産経新聞社 【竹島の日】アシカ猟を歪曲した絵本 韓国の奇妙な歴史戦

 わが国固有の領土でありながら韓国が不法占拠し続ける竹島(島根県隠岐(おき)の島町)の返還を求める16回目の式典が「竹島の日」の22日午後、松江市で開かれる。竹島は江戸時代からアシカ猟を通じた深いつながりがあり、地元にはさまざまな資料や証言がある。一方、韓国ではアシカを擬人化し、猟を行った日本人猟師を敵視して愛国心をあおる絵本が複数出版されている。(坂田弘幸、ソウル 桜井紀雄)

© 産経新聞社 【竹島の日】アシカ猟を歪曲した絵本 韓国の奇妙な歴史戦

 県のほぼ中央、三瓶(さんべ)山(1126メートル)に建つ島根県立三瓶自然館サヒメル。その一角に3頭のニホンアシカの剥製が並ぶ。ひときわ大きな成獣は竹島で「リャンコ大王」と呼ばれ、猟師に恐れられたが、1931(昭和6)年に仕留められ、大阪の動物園で剥製展示された。竹島とアシカのつながりを示す資料だ。

幕府の公認

 日本人による竹島でのアシカ猟は主に明かりの燃料のために行われ、歴史は江戸時代にさかのぼる。鳥取県米子の商人「大谷(おおや)家」と「村川家」が幕府の許可をもらい、毎年交互に鬱陵島(うつりょうとう)に渡ってアシカやアワビを取り、現在の竹島にも立ち寄った。

 「あまり知られていないが、日本の領有権確立を考える上で重要な資料がある」と舩杉力修(ふなすぎ・りきのぶ)・島根大准教授(歴史地理学)が指摘するのが、旗本の阿倍四郎五郎の家来が1660年に大谷家に宛てた書簡。大谷家が竹島の渡航についても幕府の公認を得ていたことを示す資料という。

 鳥取藩から江戸幕府に提出された1696年の絵図からも日本人とアシカの結び付きがわかる。島を構成する女島(東島)の海岸に小屋があり、近くの入り江に「船すへ場」と記述。地図を所蔵する鳥取県立博物館は「大谷・村川家が小屋を拠点にアシカ猟をし、竹島で経済活動を行っていたことが分かる」と指摘する。

 アシカ猟は1900年代に本格化したが、過当競争となり、島根県に編入された1905(明治38)年以降、猟は県の許可制に。その後も乱獲が防げず頭数が激減したため、昭和に入ると動物園やサーカス向けに年間20頭前後を生きたまま捕獲するようになった。隠岐の島町の池田京子さん(90)は、小学生のころ同町の港近くでアシカが木製のおりに入れられているのを見たという。

© 産経新聞社 【竹島の日】アシカ猟を歪曲した絵本 韓国の奇妙な歴史戦

 竹島のアシカ猟は先の大戦直前に中断した。韓国が海洋警備隊を常駐させるようになった1958(昭和33)年に、竹島には200~500頭のニホンアシカが生息していたというが、1975(同50)年を最後に目撃情報は途絶えたままだ。

「残忍さ」を強調

 一方、韓国で「独島(トクト)」と呼ばれる竹島をテーマにしたソウルにある展示施設「独島体験館」では、竹島の巨大模型が鎮座するブースのスクリーンにアシカのキャラクターたちが映し出され、「われわれの領土を守る」と来館者に向けて訴えかける。

 展示板では、竹島に生息していたアシカについて、日本統治時代に「日本の漁業会社によって毎年数千頭が乱獲された結果、個体数が急激に減少。1970年代以降は観測されておらず、絶滅したとされる」と説明されている。

 韓国では、竹島のアシカを主人公にした絵本も複数出版されてきた。そのうちの1冊、『ごめんよ、独島アシカ』は、竹島を舞台にした韓国人少年とアシカの子のふれあいとともに、アシカ猟による一獲千金を狙って突如、襲来した日本人漁民の残忍さを際立たせて描写。アシカの血で海水が赤く染まる様子や、「独島アシカ大王」と呼ばれる巨大アシカが漁民をくわえたり、握ったりして反撃する絵も描かれている。

 日本統治時代、「被害者である韓国人は勇敢に日本に立ち向かった」という韓国特有の歴史観を竹島のアシカに投影させ、子供たちに愛国心を教え込む格好の題材にしようとする意図が読み取れる。

 巻末では、日本人とアシカが仲良く暮らしていた竹島を韓国に不法占拠され、会えなくなったという「嘘」を描いた絵本が日本にあると指摘。※島根県による「竹島の日」の制定にも触れ、「独島を占有しようとする日本政府の動きを座視していてはだめだ」と訴えている。

 韓国側が仕掛けてくるアシカをめぐる歴史戦だが、隠岐の島町の大江寿町議(48)は根本的な疑問を投げかける。「これまで何度もソウルの独島体験館に足を運んでいるが、展示されているアシカ像は色が白く、まるでアザラシのようだった。実際に猟をしていないから、アシカがどんな生物か知らないのではないか」