先日、落語家の『桂ざこば』さんが、亡くなられたニュースが出ましたが、
これが、原因が喘息ということで、アレルギーからと、心理的な面から喘息の
発作が出るワタシ、『あぁ・・・喘息で命を落とすことがある、っていうのは
ホントだったんだなぁ・・・・』と思ってしまって
発作が重いと、気道が閉塞して肺に空気が入らなくなり窒息状態になることが原因なんだけど
小児喘息ではなく、大人になってから、まずは強いストレスによって喘息の発作が
起きるようになり、次に来たのが、アレルギーで・・・ま、発作が出れば
それなりに苦しいですけど、かかりつけ医の「喘息は死ぬよ」の言葉も
話半分で聞いてたところがあって・・・。気をつけなければいけないのかなぁ・・・と
ちょっと思いました。
それと・・・・。ちょっと、Mrs. GREEN APPLEの新しいミュージックビデオ(MV)が
炎上してて💦・・・。『コロンブス』でね・・・。
しかもこれ、日本コカ・コーラ社とのコラボというか・・・本社アメリカなのでね~・・・
とってもまずかったのです💦・・・・
コロンブス、といえば、ワタシが学生時代に習ったのは、『大陸を発見した偉人』でしたが
今は違うのよ~。アメリカには、コロンブスの日、というのがあって
その時だったと思うけど・・・祝日なので、Aくんとちょっと話をしたのだけど
日本人でしかも、昭和に教育を受けてきたワタシの見解は、
「あら。コロンブス?大陸発見の偉人じゃないの」でしたが、Aくんは
「コロンブスなんて偉人でもなんでもないよ。迫害と征服で偉人ではない」って。
それで、ワタシは、自分が習った時代と全然違ってきてる、ということを知ることが出来ましたが
これは、たまたまです。たまたま、アメリカ人であるAくんと、友人であったから
知ることが出来ただけであって、そうでなければ、普段必要な情報でもないので
知らなかったと思うし、実際、Yahooニュースのコメントでも、『知らなかった』という人が
結構います。ま、日本でも、長年戦国時代の三大武将、『信長、家康、秀吉』の性格について
長年考えられていた人柄とはちょっと違う、なんてことも言われ始めてるし
歴史上の人物の名前が、ワタシが習った当時と今では違う、ってこともありますし、
往々にして歴史は変わっていくというかね~・・・。
だから、迂闊に知らないこと(昔のままの記憶しかないもの)については、
何も言わないほうが良いとは思いますが、Mrs. GREEN APPLEの楽曲については
歌詞は全く問題ありません。
こんな解釈をする人もいます。↓
Mrs. GREEN APPLEの大森さんの謝罪全文↓
「コロンブス」のミュージックビデオを制作するにあたり、
・年代別の歴史上の人物
・類人猿
・ホームパーティー
・楽しげなMV
という主なキーワードを、初期構想として提案しました。
類人猿が登場することに関しては、差別的な表現に見えてしまう恐れがあるという懸念を
当初から感じておりましたが、類人猿を人に見立てたなどの意図は全く無く、
ただただ年代の異なる生命がホームパーティーをするというイメージをしておりました。
しかしながら、意図とは異なる伝わり方もするかもしれないと思い、スタッフと確認し合い、
事前に特殊メイクのニュアンス、衣装、演じ方のフォロー、
監修をしていたつもりではおりましたが、そもそもの大きな題材として
不快な思いをされた方に深くお詫び申し上げます。
決して差別的な内容にしたい、悲惨な歴史を肯定するものにしたいという
意図はありませんでしたが、上記のキーワードが意図と異なる形で線で繋がった時に
何を連想させるのか、あらゆる可能性を指摘して別軸の案まで至らなかった我々の
配慮不足が何よりの原因です。
「コロンブスの卵」というキーワードから制作に取り掛かり、
前向きにワクワクできる映像にしたいという気持ちが、リスクへの配慮をあやふやにし、
影響を及ぼしてしまったと認識しております。
こちらの意図する物語の展開としては、歴史的時間軸は存在せず、
類人猿も人の祖先として描きたかった。そして時間の垣根を越えてホームパーティーをする。
これはあり得ない話であり、あくまでフィクションとしての映像作品であると。
ただ、ある事象を、歴史を彷彿とさせてしまうMVであったという
ご指摘を真摯に受け止め猛省しております。この度は本当に申し訳ございませんでした。
以後このようなことが無いよう、細心の注意を払い、表現することに対して誠実に、
精進してまいりたいと存じます。
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歌詞を読めばそこには差別的表現はありませんが、他国が重ねてきた歴史の問題点などは
正直言って、他国の人には分かりません。それは、アメリカの人が長崎・広島の
被爆者の気持ち、被爆国日本の気持ちが分からないのと同じことです。
触れないほうが良いこともあるということ。
ただ、一度、こういう事態を招いてしまったことで、学んだと思うので
同じような事態を引き起こさないように出来たら良いのではないかと思うんですよね~・・・。
ま、これも擁護だと言われそうですけども。