエアまで規制したのは決定的だった。実際、半導体生産設備に強い日本やオランダなどがこの規制に呼応し、禁輸の対象は半導体メーカーなど世界36社に拡大された。

「10月7日制裁」は、中国の最先端半導体の開発・生産を事実上不可能にする意図のものだったのだ。