『第三の大国 インドの思考』笠井亮平氏に聞く

福田 恵介 : 東洋経済 解説部コラムニスト

2023年06月18日

笠井亮平(かさい・りょうへい)/岐阜女子大学南アジア研究センター特別客員准教授。1976年愛知県生まれ。中央大学総合政策学部卒業。青山学院大学大学院国際政治経済学研究科で修士号取得。著書に『インパールの戦い ほんとうに「愚戦」だったのか』『モディが変えるインド』『インド独立の志士「朝子」』など。訳書にS・ジャイシャンカル著『インド外交の流儀』など。(撮影:今井康一)

2023年に中国を抜き、人口世界一となった。同時に、経済・軍事面でも大国としての存在感が増している。2大広域構想「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」のキープレーヤーとして浮上するインドの行動を規定する、その思考とは。

──インドの存在感が増しています。とくにウクライナ戦争以降、ロシアとの関係などで注目を集めました。

確かにそうですね。インドに対してグローバルな期待が持たれ始めたのは00年代初頭に「BRICs」という言葉が登場し、その中の1国に位置づけられてからです。1990年代ごろまでの「貧しいインド」という印象も、それ以降、急速に変わりました。

──日本も米国も、インドを重要なパートナーとしていますね。

日本は14年にインドとの関係を、それまでの戦略的グローバル・パートナーシップから「特別」戦略的グローバル・パートナーシップに格上げしました。日米豪とインドで構成される「Quad」としての関係も強まっています。

米国もインドを外交上の主要パートナーとみています。これは、05年に民生用原子力協力を進めていくことに合意してから本格化しました。インドはNPT(核不拡散条約)に加盟していません。にもかかわらず米国は、インドの核保有を事実上追認した形になっています。

G20への意気込みの強さ

──インドは伝統的に「全方位外交」の国として知られています。

そうです。今、インド外交は「最強のモテ期」に入っているのかもしれません。日米との関係もそうですし、中国とは国境問題を抱える一方、貿易面ではとくに密接なパートナーでもあります。また、中国が主導するSCO(上海協力機構)やAIIB(アジアインフラ投資銀行)に加盟するなど、政治・安保・経済面での関係も保っています。

今年のインドは、G20(主要先進7カ国とEU、新興国12カ国からなる会議)の議長国を務めています。首脳会議は9月にニューデリーで開催される予定ですが、私が最近インドを訪問した際にもG20へのインドの意気込みの強さを感じました。インド政府はG20をさらなる台頭の起爆剤として、また国威発揚の絶好の機会として捉えています。

──いわゆる「グローバルサウス」の中心として、インドが位置づけられていますね。

まさしくG20を、グローバルサウスの代表国として存在感を誇示する場にしたいのでしょう。

実は、同じBRICsのロシアや中国と比べてインドにはこれといった強みがありません。ロシアには資源、そして武器があります。

中国ほどの資金もない。インドから他国への援助も、中国ほどにはできません。インドの地盤といえる南アジアでも、スリランカに対してそうであるように、資金援助などの面で中国の後塵を拝しているのが現状です。

それゆえに、今年のG20議長国という立場を最大限に生かし、グローバルサウスの代弁者としての地位を固めるために外交力を発揮しようとしています。

利害の一致で動く全方位外交

──現在のロシアとの関係は、批判されることがあります。

ロシアとは旧ソ連時代からの長い友好関係があり、現在のモディ政権はウクライナ侵攻を「人道問題」とし、ロシアとの関係を維持しています。

インドは、西側による経済制裁を受けるロシアからの原油の輸入を急増させていますが、それは14億という世界最多の人口ゆえに、電力などのエネルギー確保が切実な問題となっているためです。原子力発電所の建設でも強い関係があるし、兵器面でもロシアに大きく依存しています。

──全方位外交は中国に対しても発揮されていますね。

歴史的に見ると、中国との関係は複雑です。現在野党でインド独立をリードしたインド国民会議(国民会議派)政権時代には、中国に対して一定の理解を持っていました。かつては中国共産党との党間交流も行われています。

一方、現与党のインド人民党(BJP)は「強いインド」を志向し、中国に対しても断固とした姿勢を取るときがあります。

対中国外交には3つの主要課題があります。1つ目は隣国パキスタンとの関係。2つ目は国境問題。印中国境はいまだに双方が認める形で確定していません。3つ目はチベットの問題です。ダライ・ラマ14世は59年からインドに亡命中で、北部のダラムサラに「亡命政府」が置かれています。

1つ目のパキスタンとの関係では、カシミール地方という係争地があり、中国との関係同様、領土問題が存在します。中国の習近平政権の国家的戦略「一帯一路」にも、パキスタンが強く関わっています。中国は一帯一路の中で「中国パキスタン経済回廊」を設定していますが、ここにカシミール地方を通るラインがあります。

現在、パキスタンと中国の関係は良好です。インドからすれば、カシミール地方からパキスタンへと続くルートを認めてしまうと、カシミールの係争地を「パキスタン領」として認める、あるいは世界から認められることになる。これは絶対に受け入れることができません。ただ、対立一辺倒ではなく、気候変動への対応のように、新興国として利害が一致する分野では印中の共闘もあります。

──全方位外交は、時に八方美人的として批判的に見られます。

インドは、同盟を組まない外交戦略が基本です。例えば日米同盟のように、同盟には、組めば守られるという安心感があります。ところがインドは、同盟を組むとフリーハンドを確保する余地が少なくなると考えるのです。

つねにベストの選択ができる状況をつくっておくということです。19年にRCEP(東アジア地域包括的経済連携)協定交渉からインドが離脱したのも、国益優先からの決断ではなかったでしょうか。

世界の多極化が急速に進みそうな現在の状況が続けば、インドの全方位外交がさらに力を発揮する機会は増えるでしょう。インドの地位も、それにより向上していくのは間違いありません。