今日ランニングしながらふとある映画を思い出した。
「華麗なるギャッビー」という1974年の洋画だ。最近ディカプリオが主演してリメイクされたらしいが、思い出したが自分は70年代洋画フリークなので観ないと思う。74年版はロバートレッドフォードが主役で本当にカッコいい。それはさておき、この物語が若い時から好きで小説も確か高校の時に読んで感想文にした記憶があるし、大学の時に付き合っていた彼女にも何回か観させた事を思い出した。

物語は1920年代のニューヨーク。豪邸で毎晩乱痴気パーティーが催され隣に住んでいる若者ニックキャラウェイが招待された。ニックは毎晩乱痴気パーティーを催せる財力を持った豪邸の主人ギャッビーに興味を持つ。ギャッビーはマフィアじゃないかとかいろいろな噂が飛び交う。ギャッビーはSPを従えながらクールに装うが、実は若い時に金持ちの娘デイジーと恋に落ちるが、ギャッビーは兵に行き2人は別れた。その後、デイジーは金持ちであるトムと結婚する事になる。戦争が終わり金持ちになったギャッビーは毎晩乱痴気パーティーを行いデイジーが現れるのを待っていたのだ。

トムは不倫しており、デイジーとの関係は冷め切っており、ニックの計らいでデイジーと再会できたギャッビーはトムと口論になりデイジーを無理やり乗せ車に乗って駆け落ちする。確か記憶では事故を起こしデイジーが怪我をするのではなかったか?

その後、たまたまSPに休暇を与え1人で豪邸のプールでくつろぐギャッビーに何者かが銃を放ちギャッビーはプールの中に沈んで行く。
時が経ちニックがデイジーに再会するとトムと仲睦まじくしておりギャッビーの事は記憶から消し去ったようであった。

ギャッビーは哀れだろうか?しかし自分は常々ギャッビーみたいになりたいと思ってきたと思う。だから時々この映画を思い出すのだろう。これはアメリカの超資本主義の傾向があるのだと思う。医院を発展させたい思いはギャッビーからも来ているのかも知れない。