蓋を開けると木箱の中には黒い干物のような何かが入っていた。三十センチもないくらいの長さの細長い干物。
二人の姉と母が何だろう、と目をこらしたその時、老年の域に達する父が素早い動きで私の手から蓋を奪うと箱を閉じた。そのまま木箱ごと持ち上げ、立つ。
「これは明日、処分する。」
父はそう告げて自室へと箱を持ち去った。
その短い時間で私はあの干物が何であるか判っていた。父の反応は、私の予想を肯定するようなものだった。
「……あれってもしかして、手……」
一番上の姉が難しい顔をして呟いた。
干物の先端は細かく五つに分岐していた。明らかに何かの指だった。更に言えば、干からびて縮んでいるとは言えそのサイズと形状を考えると、あれが手であるならば………
「猿の手だよ。よく噂にあるような、願いが叶うとかの、猿の手。」
私は決めつけるように言った。
北海道には野生の猿は住んでいないので(地元では異論があるものの、現生物学ではそう結論づけられている。)、猿に関する民間伝承はない(猿かも知れない生物の怪異譚はある)。しかし一種の怪談として持ち主の三つの願いを叶える類の話は流布していたし、姉も聞いた事くらいあったろう。
とにかく、その手が実際に猿のものだろうと犬のものだろうと気持ちのいい話ではない。木箱の話は家族の間ではそれきりになった。以後、今に至るも誰一人話さない。


翌日、昼近くに起きると父はもういなかった。木箱の処分にどこかへ出かけたと言う。
寺であろうか、神社であろうか。はたまたどこかの山中にひっそりと埋めたのであろうか。
あの、ヒトの手のミイラを。



夕食後、私は旧家屋の祖父のたんすから件の木箱を見つけ出し、新しい家の居間へと運んだ。夜間ではあったが電気はまだ通っていたし、特別な苦労はなかった。
木箱は私が子供時分に見たままの姿で居間のテーブル上に置かれた。たんすの中にあったので、目立った汚れもない。蓋には白い和紙が貼られたまま黄ばんでいる。
「………開けてもいいものなの、コレ………」
家族が見守る中、私は呟いた。
古い物品はそのままの姿で残した方がいい場合がある。ましてや封がされた品である。謂れも知らぬ、生死不明の身内の持ち物。ただし、持ち主の年齢を考えると、まず間違いなくそれは遺品なのだ。例え戦争を生き抜いたとしても平成の世にまだ生きているような年齢ではあるまい。
「中身も確かめずに捨てる訳にもいかないだろう。」
そう言って父は木箱を手にした。軽く振った後、封がされた蓋以外に開く箇所がないか確認している。振られる度に箱の中では軽い乾燥した音がした。何かは入っているようだが、重い物ではなかろう。
父は木箱をテーブルに戻した。開くには紙を破るしかないようだ。
実は最初からそのつもりだった私は、カッターナイフを用意していた。
「切るしかないよね?いいよね?」
一応父を見やる。父は無言で頷いた。他に誰も止めなかったので、私はカッターナイフで和紙を切った。古い和紙は厚みもあり、ちょっと切りにくかった。



つづく

昭和が終わって数年経ち、まず祖父が亡くなるとその数年後に祖母も追った。
祖父は私が高三の時、祖母は大学時代に鬼籍に入った。
当時大学生だった私は一通りの葬儀には出席したが、実家から遠い都市部で暮らしていたため、その後の形見分けだの遺品整理には立ち会っていない。しかしどうやら件の木箱はそのまま残されたようだ。開封すらされなかった。

木箱が再び私の家族の前に姿を現したのは、実家の建て替えの時だった。
実家は、道路に面した木造の食品工場とそれに付随した旧家屋、そして裏の母家から成っていた。
この小さな工場は祖父母が営んでいたもので、二人の死後は母が継いで細々と経営していた(私は社長令息だったのか!)。

私が大学を出た年の夏だったろうか。母は遂に工場を閉めて、そこを一度更地にした。その上で新しい家を建てたのだ。
それまで暮らした母家の築年数は私の年齢と同じ。つまり私の生まれた年に建てた家で、私はそこで中学卒業までを過ごした。
生まれた家を壊すことになって、私も帰省を決めた。高校入学以降離れて生活していたとは言え、生まれ育った家である。惜別の気持ちはあった。

私が建て替えで帰省した時(その前に一度、地鎮祭で一泊帰省した)、新しい家屋は既に完成していて、大部分の家具は運び込まれた後だった。古い母家に残されている物品はそのまま廃棄される予定の物と、祖父母の遺品類だった。祖父のたんすも残されていた。
そう言えばあの木箱、どうしたの?と私が訊き、初めて父母も二人の姉達もその存在を思い出した。夕食時、新築のリビングテーブルでのことだった。
どうやら遺品分けの時すら忘れられており、今に至るまでそのままだったようだ。



つづく