From 上島嘉郎@ジャーナリスト(『正論』元編集長)

 

 

やや旧聞ですが、この4月に行われた東京工業大学の入学式で、一千百余名の新入生に三島良直学長が式辞の全文を英語で述べたという報道がありました。

 

〈東工大の広報センターによると、国際的な舞台での活躍を目指してほしいという思いを込めたという。同大の入学式では初の試み。式辞で三島学長は「在学中に1回は海外経験をしてほしい」「皆さんの将来の舞台は世界。ぜひ挑戦して下さい」などと呼びかけた。〉(朝日新聞デジタル2016年4月4日)

三島学長は材料工学の研究者で、米国留学の経験があり、2012年まで副学長として国際事業を担った人物だそうです(同)。

 

いまや日本企業はグローバル化への対応が「待ったなし」の状態となり、職場での日常も「英語が使えなければ…」となっているようです。

 

「英語公式言語化に取り組みます。将来は、英語力を役職者認定の要件にしていくことを計画しています。」

昨年6月、ホンダが「サスティナビリティレポート」で2020年を目標に英語の社内公用語化を宣言したことは経済界に大きな衝撃を与えたといわれています。

 

思い起こせば、「グローバル企業として英語を社内公用語にすべきでは?」という記者の質問に「日本人が集まるここ日本で英語を使おうなんてバカな話だ」と伊東孝紳社長(現取締役相談役)が一蹴したのは平成22年のことでした。伊東氏は「英語が必要なやりとりは英語でやる。時と場合によって使い分ければいい」と強調していました。

「さすがホンダ!」と思ったものですが、そのホンダがいまや、「一人でも外国人が入る会議や海外部署との打ち合わせは基本的に英語で行う」(同社広報部)というのですね。

 

社内での主言語を英語にしている企業、またはそれを進めようとしている企業(程度の差はありますが)を列挙すると、ファーストリテイリング、楽天、アサヒビール、シャープ、三井住友銀行、三菱商事、日立製作所、武田薬品工業、平成11年にルノーの傘下に入った日産自動車等々があります。

 

もちろん、社内で日本語の使用が全面禁止されているということではないのですが──いや、楽天の三木谷会長は日本人幹部だけの会合でも、「English only!」と宣したことがあるそうな──、人事評価にTOEICの点数や英語でコミュニケーションができるかどうかという項目があるのは普通になってきています。

 

ちなみにTOEICというのは、Test of English for International Communicationのことで、英語を母語としない人を対象に英語の実用的なコミュニケーション能力を評価するテストです。アメリカの非営利教育団体ETS(Educational Testing Service)が実施しているもので、まさにアメリカの基準で日本人が測られるわけです。

 

企業がこうである以上、学校現場で英語の早期教育が求められるのも当然の流れとなりましょう。

平成23年から外国語(英語)活動の授業が小学校5、6年生に必修化されました。文部科学省はこれを小学3年生からに早め、5年生から教科化する計画です。入試に英語を取り入れる私立中学校も出ているそうで、小学校段階からの英語教育の実施という方向は今後ますます強化されていくものと思われます。

 

さらに、学校だけでなく、英語を公用語とする「英語特区」の設置など、公共空間での英語化も検討・推進されています。施光恒さんが『英語化は愚民化』(集英社新書)で指摘されたとおりの現実が進行しているのですね。

 

しかし、いくら英語が使えるようになっても、肝心なのは「日本人」として何を発信していくのかという中身のはずです。その根幹の知性を育む「国語」の基礎を固めることこそ小中学校段階で最も力を注ぐべきだと私は考えます。「英語ができなければならない」という強迫観念に囚われて、限られた授業時間数の中で国語がおろそかにされるようでは元も子もない。

 

そもそも日本人の多くが流暢に英語を使えるようになることが、わが国の未来に不可欠のことでしょうか。

 

私事を綴ります。

十代の終わりから二十代にかけて再読した本に富田常雄の『姿三四郎』があります。嘉納治五郎と講道館四天王をモデルとした小説で、嘉納治五郎は矢野正五郎、講道館は紘道館となっています。

私は当時、柔道ではなく空手を稽古する若者でしたが、柔道一途の日々を送る主人公、姿三四郎の青春の夢と苦悩に大いに共感させられ、何度もページを繰ったものです。私が明治という時代にロマンティシズムを感じ、強い憧れを抱くようになったのはこの作品の影響が大きかったと思います。

 

姿の師である矢野正五郎は、明治開化期の浮薄な欧化主義に抗し、武士道精神に根ざす人間修養の道として「柔道」を興した人物として描かれ、若き門弟たちも厳しい修練とともに、日本の進むべき道をめぐってさまざま苦悩する──。

「日本のために英語を学ぶ」という戸田雄次郎と、「開化とは国を滅ぼすこと」と断ずる壇義麿(ともに紘道館四天王)との間で激しい議論が起きたとき、傍らで聞いていた姿は、「貴様はどっちだ」と問われ、「俺か、俺は二人ともいい」と答える場面がとても印象に残っています。

姿は、「二人の組打ちのなかから、ほんとの日本が出て来るのだ」という。組打ちは戦いで、互いの熱と摩擦によって新たなもの、磨かれた「ほんとの日本」を生み出すというのです。

 

グローバル・スタンダード(世界標準)という言葉が人口に膾炙するようになってどれほど経つでしょうか。1980年代以降「改革」が是とされ、その「改革」の多くが世界標準に向けて「規制緩和」「自由化」というかたちでなされてきましたが、世界標準なるものに従うことは本当に日本人の幸福につながるか。「改革」論は、日本人の人生観や幸福観に帰着するものです。

たとえば、欧米人に日本人は働きすぎと言われても、働くことが苦役ではなく喜びと感じられるのがこれまでの日本人の価値観だったと思います。それが悪いことなのか。

 

明治以後の西欧近代化は、「夷術を以て夷を制す」の気構えのもと、わが国の「独立」維持に必要でしたが、同時に明治人はそれが日本人らしさを自ら削り取る作業でもあることを知っていました。

明治人が直面した苦悩に、いま、われわれも直面しています。平成の「改革」が、日本人にとって「守るべきものを守るための『改革』」になっているかどうか。この根幹の議論を曖昧にしてはならない。

 

英語の早期教育や企業内の公用語化の問題は、日本の国際化のための「改革」なるものの流れの中にありますが、そもそも国際化とは一方的に他国に寄り添うことではない。母国語を軽んじ他国の言語に自らを重ねていくことでもない。むしろ自らの存在や価値観を発信し、他国を自らに惹きつけてくることだと私は考えます。

経済の繁栄のために英語が必要なのだとしても、ではなぜ経済の繁栄が必要なのかといえば、自らが大切に思う共同体の永続のためであって、それをないがしろにしての繁栄では本末転倒です。

 

ところで、EU(欧州連合)やNATO(北大西洋条約機構)の本部があるベルギーは、いまの日本人が漠然と想像する国際化を体現している国かも知れません。

「ブラバントの歌」という国歌は、ベルギーがオランダ語、フランス語、ドイツ語の三つを公用語とすることから、歌詞も三つの言語版があります。学校の教科書も三つの言語で書かれ、子供たちはそれぞれの言葉を通して勉強しています。

国の成り立ちから北半部はオランダ語、南半部はフランス語、首都ブリュッセルは両者、ドイツとの国境沿いはドイツ語が使われ、たとえば道路標識は地域ごとに異なる言語表示です。事実上ベルギーには私たちにとっての日本語のような「母国語」はないのですね。

 

そんなベルギーはダメだと言っているのではありません。ベルギーは歴史的にそのような国だというだけで、日本は所与が異なります。日本はその成り立ち、歴史からしてどのような国であるか。私はこれまで日本人が営々と築いてきた価値観を大切にする、永続させる立場の国民でいたいと思っています。

 

したがって日本人としてのアイデンティティの根幹を企業の利益追求や効率性といったもので切り捨てていく。教育もそれに合わせていくような政策には異を唱える、というわけです。

英語教育を進めることそれ自体に反対なのではなく、また英語を習得することで個人として職業だけでなく人生の選択肢が広がることを否定するものでもありません。企業が存続のために社員に英語力を求めることも否定しない。

 

しかし、それらは母国語である日本語をしっかり身につけた上でのことだと言いたいのです。個人や企業が英語を必要とすることと、英語(外国語)を国語に置き換えるがごとき社会の制度化はまったく次元が異なります。私は後者に反対なのです。

 

毎回とりとめのない話になって恐縮ですが、これは古今東西を問わず、自らが生まれ育った共同体を大切にしたいと願う者にとって当然のことであったと思います。

 

セルバンテスはドン・キホーテにこう語らせています。

〈ホメロスはラテン語で書かなかったが、それは彼がギリシャ人だったからで、同様にウェルギリウスがギリシャ語で書かなかったのは、彼がローマ人だったからじゃ。つまり、古代の卓越した詩人たちはみな、母親の乳といっしょに吸収した言葉を使って書いたのであり、自分の高邁な思想を表現するのに、わざわざ外国の言葉を借りに出かけるようなことはしなかった。〉

 

ルーマニアの思想家エミール・M・シオランもまた〈私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語である〉と。

 

わが日本からも──。

幕末長州藩で下関戦争の講和を担った高杉晋作は、下関海峡の彦島の租借を要求する英国のクーパー提督に対し、「アーネスト・サトーという語学的天才をもってしても通訳しかねる日本語」(司馬遼太郎『世に棲む日日』)をもって大演説をし、古事記・日本書紀の講釈を延々続け、而して一島たりとも割譲できないと押し切りました。「クーパーのほうが折れて出た」(同)のです。

このとき彦島を香港のように英国に貸していたら、それを梃子に日本の独立は侵されたかも知れません。後年、この交渉に同席した伊藤博文がそう述懐しています。

高杉晋作の奮闘は、外国語に堪能であるよりも、人としての気概のほうがより大事であると教えてくれています。

 

 

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