私はいまニートをしている。大学生時代お金を使わない趣味として散歩を好んでいた。しかし、大学を卒業し実家暮らしをしているのだか、どこまで歩いてもスーパーやコンビニもなく、代わりにすぐにムカデやらが出るため、いくら散歩マスターの私でもつらすぎる。私は町や人の活気を見るのが好きなタイプだった。カフェに入らなくても、カフェを通り過ぎるだけで満足できた。コンビニすら見るだけでホッとする。地方の大学だったが、近所にはカフェもコンビニもスーパーもあり、大満足だった。

しかし、私は実家暮らしをなめていたようだ。ここまで田舎だとは思わなかった。『田舎について2000字以内で悪口を語れ』という問題がでたなら、私はまず例によって田舎の定義をはじめ、それを私の今住んでいる地域とし、ボロクソ書くことで『S』をもらう自信があった。

そして、私は人に会わないのがとても嫌だった。虚栄心だけを生きがいにしている人間なのだ。誰かに会って、2〜3時間時間をともにするようなのは贅沢な時間の過ごし方で、すごく幸せなことだと思っている。が、誰かと話さなくても知らない人とすれ違ったりするのがとても好きなのだ。その点、私の住む地域は死んでいる。奥田民生の『何もないな。誰もいないな』の歌詞が永遠にループする。

部屋にこもると『死』について考えることが多い。中途半端にパスカルの『パンセ』を読んだこともあってか、部屋でじっとしているのが嫌いだ。そのため、なけなしの1万7千円を出して、汽車の定期券を購入した。最近は毎日大きめの図書館に通う日々でとても幸せだ。かと言って、その図書館というのは、『日本で田舎と言えば?』と聞かれたときによく思いつく県にあるのだから、超超超田舎から超田舎への移動をしているということだ。しかし、その超田舎には、通り過ぎることができるスーパー、薬局、コンビニ、カフェなど、私にとっては時間をつぶすには充分すぎる環境が整っている。

なぜ、およそ1時間もかけて、汽車に乗って超超超田舎から超田舎への移動をしているのか。それも面倒だと思う人が多いだろう。しかし、その超田舎には私の母校があって、その生活リズムにはなじみがあるのだ。つまり、その汽車には私の後輩も乗っているということである。『高校時代って二度と戻らないんだよな、、』と戻って何かしたい(ほんとは全力で勉強したい)わけではないが、後輩やそのほかの高校生を見てると胸が締め付けられる。

今日は帰りの汽車である高校生をみた。手には100%オレンジジュース950mlのパックを持っており、それにそのままストローがささっていた。23歳の私でも考えられない量を飲んでるなと思った。そういえば、カズレーザーさんが『今のうちに揚げ物食べておいたほうがいい。年をとると食べたいのにすぐ胸焼けするから。』と言っているのを思い出した。私はオレンジジュースに対する拒否反応を『老い』なのだと確信した。そのうち、胸焼けもするようになるだろう。

汽車の中で私の隣の席には中途半端にスペースが空いていた。発車時刻が近くなったとき、となるかわいい感じの子が座るか迷うような素振りをした。もちろん、何か話すわけではないが、今の私には女の子がまあまあ近くに座ってくれることなんて、こんなにうれしいことはない。しかし、私の席の空け方が甘かったし、席を空けるような動作をするのもなんか恥ずかしい。今日はその子は座らなかった。何かあった時のために、座席はいい感じに空けておこう。と思った。