幸せになる法則。
成功へ導く習慣。
啓蒙系というか自己啓発系の本やブログは
星の数ほどあるけど
どれも絶対的な方法はないよね。
自己啓発系の情報に出てくるのは
「人による」「環境による」「タイミングや運による」
方法論の一つに過ぎない。
個人的には自己啓発系の情報は別に嫌いじゃないけど、
ああいうのってせいぜい「私はこれでうまく行きました」
「こう考えることで人生が望む方向に流れました」
っていう自叙伝レベル?
もちろん誰かのサクセスストーリーを見聞きして
それを参考にして自分も上手くならそれもいい。
でも誰しもに当てはまるものじゃない。
不変の真理ではない。
要するに確実に幸せになれる方法なんてのは
存在しないのよね。
でも、最近聞いたことで
1秒で確実に自分を不幸にする方法
ってのがあってね、
「これはきっと誰しもに当てはまりそう」
とものすご〜く納得した。
その方法とは
他人と比べること。
そんなことは誰だってわかってる!って内容だけどさ。
色んな場面で色んな言い方で言われていることだけど、
こうも簡潔に因果関係としてまとめられると
ちょっと認識が変わる気がしない?
1秒で確実に自分を不幸にする方法=他人と比べてみる
他人の目を気にするから苦しいって言うのも
根本は同じなのかな。
誰かと同じになろうとしたり、
抜きに出ようとしたり
あるいは目立たないようにブレーキをかけたり。
考えてみたら、そう言うのも他人と比べるのがスタート。
比べて卑屈になるのと同じくして
人と比べて精神的優位性を保とうとするのも
人ってもんだから、
余計なことを言う人も溢れてるし
この罠にハマらないでいるのは
現実的には結構難しいなと思う。
夢を追う人がそうでない人に
「人や組織に使われる人生でいいのか。
(あなたがやっていない)
夢を追う人生は充実度が違うぞ」
既婚者が未婚者に
「なんで結婚しないの。
(あなたが持っていない)
結婚生活はいいよ。」
子持ちが子ナシに
「なんで子供作らないの。
(あなたが持っていない)
子供はいいよ。」
仕事でキャリアを持つ人がそうでない人に
「なんで働かないの。
(あなたが持っていない)
キャリアは大切よ。」
持ち家派が賃貸派に
「なんで家を買わないの。
(あなたが持っていない)
持ち家は賃貸より賢い選択だよ。」
欲しいものも大切なものも人それぞれなんだから
勝手に満足してりゃ幸せなはずなのに、
自分の価値観を正当化しようとするために
主張して誰かに認めて同意してもらえないと
安心できないから言うのかな。
で、持ってない方は、
こう言われると(マウンティングされると?)その瞬間、
何かを持っている他人 と それを持っていない自分
の比較が始まって不幸、とまではいかなくても苦しくなる。
しっかり自分なりに考えて悩んだ末に出した答えや選択も、
急に間違っていたように思えてくる。
幸福度なんて自分だけの絶対的価値観のはずなのに
それを他人と比べることにそもそも無理があるから
苦しいのは当然。
でも一度このループにハマると
他人が持っているその何か
を自分も欲しいかなんて、もはや関係ない。
人がそれを持っているのに自分は持っていない
ということが、
自分には何かが欠けている
それが欠けている自分は劣っている
と思わせるから。
本当は欠けてなんてないのに
他人が持ってる人生のカケラを見せられると
自分の人生にもそのカケラが必要なんじゃないかって
不安になるのよね。
そのカケラがないと、
自分が必死になってやってるジグソーパズルが
埋まらないんじゃないかと不安になる、みたい感じ?
でもみんなそれぞれ違うパズルをやってるんだから
そのカケラはあの人のパズルには必要でも
自分のパズルには多分いらないのが真実。
頭ではわかっていても、
目の前にそのカケラを見せられると不安になる。
自分もそれを手に入れないと
後になってそのカケラがハマるはずだった
埋まらないパズルの穴が見つかって
後悔するんじゃないかと不安になる。
いらないカケラが増えるほど
自分のパズルが難解になっていくので
苦しくなるだけなんだけどね。
幸せになる絶対的な方法は存在しなくても
不幸になる絶対的な方法はある気がする。
幸せを求めて、いるのかどうかも分からない青い鳥を探して彷徨うよりも、
不幸にならないように毒林檎を食べないスキルを身につける方が、
心を満たすには良いのかも。
心が満たされることが
幸せってやつなんだとしたとしたら
幸せってのは「幸福」と言うまだ見ぬ何かがあるわけじゃなく、
「自分がツイてないとか、不幸だとか微塵も思わない」と言う
意外と単純なことなのかもね。