勧善懲悪 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

落語では町人同士の喧嘩で大家さんやご隠居さんの仲裁で治まらない場合、町奉行が登場する噺が多い

 

 

大岡裁きで有名な南町奉行の大岡忠相の逸話や時代は後になる遠山の金さんで有名な北町奉行の遠山金四郎景元の噺もある

 

「大岡越前」と「江戸を斬る」という「水戸黄門」に並ぶ昭和の勧善懲悪ドラマで最後に必ず正義が勝つという安心して観られるドラマのモデルとなった

町人ヒイキの金さんは天保の改革で大目付に昇進(実質左遷)したが水野忠邦ら失脚後、南町奉行に返り咲き幕末の江戸の町は活気に満ちたということになっている

 

 

正義だから勝ったのではなく、勝利したから正義になるというのが史実、戦後は勝って終わるまたはハッピーエンドのドラマが溢れていた


実際の人間は善と悪が共存しているのでわかりにくい、のは実在した事件でわかる、お互いの正義と正義がぶつかり合ってどちらかが負ければ悪となって歴史に刻まれる

 

江戸後期には悪役が芝居のヒーローにもなっている、昭和後半から平成の映画やドラマでも泥棒や悪党のヒールがヒーローになるシナリオが流行している、文化文政から幕末には白波物として一世風靡したという


落語や歌舞伎では定番のシナリオで江戸時代の元禄や文化文政期の演芸を戦後のテレビドラマで再現された、実際にはドラマのような史実はなく勧善懲悪物語の典型でもある


なぜ幕末と戦後のこの時期にこのような内容がブームとなったのか?は想像がつくが国内外の社会情勢がそういう啓蒙物語しか許されなかったからに他ならない

幕府批判や風紀を乱す芝居は禁止されていた、悪を懲らしめ善を勧める毒のない芝居ならお上も容認していた、かたや戦後もそのような社会情勢だった

 


悪(近代戦前の日本)を懲らしめ善(英米ソ中思想)を勧める毒(戦前回帰)のないドラマならお上(英米ソ中)も容認していた、国内からも批判は無かった


時代劇なら国内の老若男女からの批判はない、さらに戦国時代劇や幕末・明治維新ドラマや近代戦争映画などはことごとく意図して真実とかけ離れていた

 

あらゆる日本時代劇が、悪(近代戦前の日本)を懲らしめ善(英米ソ中思想)を勧める毒(戦前回帰)のないドラマならお上(英米ソ中)も容認していたので

 

 

真実とはかけ離れた内容でテレビ放映されていた、芝居やドラマや映画では善と悪の役割がはっきりしているから分かりやすい


そういう作家や演者さんしかテレビでは採用されなかったし、どうにでもなる歴史検証がなされてテレビ放映されていたという

嘘ではないが真実を伝えていないとか、ドキュメントやノンフィクションではないドラマだから真実ではなくてもよいとか、巧妙に日本史実を避けてきた歴史が長い

 

 

テレビの虚像(捏造)は近年クローズアップされている、間違いだらけの日本史などもブームとなっている


これら間違いの歴史にしたのは戦後七十数年の間に成されたと思っている人も多いが、日本史実の歪みは幕末から百五十年もの期間をかけて外圧で歪められてきたという

 

日本が外圧(英米露中)から独立できてはじめて日本史教科書が大きく書き変わると言われている、しかしながら現代は日本人自らによる国内反勢力が拡大し

 

 

明治維新や戦後の外圧が国内で実を結んだ形となって現れているように想われる、日本史近代史の内容はまだまだこれから変わっていくのだろう