1808年 間宮林蔵が三回目の樺太探検で最西端ラッカに到達し、樺太が半島ではなく、島であると推測する。

1809年 間宮林蔵がアムール川を遡上探検し、樺太を島と確認する。

1855年2月7日

      日露和親条約締結:千島列島は、択捉島以南を日本領とし、得撫島以北をロシア領とする。樺太は、国境を定めず、これまで通りとする。(両国民の雑居)

1867年 岡本監輔が樺太最北端ガオト岬に「大日本国領」と記した標柱を建てる。

1875年(明治8年)5月7日

      千島・樺太交換条約:千島列島全島が日本領となる。樺太島全体がロシア領となる。

1904年~1905年 日露戦争

1905年(明治38年)4月25日

      ポーツマス条約締結(日露戦争終結):北緯50度以南の樺太が日本領に復帰。

1941年(昭和16年)4月25日

      日ソ中立条約締結(効力5年間)

1941年12月8日

      太平洋戦争勃発

1945年(昭和20年)8月9日

      ソ連(現ロシア)軍、日ソ中立条約を一方的に破り、満州に侵攻。

8月11日 ソ連軍、南樺太へ侵攻開始。

  14日 日本、ポツダム宣言の受諾を決定。

  15日 「大東亜戦争終結ノ詔書」の玉音放送。

      ソ連軍司令部、千島および樺太占領作戦を各方面軍に命じる。

  16日 スターリン、千島および北海道北半分の占領を米大統領トルーマンに要求。

      日本軍、「各部隊は一切の戦闘を停止、ただしやむをえない自衛戦争はこれを妨げず」の命令を下す。

      ソ連軍、樺太の恵須取を攻める。

      看護婦集団自決事件が発生。

  17日 深夜、ソ連軍が占守島(千島列島最北端の島)の北端・国端崎を断続的に砲撃。

  18日 未明、ソ連軍が占守島に上陸。

      2時30分 戦車第11連隊(池田連隊)に出撃命令。

      4時30分 池田連隊、四嶺山を確保。

      16時   ソ連軍、撤退。

  20日 ソ連軍、樺太・真岡への上陸を開始。

      郵便電信局集団自決事件が起きる。

  22日 ソ連軍、樺太からの疎開船3隻を撃沈。

      スターリン、北海道上陸作戦の中止を下命。

  23日 北千島の日本軍、武装を解除。

  25日 ソ連軍、大泊に上陸。南樺太全土がソ連に占領される。

9月2日  日本、降伏文書に調印。

 

参考文献:

「歴史街道 2015年12月号」PHP出版

「8月17日、ソ連軍上陸す」大野芳著 新潮文庫