其の三十一
石田三成
近江に生まれ、十五歳の頃、三杯の茶により、見出された。

戦場では、指揮をすることは、少なかった。九州征伐などのスムーズな兵糧運搬をしたことや、太閤検地を豊臣秀吉に教えたのもあり、高い評価をもらっている。

秀吉が北条氏を攻めたとき、石田三成は、忍城を攻略せよと言われたが、攻略することは、できなかった。

秀吉が亡くなると、武断派の加藤清正らに襲撃され、引退させられたが、豊臣家への思いはなくならず、兵をあげた。

三成は、兼続と協力した。

関ヶ原の戦いの開始である。

三成の作戦は、すべて失敗して、西軍は、敗北した。
三成は、伊吹山中で捕らえられ、京都の六条河原で斬首される。