台湾総統選の争点には「92年コンセンサス」も

劉 彦甫 : 東洋経済 記者

2024年01月12日

1月13日には台湾で4年に1度の総統選挙が行われる。この数年、中国が台湾に対して軍事・経済など各方面で圧力を強めており、対中関係は選挙での争点の1つとなっている。

中国(中華人民共和国)は台湾が自国の領土の一部であるとする「一つの中国」原則を主張し続けている。台湾では「一つの中国」の立場を中台間で確認したとする「92年コンセンサス」を受け入れるかをめぐり、各候補で主張が異なる。民進党の頼清徳候補は「92年コンセンサス」を否定し、国民党の侯友宜候補は同コンセンサスを認める姿勢だ。

この「一つの中国」や「92年コンセンサス」をめぐり、世界各国や台湾社会の中だけでなく中台間でも考え方が完全に一致しているわけではない。では、「92年コンセンサス」とは何なのか。中台関係や国際政治史が専門で『中国外交と台湾――「一つの中国」原則の起源』などの著作がある法政大学の福田円教授に解説してもらった。

中国は台湾が自国の一部だと認めてほしい

――そもそも「一つの中国」とは何でしょうか。

まずは外交承認をめぐる争いがある。1949年以降、中国には中華人民共和国という政府があり、台湾には中華民国という政府がそれぞれ存在するようになった。双方ともに自分たちが「中国」を代表する正統な政府だと主張し、相手を認めない立場をとってきた。例えば、ある国が台湾側と外交関係を持つと、中国側とは関係を保てない形が続いている。

ただ、1980年代末以降、台湾では民主化が進んだ。中国からすれば、台湾で台湾人意識が強まり、「中国」とは異なる存在として外交活動をしたり、独立したりする恐れが出てきた。だから、中華人民共和国を「中国」を代表する政府として承認してもらうだけでなく、台湾は中華人民共和国の一部であることを認めるよう、国際社会に以前よりも強く求めるようになった。

今日の中国は「一つの中国」原則を主張しているが、この原則の下で、中国にとって最も重要なポイントは「台湾は中華人民共和国の一部」であることを、台湾および世界各国に認めてもらうことだ。

――世界はこの「一つの中国」原則にどう対応していますか。

日本を含む冷戦期の西側諸国の多くは、1970年代に中華人民共和国を「中国」を代表する政府として承認し、中華民国と断交した。一方で、「台湾は中国の一部」という中国の主張には、100%の承認や同意をしたわけではなかった。

アメリカは「台湾は中国の一部」という中国の立場を「認識する(acknowledge)」という立場で、欧州の中にはこの問題に触れていない国もあった。日本は1972年の日中共同声明で、これを「理解し、尊重」することに加え、「ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持」するとした。

日本としては、敗戦した旧宗主国として台湾を「中国」に返還し、1972年以降の日本政府にとってその「中国」とは中華人民共和国を意味するが、その時点での現状として台湾が中華人民共和国の一部になっているとは言えないという立場をとった。

――「一つの中国『原則』」とは別に、「一つの中国『政策』」もあります。

「一つの中国」原則とは、中華人民共和国が主張する「台湾は中国の一部」が重視された考え方だ。一方で「一つの中国」政策は、アメリカなど西側諸国などがとっている立場を指し、異なるものだ。

「一つの中国」政策は中国が主張する「一つの中国」原則を一定程度は認めるが、現状として台湾に中華人民共和国政府の統治は及んでいないのであるから、それを前提に政策を決めていくことを示す各国の立場だ。つまり、各国とも「一つの中国」原則の主張に一定の配慮をしつつ、それぞれ台湾とも関係を持つことを指す。

例えば、アメリカは「一つの中国」政策の立場に立ったうえで、中華民国政府との断交後も台湾の安全保障に関与し続けてきた。1979年の米中国交樹立後にアメリカ議会が台湾関係法を制定し、台湾へ防衛用の兵器を売却し続けることや、台湾居民の安全を脅かす武力行使やその他の強制的な方式に対して適切な行動をとることを定めている。

「意見の不一致への同意」が「92年コンセンサス」

――台湾側は、中国が主張する「一つの中国」原則をどう受け止めているのでしょうか。

中国と台湾の間には、1992年に双方が「一つの中国」の立場を確認した「92年コンセンサス」があるとされる。このコンセンサスでは、中国側にとっての「一つの中国」とは中華人民共和国で台湾はその一部であるが、台湾にとってはそうではない。

台湾の国民党は「中国」とは中華民国だと主張し、それぞれの「一つの中国」の定義の違いを黙認しあったのが「92年コンセンサス」だと考えている。

つまり、「92年コンセンサス」という言葉でラッピングすることで、「一つの中国」をめぐる中台間の立場の違いを曖昧化する「意見の不一致への同意(agree to disagree)」が可能となったとも言える。これに対し、民進党は「92年コンセンサス」の存在自体を認めてこなかった。

――「92年コンセンサス」は中台関係でどのような役割をもっているのでしょうか。

国民党は台湾社会向けに「92年コンセンサス」とは「『一つの中国』について各自が説明するものだ(一中各表)」と説明してきた。これに対して中国側は当初、これを認めているとも認めていないとも言わず、ノーリアクションを通した。

その前提に立って行われたのが、2008年以降の馬英九政権と胡錦濤政権の経済交流だ。これは、「92年コンセンサス」を前提に「一つの中国」をめぐる政治問題は後回しにして、経済関係を拡大し、政府間の協議を通じて関係を制度化しようということだった。

しかし、それだけでは中国にとって台湾との「統一」を進める「政治的な成果」は表れなかった。

そのためか、習近平政権になってからの中国は、「92年コンセンサス」は「一つの中国」原則を体現するなど、その解釈にさまざまな説明を加えるようになり、その曖昧さが消失していった。習政権はそのうえで、政府間交渉の前提として「92年コンセンサス」を受け入れるよう台湾側に求め続けている。

台湾社会は「92年コンセンサス」を信じなくなった

――台湾社会は「92年コンセンサス」をどう受け止めているのでしょうか。

習近平氏が「92年コンセンサス」の定義を厳格化していることが台湾でも報道され、台湾内部でもその内容を疑問視する声が上がり始めた。国民党は今も、「92年コンセンサスは各自が自由に解釈できるものだ」と説明するが、台湾の人々はその説明を信じられなくなってきている。

「92年コンセンサス」を曖昧なままにしておけば、台湾の多くの人は受け入れやすかった。しかし、その解釈にさまざまな説明が加わるのと並行して、香港では「一国二制度」が骨抜きにされた。

その頃、2019年1月に行った対台湾政策の方針を示す演説で、習近平は「共同で国家統一を目指す努力をする」のが「92年コンセンサス」であり、「統一」後には「一国二制度の台湾モデル」を模索すると述べた。

台湾の人々は、「92年コンセンサス」を受け入れたら「一つの中国」原則を受け入れたことになり、さらには「一国二制度」の受け入れを迫られ、最終的には香港のようになるのではないかと具体的に想像するようになった。

国民党もそれを意識して、今回の選挙戦では「一国二制度」の不支持や、「中華民国憲法に沿う」条件の下でのみ「92年コンセンサス」を認めることを掲げて、有権者が抱く懸念の払拭を図っている。

――なぜ中国側は「92年コンセンサス」の定義を厳格化し出したのでしょうか。

いくつか理由があるだろう。台湾海峡においては、軍事力でも経済力でも中国が優位であると誇示する中で、習近平政権は台湾民意の動向や選挙結果に左右されることはないとの態度を見せ始めた。実際は気にしているはずだが、対外的には相手にしない姿勢を強めている。

また「92年コンセンサス」を認めない民進党が与党となり、中国側は台湾の人々が「92年コンセンサス」や「一つの中国」に言及しなくなったことに危機感を覚えた可能性もある。そこで「92年コンセンサス」を重視する国民党や中国で活動するビジネスパーソンに、より中国の立場に近い条件を受け入れさせて、中国が考える「一つの中国」に台湾をつなぎとめようとする発想もあるだろう。

――台湾側で「92年コンセンサス」を重視する人たちは、中国側がその定義を厳格化すれば、台湾社会との板挟みになるといえます。

台湾で最初に問題となったのは、2015年に馬英九氏と習近平氏がシンガポールで会談したときのことだ。そこで馬氏は「『一つの中国』の内容を各自が表現できる」と明言しなければならなかったが、習氏はそれを言わせなかった。

これを受けて、台湾側では「92年コンセンサス」に対する中国側の考え方が変わってきたという認識が広がった。

台湾関係で主導権にこだわる中国の習近平

習氏は、台湾との関係で主導権を握ることにこだわっている。決めるのは台湾ではなく自分たちだという趣旨の発言をすることが多い。この発想は毛沢東を彷彿とさせるところがある。

当時の中国と台湾は今以上に遠い関係だったが、台湾海峡危機を起こしたときの毛沢東は自分たちが主導権を握ることにこだわっていた。その後、台湾海峡において主導権を握ることにこだわる指導者は現れなかったが、習氏は台湾問題を語る際に、主導権にこだわる傾向が強い。

そこには、アメリカとの競争が厳しくなるなか、強い態度を示さなければならないという使命感もあるだろう。また、習氏自身が毛沢東に近づき、それを超える偉大な指導者を目指す中で、台湾問題で主導権を握る姿を国民に見せたいという面もあるだろう。

ただ、習近平の対台湾政策にもその時々の状況に応じた調整が見られる。2023年には国民党の幹部らが複数回訪中し、馬英九氏も総統経験者として初めて中国を訪れた。

馬氏は総統退任後も「92年コンセンサス」の重要性を台湾で主張し続けている。そのため、中国を訪問した時には、「92年コンセンサス」の下で共に「統一」を目指すなどの発言を求められることも懸念されていたが、そのようなことは起きなかった。

むしろ、中華民国が大陸にあった時代の首都である南京を訪れた際に中華民国の歴史を語るなど、馬氏は自分が話したいことをそれなりに話せていた。ここから、中国側は選挙を控えた台湾の民意にかなり配慮をして、馬氏を接遇したことがわかる。

ただ、台湾の人々の対中認識や中台関係に対する考え方は蔡英文政権の8年間で変わった。また、米中関係を中心とする地域の国際情勢も近年大きく変わった。習氏が台湾民意に配慮し、仮に「92年コンセンサス」を認める国民党が政権を奪還しても、馬英九政権が誕生した2008年当時の中台関係に戻ることはないだろう。