私は彼女に会ったことがない。
彼女のブログのコメント欄や数回のメールでやりとりをしただけ。それでも私は、彼女が本当に好きだった。


彼女に会えなかったのは、彼女が余命宣告を受けた癌患者で、遠い地でホスピスのベッドの上にいたからだ。癌は脊髄へ転移し、彼女は指先の微かな動き以外、すべての自由を奪われていた。とても優しく上品で、聡明な人だった。家族がプレゼントしてくれたipadでブログを綴ること、それが彼女の生きがいとなった。

ベッドの上で孤独と対峙している人に、患者生活を楽しめることを伝えたい

彼女はある運動を始め、私はそれによって彼女と交流を持つことになった。だから、私が彼女に会えなかった理由は、同時に、私が彼女に逢えた理由でもある。
その運動は、呼びかけからわずか数カ月の間にグングン広がりを見せ、テレビやラジオ、新聞に取り上げられるに至った。


彼女は自分が苦しい時でも、常に他者に対して優しくあろうとした。自分が得た喜びを、同じ境遇にある人にも感じてほしい。残された貴重な時間を自分以外の人のために使おうとする彼女を、私はとても尊敬していた。

でも、好きになった一番の理由は、彼女が暗い部分を持っていたからだと思う。彼女のブログに、「自分は今まで悪い人間だった。私はなるべくして癌になったのだ」という趣旨の言葉があった。贖罪。彼女の優しさの裏にある「影」に、私は親近感を抱いた。


今日は彼女の四十九日。これからはいつでも、空を見上げれば彼女に会える。






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