オトナの事情は良くわからないんだけど、

NHKの「プロフェッショナル」というドキュメント番組で使われている音楽と、

ちょっと前に放映していたフジテレビ系列のドラマ、「トライアングル」(江口洋介主演)
http://ktv.jp/triangle/index.html

のドラマの音楽が同じなんだよね。

きっと権利の件とかそういう複雑なことは当然クリアしているんだろうけど...

何か「プロフェッショナル」ではない気がします!

ビックリ!
何もしていないのに、むしろ迷惑しかかけていないのに...

国がお金をくれた!!

こんなことがあるんだな、と頂いたお金(定額給付金)を持って早速消費!!

これを買いました!!

ニートェのブログ-image.jpg

デジタルハリネズミ!!

れっきとしたデジカメです!!

すっごくチープ!!

でもかわいいから許します!!
歌詞もメロディーも凡庸だ。特に際立って優れているとは思わない。
それに、その凡庸さを補うだけのルックス(良い悪いと言うことだけでなく、印象的かどうか)もない。
二人ともどの街にもいそうなほど普通のお兄さんとお姉さんだ。

今日はそんなユニット「高鈴」の歌「愛している」を紹介したい。
(ユニット名も、覚えづらく凡庸)

ここまでくると、その凡庸さを「親しみやすさ」として売り出すしかないのではないかと思ってしまうのだが、
お薦めする「愛している」という曲はなぜか、胸に響く。

ライブ映像を観ていたのだが、ボーカルの見た目普通の女性がかなり一生懸命歌っている。
その姿を見ていると、
決して、背伸びをせずに、
自分の身の丈を具現化したものを、
力一杯表現することへの尊さを感じさせる。


表現の障害の一つとして、自分の虚栄心というのがあると思う。

僕はこんなことも出来るんですよ!どうか見てください!
私はあんなことも出来ちゃうんです!どうぞ味わってください!!

ということをついやりがちになってしまう。
130km/hの直球でも三振を取れるのについ160km/hの球に憧れを抱いてしまう野球少年のように、
表現者もつい、人からの評価を得たいために「背伸び」をしてしまう。
こういった「爪先立ちの」の表現は足下がおぼつかないから、作品を味わってくれる方に浮ついた印象を与えかねない。
それを知っていても、ついやってしまう。
それを一般的には「若さ」と表現したりする。

でも、「高鈴」の「愛している」はそんな浮ついたものが一切感じられない。
自分に出来ることを精一杯やっているのが凄く伝わってくる。
だから、凡庸だ...と思って聞いていても次第に引き込まれていく。
いつの時代も「一生懸命」には魔法が隠されているものだ。
それをこの曲を聞いていて感じる。

歌詞の世界やメロディーが広げてくれる世界は非常に小さい。
でもその小さな世界の中でもキラキラしたものは必ずある。
そこに焦点を当てて歌い切る。
子供の世界は非常に小さい。けれども無駄に世界が広いオトナよりも彼らの方がキラキラしている。
実は表現ってそういうことなんじゃないか、と感じさせてくれる曲。

聞き終わった後に、心の拳をグッと握りしめるこになると思います。

http://www.youtube.com/watch?v=GXAQq5ty5CA