仕事に忙殺され、ブログ更新が滞っていましたガーン

月の読書数も過去最低ペース・・・じっくり本を読める環境が欲しいですしょぼん



さて。

普段は自分のことで精いっぱいでなかなか行動に移せませんが、今年は戦後70年という節目の年。今日こそ安保法制問題と向き合ってみようと思い、憲法学者木村草太氏の講演を聴講してきました。

私は、「安保法制は違憲ゆえ反対」という立場です。もっとも、今日の講演で木村氏も言っていましたが、「違憲」であることと「反対」であることは別次元の話です。

例えば、極端な話、「戦争をできる国にしよう」という国民の気運が高まり、憲法96条1項が定める改正手続きによって同法9条を改正して戦争をした場合には、これは憲法が許容するところですから「合憲」です。

しかし、現政権がやろうとしていることは、憲法改正手続きを経ずに、上位規範である憲法(憲法の最高法規性 憲法98条1項)に明らかに反した法案を成立させてしまおうという、法治国家にあるまじき行為です。私は、この点こそがマズイと思っています。政府の独断で憲法が曲げられる。これは「独裁」です。

安部首相が繰り返し唱えているように、彼は国際情勢に鑑みて、真に国を守るために今回の安保法制を主張しているのでしょう。しかし、であるならば、正々堂々と改憲手続きを呼び掛けるべきです。一旦法律が成立してしまえば、現在の付随的違憲審査制(憲法81条 最大判昭23.7.8)のもとではそれを覆す法的手段はありません。国防体制の変革という国家の一大事について、主権者である国民の意思を反映する機会が奪われることになるのです。
(この点について今日の講演で質問したところ、木村氏は「法的手段はないので、選挙による政権交代もしくは次の国会での解釈論議といった政治的方法で解決していくべきだ」という旨の返答をされていました。)

ここからは、「違憲」ではなく「反対」というレベルの話です。

最近、「戦争に行きたくないというのは利己的だ」という発言をした議員がいましたが、こういうふうに個人の思想が弾圧される空気が広がっていることは危惧すべきことだと思います。「戦争は嫌だ」と堂々と言えなくなったら、この国は終わりです。

先の戦争がもたらした被害は、人の死や貧困だけではなかったと思います。個人が自由に自己実現を図れる風土。その基本的人権が恣意的な軍部によって踏みにじられたのです。愛国心は大切ですが、行き過ぎた国家主義によって個人の自由が弾圧されたことは、戦争の最大の被害だと感じます。

★「路傍の石」山本有三 についての記事を読んでみてください ⇒ こちら

今回の安保法制で即戦争にはならないという意見の人は、人間のおぞましさや軽薄さについて、想像力が足りないと思います。少しずつズルズルと戦争国家への道を歩んでいないか。私たちは、そのことを慎重すぎるほど慎重にチェックしていかなければいけません。

最大の国益とは、国土や経済力ではなく「国民」です。国の沽券のために10代の若者たちが大勢無駄死させられたあの戦争を、二度と繰り返してはいけないのです。

合憲派、違憲派、賛成派、反対派。
みんなで冷静に話合い、互いに耳を傾け合って、真摯な議論の末に現実的かつ平和的な着地点を得ることを願っています。