neige0809のブログ

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残雪、もとめて

何かに耳を傾ける、今回の場合は、音楽に聴き入るということ

 

初めから構えて音楽を聴くときと、BGMのように何気なく聞き流すことが、

ほぼ毎日のように、そう一日の日課のようになっている

 

ただし、構えて聴くことの方は、あまり最近ではなく、

若い頃のような「没頭したい」という気概も薄れている

ところが、最近になってあらためて気づかされている...「聴き入っている」ことを

 

定年で職を離れてから数年になるが、私の毎日の楽しみは、

ライフワークにしている「万葉集」に関わる資料整理や、以前感じていたあらたな「気づき」

その都度、資料をひっくり返しては、また一つの言葉にのめり込んでしまいがちだが、

それが何の苦痛に感じることなく、日々行えるのは、

パソコンでBGMとして流している「クラシック音楽」のおかげといえる

 

ほとんどの場合では、若い頃と違い、音楽は単にBGMに過ぎなく、身を構えることなどない

そんな習慣の中で、たまに「その音楽」に聴き入ってしまうことがある

それが、最近やたらと多くなってきた

 

私がクラシック音楽に夢中になったのは、中学生のころ

その時、ストラビンスキーの「春の祭典」や、ニールセンの第四交響曲など、

まったく聴き入ることができなかった

もう半世紀も前に聴き始めた、そんな言わば「古典・ロマン派」時代とは、

どうしても馴染むことはなかった

 

少年の未熟な感性で、ベートーベンだとか、ブラームス、

あるいは、チャイコフスキーやシベリウス...その直接心に響かせるメローディ

勇壮なシンフォニーやコンチェルトに耳を傾け、一端の音楽愛好家を自負していた

バロックから、たとえ近代に至る楽曲であっても、

聴き入ることなく、ただただ「心地よい音楽」として受け入れられた

 

楽曲の趣向そのものは、オーケストラ曲から、次第に室内楽曲へと趣向は変わっていくが、

それでも、容易に私の感性が受け付ける範囲を超えることはなかった

 

ところが、ストラビンスキー「春の祭典」を20年ほど前に聴いたとき、

なぜ、この曲を若い頃に毛嫌いしていたのか、随分と驚いたものだ

以降、避けていたあの感情は何だったのか、と

今耳にする「春の祭典」は、私自身でも、もう「古典の楽曲」になっていた

確かに、若い頃の感性と、老いてからの感性とは違うだろうが、

 

今では、そうした若い頃にあまり積極的に聴くこともなかった曲の数々、

時代に感謝するしかないが、「youtube」のおかげといえる

 

そんな私自身の「音楽」と言うものが、またあらたな一面を目覚めさせた

それは、コンサートに行かない限り、もう構えて聞き入ることはないだろう、と

そんな自分をまるで叱るような、一撃を喰らった感じの出来事

 

もとより、一枚のレコードを買うより、子供心にそれを貯めて、高価なコンサート

そのスタイルは変わらないものの、鑑賞環境に大きな変化もある

以前は、アンプやスピーカーの音質にこだわり、より良い鑑賞を望んでいたのだが、

次第に、音質ではむしろ古色蒼然と言えるような、味わい深い音色に惹かれ、

そのおかげで、パソコンで流す音楽の音質にこだわることもなく、聴くことができる

 

純粋に、「音楽」を聴き楽しむこと、それが今の私のスタイルだったのに、

まさに、その中から「喰らった」一撃だった

 

このところ、「聴き入る」ことが多くなったと感じるのは、

演奏家で聴くことができる、曲の数々でのこと

 

ベートーベンの序曲「エグモント」

このあり触れて、何も敢えて聴こうとはしない楽曲が、アバド指揮の演奏に触れたとき、

まさに「聴き入って」しまった

他にも、チャイコフスキー第五の第四楽章を、ムラビンスキーの指揮で聴いたとき、

あるいは、もっとも感銘を受けたのは、クナッパーツブッシュ指揮でブラームス第三

 

何も新しい曲に触れたわけでもなく、普段からよく耳にしている曲ばかり

それも、トスカニーニやフルベン、カラヤン、バーンスタインくなど

あまりにも有名な指揮者で名演奏と言われる楽曲を頻繁に聴いていたのに、

前述の楽曲に心底聴き入ってしまった

それほど、大げさに言えば、魂を揺さぶられるほどの衝撃だった

何しろ、まさに、心に一撃を喰らったかのように...

 

クナッパーツブッシュは、フルベンやトスカニーニと時代を共にする指揮者だが、

どうしても、戦前戦中、そしてわずかに戦後の活動期ゆえに、音楽資料は少ない

それでも、「youtube」では、かなりの曲を聴くことができる

 

先日、ブラームスの交響曲第三番を、約10曲立て続けに聴いてしまった

一曲が35分を超える曲だが、それを一人の指揮者で、年代順、戦前から戦後

それを、自分でも驚くことだが、聴き入ってしまった

他の指揮者でも何度も何度も聞く曲でも、クナの演奏にどっぷり惹かれてしまった

近代の指揮者に多い、シャープな演奏ではなく、不器用な音の響かせ方

きっと高価な音響設備で聴けば、あまりにももったいないと感じさせるさま

 

もう音響設備など問答無用と言わんばかりに、勇壮に鳴り響く演奏

 

音楽を「聴き入る」ことが、これほど熱くなるものか、と

この年になって、思い知ることができた

 

まだまだこれまでの生活スタイルは続くが、あらたな心の「気づき」に、

また何度も出合えそうな気がする