作品共よ… | 晴侍と雨女…時々猫

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飛鳥の雑談、裏話ブログです♪よろしくお願いします(^^♪

趣味をいろいろ載せていますが、小説とイラスト以外は作ると結構その場に形として残るものばかり。
でも、我が家にはあまり作品はございません。

理由は様々ですが、たとえおいておく場所があってもきっと手元には残さないでしょうね~
私が好きなのはゼロの状態から作り始め、最後の最後まで完成させること。
完成させたものに興味が無い……というわけではないけど、ゼロからっていうのが好き。
プラモデルも好きだったけど、結局途中までは自分でやってないわけで。
なんとなく消化不良な感じだったんですよね~プラモデルって。
あ、でも、ゼロからって言っても、原材料からってわけじゃないですよ(笑)材料からってことでwww
漆芸家だった祖父の影響なのか、物心ついたときにはゼロからの始まりがすごく好きでした。

ただ、完成したものを手元に置いておきたくはない人。
自分で最高の出来だビックリマークと思ったものほど置いておきたくない顔
現状に満足して次をやらないような気がするし……、一度出来上がっているものがずっとそばにあって、何だか似たようなのばかりになるのも嫌。
例えば、有名な小説を読んで、いつも何処か頭の隅にそれがあって、いつの間にか真似してたみたいになるのが嫌なんです。
知らずに同じような設定になってたってこともありますが、そういう時もなんだか嫌になって途中でやめてしまいます。
だからと言って有名陶芸家の様に出来上がった満足のいかない作品を割り捨てるってのはちょっとできません汗
どんなにダメダメでも頑張ったという愛着があるんで。
手元に置いておきたくないけど捨てるのもできない……。
そんな私が今現在作品を持っていないのはオークションがあったおかげ音譜
作品が出来上がった次の瞬間にはオークションに出品されております(笑)
もちろん、全部が1~10円の良心的スタート(笑)
細部まで写真を撮って、こんな作品でも良いっすよ!って言ってくれる人にお買い上げいただけるオークション、便利です。

小説はこれで完成!!もう直すところもない!なんてもの出来上がったためしがないので手元に置いておいても支障はない。←おぃっ!
完成はしてても、読み直せばやっぱり何処か気に入らないところは出てくるし、手直ししたくなりますからね~
その時のありったけをこめてても、時間が経てば違うものが見えてきたりして、本当の完成ってのは小説にはないような気がしますあせる
デジタルのイラストも満足いってるわけではないのでありますが、紙媒体に描いたイラストは手元に残ってません。
満足はしてないですけど、紙だから修正できないし、なにより手元に置いておきたくないんで汗

祖父は自分の作品を売って、それで生計を立ててましたからもちろん作品が手元にあることなどなく。
叔母が買ったりしてましたけど、それも一部。
まだバシバシ働いてて、精巧精密な祖父作品はあまり見たことがありません。
写真で昔の雑誌に載っているのを見たり、とっても大きな企業が運営している美術館にあるって話を聞いたりはしたんですが実物は見てないんですよね~
祖父は生活があったからっていうのもあるけど、もしかすると手元に置いておかなかったのは同じ感じだったんじゃないかなぁ~
満足がいく、これこそが自分の!なんて品が一生に一度はできればええほうや、出来ん方がええかもしれん。
いつも努力、日々の精進が大切。
同じことをやってるように思えるだろ? 同じことなんてなぁ無いんやで。
祖父の膝で聞いたことがある言葉です。
遠方だったので接する機会が少なく、その頃は「祖父ちゃんどした?」って思ってましたが、今の私の思ってることと祖父の思いは違いが無いと思いたい。
だってさ、結構な職人さんだった祖父ちゃんと同じ思想が持てたって、なんだかちょっと嬉しいやないですか音譜
おじいちゃん子だったから余計に。

会心の出来!!
そんな経験が出来る日が来るのかなぁあはは・・・
あ、でも、出来上がった瞬間は「すげぇよ自分!」って自分褒めまくりだからその瞬間はいつでも会心の出来だったりして(笑)
祖父ちゃんに近づく所か「ホンマ、あほやなぁ」って笑われそうだぁ~www