リベラル化から保守化へ長期的な潮流が変わる

渡辺 亮司 : 米州住友商事会社ワシントン事務所 調査部長

2022年07月26日

共和党保守派は最高裁を拠点に、アメリカ社会のリベラル化を巻き戻すことに成功しつつある(写真:Bloomberg)

「三権(司法(最高裁判所)、立法(議会)、行政(大統領府))の中で司法は比較にならないほど明らかに最も弱小」。後に初代財務長官に就任する建国の父のひとり、アレキサンダー・ハミルトン(1755~1804年)は、憲法草案への支持を訴えた「ザ・フェデラリスト第78編」(1788年発行)にこのように記述した。

しかし、6月末の最高裁判決(2021~2022年期)からは、最高裁は今や三権の中で最も影響力を発揮しているように見える。人工妊娠中絶は憲法が保障する権利ではないとする判決(24日)、発電所の温暖化ガス排出に対する政府規制を制限する判決(30日)、銃携帯の権利を拡大する判決(23日)など、アメリカ社会のリベラルな方向への変化を制止しようとする最高裁の保守化の動きが浮き彫りになった。

今起きていることの背景には、民主党が議会と大統領府を握っていても、膠着状態の議会が重要政策を可決できないため、その空白を埋める最高裁が結果的に影響力を拡大しているという側面もある。だが、そうした運だけではなく、保守派の長年の努力が報われたという側面もある。

保守派による長年の取り組みが実を結んだ

トランプ前政権下、2020年9月にリベラル派のルース・ベイダー・ギンズバーグ(RBG)最高裁判事が亡くなり、その後に保守派判事が1人増えて、最高裁は「保守派6人対リベラル派3人」の構成となった。これはそれ以前の「保守派5人対リベラル派4人」とは大違いだ。

ジョン・ロバーツ最高裁長官は保守派ながら、司法の政治的影響が強すぎると国民が受け止めないよう、浮動票としてリベラル派側と同じ判断を下すこともあった。しかしこうした行動が数のうえで意味をなさなくなってしまった。また、浮動票であった保守派のアンソニー・ケネディ判事が退任し、後任に保守思想を持つブレット・カバノー判事が承認されたことも最高裁の保守化を進めた。その結果、これまで異端と捉えられていた最も保守的なクラレンス・トーマス判事の意見が、現在は最高裁の主流派の思想となっている。

保守派がリベラル派を大幅に上回ったのはトランプ前政権下であったが、その立役者はトランプ氏ではない。長年、最高裁の保守化を目指し取り組んできたミッチ・マコーネル上院院内総務など伝統的な共和党保守派だ。

その取り組みは1987年まで遡る。ロナルド・レーガン大統領(当時)はロバート・ボーク最高裁判事候補の指名承認を目指した公聴会で失敗。同公聴会を仕切ったのが当時、40代で上院司法委員長を務めていたジョー・バイデン氏であった。それを皮切りに、上院が判事候補を資質ではなくイデオロギーを理由に却下するといった立法の司法に対する政治的影響力が強まった。バイデン氏と同じく当時、上院議員であったマコーネル院内総務はその屈辱を胸に30年以上も最高裁の保守化を最重要課題としてきた。

最高裁における保守派の逆襲はまだ始まったばかり

1982年にイェール大学、シカゴ大学、ハーバード大学の法科大学院で学ぶ生徒たちの一部が大学のリベラル思想に対抗して保守系法曹団体フェデラリストソサエティを立ち上げた。ボーク氏も同団体の立ち上げに携わっていた。フェデラリストソサエティはその後、保守派の人脈形成、資金集めの中心的役割を担うようになり、今日、法曹界で最も影響力がある団体となっている。保守派の最高裁判事6人全員が現在あるいは過去のフェデラリストソサエティの会員だ。

フェデラリストソサエティは、トランプ前大統領の2016年大統領選勝利でも欠かせない存在であった。トランプ氏は、空席であった最高裁判事を同団体作成の候補者の中から選定することを公約にして、共和党保守派の支持を集めた。最高裁判事指名については、実質、マコーネル氏をはじめとする保守派がトランプ氏を動かしていたのだ。

マコーネル氏の巧みな政治手腕によって最高裁の保守化は実現できたといっても過言ではない。アメリカ政治は選挙スケジュールから2年サイクルと呼ばれるが、マコーネル氏をはじめ保守派は長期的な視野で取り組んできた。先月末の相次ぐ判決は、ボーク氏やマコーネル氏の努力がようやく実を結び始めたものだと言える。司法における、バイデン氏をはじめ民主党に対する保守派の逆襲はまだ始まったばかりにすぎず、次期以降も最高裁は保守寄りの判決を下していくに違いない。

最高裁の保守化と同時に、保守派が心掛けてきたもう1つの長期戦略が州政府の保守化だ。これはジョージ・W・ブッシュ元大統領の選挙参謀を務めたカール・ローブ氏が推進していた取り組みだ。

10年ごとの国勢調査に基づき、各州政府は選挙区割りを実施するが、保守派は自らの党に有利となる選挙区割り「ゲリマンダリング」の主導権を握ることに注力してきた。2010年中間選挙ではオバマ大統領に対する反発で共和党が勢力を拡大したことも影響し、全米50州のうち22州で共和党が知事職と州議会・上下両院の過半という3つを握るトライフェクタを実現した。その後の共和党に優勢な選挙区割りも功を奏し、現在も23州で共和党はトライフェクタを堅持している。

最高裁と州政府の過半を保守派が握ることでアメリカ社会は2つに分裂しつつある。今回の最高裁判決後、人工妊娠中絶については共和党が強い「レッドステート」で規制強化の動きが即時に見られた。一方、民主党が強い「ブルーステート」では引き続き人工妊娠中絶が可能だ。その結果、ブルーステートあるいはレッドステートのどちらの州に住むかによって、自らの権利が制限されるか否かが分かれている。

人工妊娠中絶を支持する女子高生の一部は大学を選ぶに際してどこの州にあるのかを考慮するようになっているという。(そういう女性はこちらからお断りだが…)つまり、これら女子高生は人工妊娠中絶禁止の州を進学先から真っ先に排除しているという。今後、人工妊娠中絶に限らず、同性婚など他の権利についても、憲法が保障する権利ではないと司法が判断することを、民主党は懸念している。

党派対立で機能不全の三権分立

「ザ・フェデラリスト第51編」(1788年発行)でやはり建国の父のひとりで、後に第4代大統領に就任するジェームズ・マディソン(1751~1836年)は司法、立法、行政がお互いの権力を牽制し合うと捉えていた。

日本では最高裁判事の定年は70歳だが、アメリカでは議会の弾劾裁判で罷免とならないかぎり一生、その身分が保障されている。終身制にはもともと判事が政治的影響を受けにくくする狙いがあった。

リベラルな方向に進む社会に対し、最高裁が保守的な思想で社会変化を阻止する動きは過去にもあった。1857年、ドレッド・スコット対サンフォード判決で奴隷制をめぐり社会は二分。北部は奴隷制度に反対し判決結果を批判した一方、奴隷制度維持を望む南部などは判決結果を称賛。奴隷制の問題は、南北戦争終結後の1865年に憲法改正によって奴隷制を禁じることでようやく決着した。

全国民の人権拡大の潮流を止めた最高裁

アメリカはこれまでの約半世紀、リベラル派の声を反映し、連邦レベルで全国民の権利を拡大する方向にあった。しかし、現在、その時代の潮流に逆らう地殻変動が起きている。地殻変動をもたらしている最高裁判決とレッドステートに対し、バイデン政権と民主党多数派の議会は効果的な対抗策を打ち出すことができていない。

最高裁判決後、バイデン大統領は人工妊娠中絶に関わる大統領令を発行するも、政策への影響は限定的だ。また民主党が、立法措置により最高裁判事の増員や任期制導入、最高裁判事の弾劾などを行って最高裁の保守色を変えるようとすることは極めて難しい。