小さい頃から不思議だった。


母子家庭でしたが看板持ち

幼稚園の工作で、父の日のプレゼントとして
紙皿にお父さんの顔を描いてデコレーションする
というものがあった時
(今考えたら先生わかってただろうに。何のフォローもなくw)

「う~ん、お父さんいないけど、、
ひいおじいちゃんにプレゼントすればいいかー」
(お爺ちゃんも亡くなってたので)

我ながらいいこと思いついたなー☺️

と思ったと同時に
「あ、みんなにはいるけど

私にはお父さんいないのか」
とはっきり意識した瞬間でもあった。

小学校に上がってからも
お父さんのこと聞かれて「いない」というと
「あっ、ごめん!あせる」と言ってくれるのが
なぜごめんと謝るんだろう(まぁわかるけど・・)

と不思議だった。
自分では悲しいとも可哀そうとも思ってなかったから。

 

きっと、赤ちゃんの頃から

お父さんがいないことが当たり前だったし
それに関してネガティブなことを言う人が

周りにいなかったから。

あと祖母がお母さん代わりのように

愛情深く育ててくれたから。

もちろん当時は、

設定(信念)などの概念はなかったけれど。
そのフィルターで見てた私の世界の認識では

そんな感覚だった。


武田双雲(大好き♡)もそんな感じのこと言ってたな。

「生憎の雨でしょう」と天気予報が言ってて、

皆にとって雨がネガティブなものなんだと知ってビックリしたと。



イヤミや悪口を言われたとしても
ワタシがそう思っていなかったら

なんとも思わないものなんだな。
ということは認識していた。
悪意という意図のエネルギーで傷つくことはある


変わり者、って言われるのも
別に傷つかないどころか
(私には)褒め言葉くらいに受け取ってた🤣

みんなと同じに安心する、っていう感覚が昔からあんまりないんですよ。

多数に同調することは本能的な安全システム

でもあるから
もちろん側面によってはありますけどね😅

だから、ショップのおねえさんの
「これ売れてるんですよ~」

「みんな買っていかれますよ〜」

「これとっても人気なんです〜」
っていうセールストークに全くトキメかないし

「あ、みんなが着てるならいいです」って感じなので

↑もちろん言いませんよ😅

私には逆効果だったりします😂


そう!!

中には私みたいなのもいるから、
ビジネスは色んなところにニーズがあるっ爆笑


そういう子だったので
小さい頃からこの世をちょっと引いて見るようなところがありました🌏

中途半端に斜に構えていたイタい時期も😅


とはいえ、基本的には私も例に漏れず

今までどっぷりと
この世劇場で遊んできたひとりです
看板持ち

でももう飽きたにっこり


いつの頃からか
現実(と呼ぶもの)
ドラマのような出来事を見せてきても
嫌味っぽいことを言われたり責められても
「それってあなたの世界の感想ですよね?♡」
かなり反応しなくなりましたにっこり

感情に蓋をして感じないようにしてるわけじゃなく
ほんとナチュラルにそういう感覚になったのって
けっこう最近のことです。



20年近く親交のある真理兄ちゃんに
ずーーーっと前から

反応しない
一喜一憂しない
よそ見しない

外や人は関係ない
夢を見ない
他人の事ばっか喋らない
で、nekoはどうなの?どう感じるの?
etc..


いつも言われてきたこと。
「ふむふむ、そうだよね。」
とその時はわかったつもりでも
全然わかっていなかったんやなー

ということが今はわかる。

これって理解じゃなく感覚なんだよね。


人間劇場では苦しみさえも麻薬的で快楽の一種🌹
今まではそれも(魂が)楽しんでた時代だった。



※人間劇場のイメージ


だけど特に今は!

女性たちの目醒めがすごすぎて感動しています!✨

概念だけじゃなく、みんなちゃんと体現している!!


ひとりひとりが
ほんとうの自分自身を表現して♡豊かさを体現する
それが世界に良い影響を及ぼす早道だと思う。

私もはやく続きたい♡♡