僕はそこそこ大人になるまでこの薬が何の薬なのかわからなかった。



「デリケートゾーン」という言葉などこの世に存在しないからだ。



オブラートに包みすぎてあまりに漠然とした響きになってしまい本来の意味が著しく損なわれているように思う。



下品にならないよう細心の注意を払いすぎた結果、逆にこの上なく下品な印象を受けるのは僕だけだろうか。



開発者の方々はきっと夜を徹してこの単語を導き出したのであろう。



しかしどの案も家族団らんの時間に流せるようなものはひとつも無かった。



いよいよ時計は夜中の3時を回り会議室はタバコの煙で真っ白になる。



却下に次ぐ却下の堂々巡りでホワイトボードが黒くなるほど社員たちの頭の中は真っ白になる。



そして結局クレームを恐れるあまり最も差しさわりの無いものを選ぶべきだと言う消極的意見に皆が賛同し「デリケートゾーン」が採用された。



残念ながらそれは間違いだった。



あまりにも不明瞭な表現に「これ何の薬なの?」と無邪気な我が子が質問をする悲劇は今日もどこか起きているに違いない。

 

僕はバイクに興味がない。車もまた然りである。



維持費がかかりすぎるので貧乏人の僕にはまるっきり縁が無いと言った方が正確だろう。



ただ僕の貧乏は後天的なもので、何も昔からずっと貧乏だったわけではない。



ひとり暮らしを始める前まではそれほどお金に困ることもなかったし、高校時代から数えてバイクも3台買い換えた。



その時も特にバイクに興味がある訳ではなかったが、バイトに乗って行ったら楽だし、たまには彼女を乗せて遠くに出かけるのも楽しいかもしれないと思ったからだ。



同年代の友達の間では改造して自分好みのカスタムを楽しむのが主流だったが興味のない僕には単なる移動手段でしかなかった。



それから数年後、交通法が改正されて原付より排気量の高いバイクは全て車と同じ条件で取り締まりを受けることとなった。



黄緑色の制服を着た取締官が朝から事務的に路上駐車の車体に黄色いステッカーを貼っていく。罰金9000円也。



当時僕は実家からかなり離れた市内でバイトをしていたので毎日通勤に使っていたので短期間に6回も取り締まりを受けてしまった。



ステッカーに記された電話番号に電話をして「じゃあどこに置けば取り締まられないんですか?これからそこに置きますので教えて下さい。」と言った。



すると散々たらい回しにされた結果「いやぁ確かに置く場所はないのが現状ですけどねぇ~とにかくそこには置かないで下さい。」と返ってきた。



滅多なことには怒らない菩薩のような僕もさすがに血が逆流するのを感じた。



「絶対払わへんからなボケェ!!」と怒鳴って通話を終了したのだが、ただ法を執行するだけの彼らに怒鳴っても無意味なことはわかっていた。



車にも原付にも属さない中型のバイクは常に少数派であり、自転車のように道の脇に停めることも許されず、車のようにコインパーキングを利用することもできない。



正解のない穴ぼこだらけの法律に憤慨しつつ僕はバイクを手放すしかなかった。



それから約2年近く罰金の請求書が実家に送られ続け、それでも無視を決め込んでいた僕はとうとう口座を差し押さえられたのだった。



すでにひとり暮らしを始めていたので毎月虫の息で給料日を迎えていた僕はその日残高を見て愕然とした。その時は親に泣きつくしかなかった。



今でこそ高い授業料だったと振り返ることが出来るが、あの時感じた憤りをもう一度味わいたくないという気持ちから僕の免許証はただの身分証明書になり、もちろんゴールドである。



僕は甘やかされて育った。時には息苦しいほどに。

よって嫌いなものは無理に食べさせられなかったし、嫌いなメニューの日は僕用に別の料理をあらかじめ用意してくれる程であった。

当然大人になるまで食べず嫌いのものも多く、最近三年以内に初めて食べたものはイクラ、ウニ、サザエ、アスパラガス、ブロッコリー、らっきょう・・・まだまだある。

偏食はまだ治っていないし恐らく一生治ることはないが、せめて食べず嫌いを無くそうという試みはごく最近の大きな変化である。とても良い傾向だ。

しかしここで論じるべきは、好き嫌いとは別のフィールドで「ごはんに合わないおかず」について、である。

当てはまるものが多すぎるので、ここでは麻婆豆腐に焦点を定めてみよう。

誤解のないよう断っておくが僕は麻婆豆腐自体は大好きである。前述した通りあくまで「ごはんに合わない」例として挙げることをご理解頂きたい。

冷奴など当たり前すぎて論外だが、味が濃いはずの麻婆豆腐がごはんに合わないとはこれいかに。

僕の分析では、豆腐というものはいくら表面に味付けをしたところで一歩中に踏み込むとそこはもう白銀の世界なのである。

強いポリシーを持った豆腐という一匹狼は表面をどんな色に染められようとも決して中に異物を混入させないレンガのように硬い意思の持ち主だったのだ。

結果、麻婆豆腐という代物は単にタレがごはんに合うだけで皆錯覚しているが、実際は「豆腐に中華風のタレがかかったもの」でしかない。

麻婆丼改め「豆腐に中華風のタレがかかった丼」を食べている際に豆腐と米の「白銀の世界」がバッティングする瞬間がある。

故に麻婆丼というものは人々の願望が生み出した幻想に過ぎず、豆腐と米は永遠に合間見えることのない遠い国でそびえ立つふたつの白い巨塔なのである。