冒頭に1つことわざをご紹介します。
一水四見
認識の主体が変われば認識の対象も変化することの例え。
- 人間にとっての河(=水)は
- 天人にとっては歩くことができる水晶の床
- 魚にとっては己の住みか
- 餓鬼にとっては炎の燃え上がる膿の流れ
というように、見る者によって全く違ったものとして現れる
物事の善悪の判断も同じようなものかな
ハラスメントも(怒られるかな😅)
テレビのとある芸能人のニュースとそのコメントを見て悲しくなったのでシェアさせて頂きます。
それぞれ状況は千差万別だと思いますので、全ての方に該当するとは限りませんが、あくまでも私の思いを語らせて頂きます。
モラハラされたと主張する妻
(悪影響あるからと子供に会わせない)
そんなことないと主張する夫
お互いの主張は平行線
どちらも自分の正義を正しさを主張しています。
悲しかったのは、このニュースの一般のコメントを読むと、モラハラ夫に対する非難のコメントをが多いこと!
何で悲しかったのかな?
私が過去モラハラ夫側だったからかな😅
勿論、モラハラする側(そう感じさせてしまう)の責任は多大にあると認識しています。
ただ、無意識的に悪気なく、育った環境や仕事や人間関係等でストレスたまり、追い込まれて内面の未熟さ、コミュニケーション能力の未熟さ故にそんな不健全な対応になってしまっている場合も多いのではないでしょうか。
コメントでは、無意識だから尚更悪いと糾弾します。
ならば対策はないのか?
諦めるしかないのか?
他に方法はないのか?
その人を選んだのはあなたではないのか?
いろんな思いが湧いてきます。
この件についてある女性コーチの方と対談しました。
この方はモラハラされた(と感じた)側です。
私も勇気を振り絞って上記の疑問を話してみました。
すると成熟されたコメントが返ってきました。
問題は二人の間にある。
される側にも何らかの責任はあると。
そうさせているのは、そう言わせてるのは自分にも原因があったのだと。
何で分かってくれないの、何でそんなに怒鳴るのと、こちらも育った環境等から相手に原因を求めすぎている面があると。
世の多くの人々が、そんなふうに一方的な正しさを主張するでなく、相互に歩み寄れるようになったらいいな、自分を見つめ直して改善するところは改善して成長していく。
そのためにもコーチング、カウンセリングを広めたいなと感じた瞬間でした。
お互いに一生懸命生きているだけ。
それが不器用になってしまっている。
いじめなども同じで、少なからずされる側にも原因があるという事を認識して、学ぶところは学んで成長していくことで、また同じような問題に対峙した時に対応が変わってくると思います。
あと
カウンセラーが進める離婚
という言葉があります。
共感し過ぎてしまい、相手を悪者にし過ぎてしまい、自分が正しい相手が悪いという構図を強化してしまうことになるのです。
カウンセラーはそれくらい責任重大と覚悟が必要。
そして、理想的には、相手を必要以上に責めず、クライアントの感情にフォーカスして、悲しみ、不安、虚しさ、寂しさ、無力感等に共感するようにすること。