朝2時起床。日本から持参したカップ雑煮と現地で調達したおにぎりで朝食。3時にホテルをでて、アラモアナへウォーキング。アラモアナショッピングセンターではツアー会社のJALパックが専用のブースを開設しており、各種サービスを提供するも、トイレ以外はあまり必要がない。
スタート30分前にVAAMを飲み、いざスタートへ。目標タイム順に区切りがあるが、2~3時間の前に相当の人数。そんなに世界記録をだせるランナーがいるんですね~、とおもいつつ2時間の一番前に。もちろん、招待選手はその前。4時55分にまず車椅子のランナーが出発、ついで我らがスタート。今回のスターターは地元の青年会議所のお偉いさんのようだった。有名人でなくて残念。
号砲と同時に花火がうち上がり、きわめてゴージャスなスタート。さすがにすぐには走ることができないが、かなり前にいたこともあり、意外にスムースに走り始めた。とはいえ、最初はゆっくりしか進めない(予定通りだが)。今回のマラソンは1マイルを7分30秒を基準としているが、最初の1マイルは8分50秒ペースだった。
徐々にスピードがあがり、カラカウア大通りのホテル街にでたところでは1マイル7分30秒の当初のペースに。ここでTBSのカメラカーに先導されているランナーを追い抜かす。
案の定、理恵ちゃんだった。並走したら、テレビに出られるのに~と思いつつも。体がきわめて軽いので、どんどん飛ばすことにした。
カピオラニ公園を抜けて、最初のダイヤモンドヘッドを抜けると、スピードはなんと1マイル6分50秒台に。さすがにやや意識的にペースを落として、ハイウェイへ。
漆黒の闇の中をしばらく走っていると、ポリスの先導車が見えてきて、ほどなくすれ違う。そして車椅子の先頭集団が駆け抜ける。しばらくすると先頭ランナーがみえてきた。ほれぼれするようなストライドで飛ばしている。やや遅れて日本人の一般参加ランナーとすれちがう。さすが2時間10分のランナーだ~とみとれているうちに、早川恵理など日本人女性ランナーともすれ違う。
ほどなく中間地点に。ここまで1時間37分。予定よりかなり早く、貯金ができたと安堵する。これなら後半にペースが落ちても、そこそこのタイムだろう、と思った(このときは)。
足に異常を感じ始めたのは、ハイウェイをおりて、住宅街をまわるころから。やや痙攣の前兆の「ヒクヒク」する感じが出始めた。さらにペースを落とし、7分45秒くらいで帰りのハイウェイにサブ4を目指している一群とここで出会う。手を振ってくれるのは心強いが、こちらはそれに返すほど余裕がなくなっている。30kmはなんとか2時間20分で通過するが、ラスト10kmから本格的に足がつり始め、走れなくなる。やむなくハイウェイの脇にそれ、シューズを脱いで、ストレッチ。一時的に回復しても、走り始めるとすぐにまた足がつる。かなり「リタイア」という言葉が頭をよぎったが、スポーツクラブの「今年も全員完走することができました」というフレーズを自分のために使えなくなることがプレッシャーとなり、ランとストレッチを繰り返しながら、のろのろ進む。ハイウェイを降りて、ストレッチをしていたら、理恵ちゃんにも抜き返されてしまったが、そんなことには全く構っていられなかった。
ラスト2マイルの地点で待機していたスポクラのスタッフにテーピングしてもらい、なんとか復活した。テーピングしたいただいのは、左足だけであったが不思議と右足もつらなくなった。もしかしたら、水分バランスが崩れており、あしがつってから大量にアミノバリューを摂取したことが奏効したのかもしれない。
ともあれ、最後は1kmを4分30秒のペースで飛ばすことができ(最後になるとkm表示もあるんですね)、安堵のゴール。いちおう、ゴールはカメラ目線でガッツポーズする余裕があった。ゴールは感動する、と聞かされていたけど、感動よりも安堵と挫折感しか感じなかった。記録は3時間41分43秒。予定より20分以上もかかってしまった。
フルマラソンは一生に一度、30代の記念に、とホノマラに参加したが、納得できるレースではないので、このままでは終われない。来年のホノルルになるか、それよりも3月の荒川になるか分からないが、絶対に納得のいくレースを走ってからマラソンは終わりにしたい、と密かに心に誓った。
レース後はナイキのブースで記念写真。AVAのブースでクイックマッサージ。さすがにまだ空いていたので、5分のところを15分くらいマッサージしてくれた。レース後は、いつもあまり食欲がないのだが、今回は空腹を感じ、サービスのカレーをぺろり。一休みの後、ゴールにもどり、これからゴールを迎える友人の応援に。なかなか同じチームのランナーが多くないので、とにかくランナー全員に声をかける。とくに英語の応援が少ないので、積極的に Way to go、Almost thereなどと英語で声援を掛ける。少しは雰囲気作りに貢献できただろうか。10時をすぎると暑さも厳しくなるので、この時間帯にゴールするランナーは距離と暑さのふたつを克服する必要があり、大変のようだ。
午後になり、ホテルにもどり、プールサイドで完走者によるプレ完走者パーティー。ビールが美味しい。やや冷たいプールで体を冷やして、インターネットカフェで日本に完走の報告。
夜は完走者パーティーがモアナサーフで開かれた。いつもはジャージやランニング姿のスポクラ女性スタッフも、今日はドレスアップで見違えるようだ。昨日までのピリピリした雰囲気が、一変し、完走者によるリラックスした宴となった。
スタート30分前にVAAMを飲み、いざスタートへ。目標タイム順に区切りがあるが、2~3時間の前に相当の人数。そんなに世界記録をだせるランナーがいるんですね~、とおもいつつ2時間の一番前に。もちろん、招待選手はその前。4時55分にまず車椅子のランナーが出発、ついで我らがスタート。今回のスターターは地元の青年会議所のお偉いさんのようだった。有名人でなくて残念。
号砲と同時に花火がうち上がり、きわめてゴージャスなスタート。さすがにすぐには走ることができないが、かなり前にいたこともあり、意外にスムースに走り始めた。とはいえ、最初はゆっくりしか進めない(予定通りだが)。今回のマラソンは1マイルを7分30秒を基準としているが、最初の1マイルは8分50秒ペースだった。
徐々にスピードがあがり、カラカウア大通りのホテル街にでたところでは1マイル7分30秒の当初のペースに。ここでTBSのカメラカーに先導されているランナーを追い抜かす。
案の定、理恵ちゃんだった。並走したら、テレビに出られるのに~と思いつつも。体がきわめて軽いので、どんどん飛ばすことにした。
カピオラニ公園を抜けて、最初のダイヤモンドヘッドを抜けると、スピードはなんと1マイル6分50秒台に。さすがにやや意識的にペースを落として、ハイウェイへ。
漆黒の闇の中をしばらく走っていると、ポリスの先導車が見えてきて、ほどなくすれ違う。そして車椅子の先頭集団が駆け抜ける。しばらくすると先頭ランナーがみえてきた。ほれぼれするようなストライドで飛ばしている。やや遅れて日本人の一般参加ランナーとすれちがう。さすが2時間10分のランナーだ~とみとれているうちに、早川恵理など日本人女性ランナーともすれ違う。
ほどなく中間地点に。ここまで1時間37分。予定よりかなり早く、貯金ができたと安堵する。これなら後半にペースが落ちても、そこそこのタイムだろう、と思った(このときは)。
足に異常を感じ始めたのは、ハイウェイをおりて、住宅街をまわるころから。やや痙攣の前兆の「ヒクヒク」する感じが出始めた。さらにペースを落とし、7分45秒くらいで帰りのハイウェイにサブ4を目指している一群とここで出会う。手を振ってくれるのは心強いが、こちらはそれに返すほど余裕がなくなっている。30kmはなんとか2時間20分で通過するが、ラスト10kmから本格的に足がつり始め、走れなくなる。やむなくハイウェイの脇にそれ、シューズを脱いで、ストレッチ。一時的に回復しても、走り始めるとすぐにまた足がつる。かなり「リタイア」という言葉が頭をよぎったが、スポーツクラブの「今年も全員完走することができました」というフレーズを自分のために使えなくなることがプレッシャーとなり、ランとストレッチを繰り返しながら、のろのろ進む。ハイウェイを降りて、ストレッチをしていたら、理恵ちゃんにも抜き返されてしまったが、そんなことには全く構っていられなかった。
ラスト2マイルの地点で待機していたスポクラのスタッフにテーピングしてもらい、なんとか復活した。テーピングしたいただいのは、左足だけであったが不思議と右足もつらなくなった。もしかしたら、水分バランスが崩れており、あしがつってから大量にアミノバリューを摂取したことが奏効したのかもしれない。
ともあれ、最後は1kmを4分30秒のペースで飛ばすことができ(最後になるとkm表示もあるんですね)、安堵のゴール。いちおう、ゴールはカメラ目線でガッツポーズする余裕があった。ゴールは感動する、と聞かされていたけど、感動よりも安堵と挫折感しか感じなかった。記録は3時間41分43秒。予定より20分以上もかかってしまった。
フルマラソンは一生に一度、30代の記念に、とホノマラに参加したが、納得できるレースではないので、このままでは終われない。来年のホノルルになるか、それよりも3月の荒川になるか分からないが、絶対に納得のいくレースを走ってからマラソンは終わりにしたい、と密かに心に誓った。
レース後はナイキのブースで記念写真。AVAのブースでクイックマッサージ。さすがにまだ空いていたので、5分のところを15分くらいマッサージしてくれた。レース後は、いつもあまり食欲がないのだが、今回は空腹を感じ、サービスのカレーをぺろり。一休みの後、ゴールにもどり、これからゴールを迎える友人の応援に。なかなか同じチームのランナーが多くないので、とにかくランナー全員に声をかける。とくに英語の応援が少ないので、積極的に Way to go、Almost thereなどと英語で声援を掛ける。少しは雰囲気作りに貢献できただろうか。10時をすぎると暑さも厳しくなるので、この時間帯にゴールするランナーは距離と暑さのふたつを克服する必要があり、大変のようだ。
午後になり、ホテルにもどり、プールサイドで完走者によるプレ完走者パーティー。ビールが美味しい。やや冷たいプールで体を冷やして、インターネットカフェで日本に完走の報告。
夜は完走者パーティーがモアナサーフで開かれた。いつもはジャージやランニング姿のスポクラ女性スタッフも、今日はドレスアップで見違えるようだ。昨日までのピリピリした雰囲気が、一変し、完走者によるリラックスした宴となった。