奈良時代の人たちにとって、「古京」と言えば、飛鳥をさすのだろう
洗練された古都・京都に較べ、奈良時代の都・寧楽は、まだまだ自分の足で歩ける
そんな親近感を覚える...それは、京人として住むならば、
どちらに住みたいか、と訊かれて、答える根拠にもなる
しかし、その「寧楽」に較べても、遥かに古代感が深まるのが、明日香だ
私が、明日香に通い出して、やっと十年が経ったというのに、
気持ちでは、すでに幼い頃から住み着いていたかのような錯覚を持ってしまう
現在住んでいるところから、高速で走っても三十分ほどで、明日香の万葉文化館には着く
一般道を走り、竹内峠を越えても、それほど時間の差はない
そんな身近にある「明日香」へは、休日のたびに足を運んでいた
観光客のように、時間を惜しんで短時間で回り尽くすのではなく、
今日はここを回ろう、あそこは来週回ろう、などと贅沢な明日香散策を楽しんでいた
いつしか、万葉文化館の「図書室」に通い始め、蔵書の万葉集関連の書物に引き込まれ
当初から随分わがままに振舞っていたことを、今になって恥ずかしさとともに、
申し訳なさをかみ締めている...何しろ、高価な専門書など手も出ないので、
遠慮することもなく、コピーの申請が当たり前のようになっていたから...
多いときだと、一度に二百ページくらいのコピーをしてもらった
普通でも、数十ページはいつもお願いしたものだ
そんな私も、少しずつ古書を買い揃え、いつの間にか手元に置きたい書物は、
だいたい揃ってしまった
純粋に、万葉集の注釈書だけならともかく、その時代の「律令」や「正史」、
そして、少しでも万葉集に関連すると解れば、その類まで...
ただ、それで失ったものもある
当面必要な資料の類や書物を揃えてしまうと、「明日香詣で」の機会が減ったことだ
以前は、月に何度も通っていた明日香に、今ではせいぜい一度くらい...
あれほど、明日香の雰囲気に魅せられた、と嘯きながら、
結局は、なかなか目に触れることもない書物への、その誘いが大きかったことになる
今では、ほとんどコピーをすることもなく、
次に買い求める「書物」を、図書室で探すパターンなのだが、
必然的に、そこで過ごす時間は短くなってくるので、周辺を歩くことになる
「万葉文化館」前から見上げる「明日香の空」に、
いにしえの「とき」を感じるようになったのは、そんな経緯があった
今、万葉びとたちと「新年会」という「夢物語」に興じているが、
その彼らも、飛鳥に住んでいた者は、数少なくなっている
彼らの都「寧楽」は、古京「飛鳥」を、歴史の中に見、人麻呂の歌に見るのだろう
「遣新羅使歌群」には、柿本人麻呂作の「古歌」などが多く載っている
何故人麻呂なのか...飛鳥と言う古京への郷愁、と言うよりも
人麻呂の時代への郷愁のように思えてならない
「新年会」での交流...それは万葉びととの、ささやかな遊び心に過ぎないが、
今の私が感じ得た「万葉観」を、語ってもらっている
数年後、同じような機会を持ったとき、彼らは同じことを語るだろうか...
時間を越えて、彼らは語ってくれる
しかし、存命中のことでしか確証は持てないにしても、
現世から離れた視点もまた、私の想像に対して、合わせてくれるので、
私は自由に想いを巡らせることができる
いつか、このときを振り返って...あのときは、こう言ったのに、と不満を言うと、
それは、あなたの「想い」を大切に思ったからですよ、と言われそうだ
そう...夢は、自分の思い込みから始まり、やがて弾ける
それでも、何度でも「夢」は見たいものだ
明日香の空は、いつも綺麗だ
そして、いにしえへの深い入り口を、すっぽりと開けてくれる
高松塚の梅、文化館での久し振りに聴けた「万文コンサート」、
けやきの「冬枯れ」の美しさも、今日は際立っていた
[高松塚]



[万葉文化館]


