ニートユナイテッド
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ライブドアの話

 さてlivedoorでもニートらしく分析してみましょうか。よく言われるのが「虚業」とかまぁ言う事はでかいけど中身が伴ってないとかM&Aで株価上げるだけで中身が伴ってないとか、要は中身が伴ってないとか言われてますね。
 で、少しは関わりがあった身としては(訴えないでね)それもわからんでもない。なんせ(一部を除き)ユーザーへの対応がかなりひどい。というよりユーザーの数に対してスタッフが少なすぎるのが悪いのか?とにかく毎日目も当てられない内容が社内MLを飛び交ってたりします。(まぁどこでもあるか)
 それでも蛇の道は蛇じゃありませんが、それなりにナイスな物を嗅ぎつけてくるセンスはそれなりにあるわけです。これだけは評価しなくてはなりません。
 TurboLinuxや今回取り上げるIP電話ソフトのSkypeなんかに手を出したのもそうなのですが、そもそも、livedoorって社名だって買ってきたようなもんです。ネット使用歴がそれなりに長い人なら覚えてらっしゃるでしょうが、Zero internetと双璧だった無料系プロバイダを買収してEDGEから社名変更したのが今のlivedoorなわけですね。まぁワイドショーに出るのには負けますけど、知名度はそれなりにあったわけで(名前を売りたいという)目的には沿ったナイスな買物であったんじゃないかと思います。

Skype meで「声」のコミュニケーション確立へlivedoor Blog (itmedia)
おまけ:Skype me プラグインを追加しました!(livedoor blog 開発日誌)
で、今回とりあげてみようというのはこれ。株価がどうこうでライブドアが野球ネタ以来再びワイドショーに登場してちょっとやりすぎじゃないのとか思われ始めた頃のリリースです。
 で、確かにこのプラグインっていうのは実装されていて、blog読者と書き手のコミュニケーション手段に「声」が加わったわけではあります。しかしこれには裏があって、実はskypeをインストールしてある人に通用するcall toタグを送信先をパラメータとして挿入するだけの代物です。call toタグにそのものについては既に公開されている物に過ぎません。
 両方がskypeをインストールしてログインしていれば本当に電話と同じような声のコミュニケーションを取る事ができるのですが、書き手が skypeを起動していなければ意味が無いし、例えば「このボタンで私と話せます♪」なんて書いてあって読者が押してみても、skypeをインストールしていなければ何も起こらず「???」と困るだけです。更には、いきなり電話が来ても困るからまずはチャットで・・・なんて人も多いでしょう。これで「声」のコミュニケーションを謳うのは時期尚早でしょう。(まぁ、「声」云々はitmediaが付け加えただけかもしれませんが)

 でもいいじゃん、そこまで言うのはニートくらいだよ、仕方ないじゃん、とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、実は先に挙げたような問題はlivedoorが労力を厭わなければ解決可能な事が多いのです。
 Jyveというサイトがあります。skypeのユーザーが登録していくコミュニティサイトなのですが、ここではログイン状態の有無の表示やチャットでの送信ボタンも表示しています。まぁ結構力技でこなしているようなので登録がめんどくさいんですが、そういった事が可能は可能なわけです。そして、livedoorはskypeの提携会社でありますので少なくともこのレベルの事は実行できる筈でしょう。
 ちょろっと二行にも満たないタグを挿入するだけでプラグインと言っちゃわないで、きっちりやって新しい可能性を提示すればいいのになぁとニートは思うわけです。
 何故なら、skypeはlivedoorが提携した当時既に有名になりかけていましたが、今では音声通信関連では最も熱いトピックとなっているからです。噂ではユーロでskypeを搭載した携帯電話が出ると言われていて、これがもし実現すれば(少なくとも都市部では)IP電話が起す最初の革命になるとも知れません。折角そういったものを嗅ぎ付けたのですから(まぁその所為でlivedoor SIPフォンはアレになっちゃいましたが)自前で付加価値をつければ問題無くユーザーはハッピー、株価もあがって株主ハッピー、ほりえもんのお腹もハッピー、というわけには・・・いかないですかねぇ・・・

(駄目だ本当にニートの戯言じゃないか。ニート軍団の次の投稿に期待)

ピカソ展でおもったこと

ゴッホは、牧師になる為に勉学を積んでいた時期がある。
しかし教義についての正統的立場に意義をとなえ、
教会当局と紛争を起こして、牧師任命を受ける事ができなくなった。
その他の素行も原因となって、伝道の任も解かれてしまった、という。

ゴッホと宗教との関わりは以上の様に、
個人的な場面においても密接なものだった。
それは読書していたものにも反映されていた事が、
今回のピカソ展で注目されていたように思う。
ゴッホの蔵書も公開されていたのだった。


しかし、何故イポリット・テーヌ、そしてエルンスト・ルナンが
読まれていたのかは良く分からない。
テーヌやルナンを無批判に受容する人々というのは限られている。
テーヌやルナンは、1860年代において
有害な自由思想家と批判されていたのだ。
ルナンに至っては、「イエスは比類なき『人間』!」と言い、
カトリックの宗教者達から凄まじい批判を受けたのだったが。
どうも、それらの人々と、ゴッホとの結びつきが、
自分には理解できないままだ。

それとも、ゴッホの宗教から芸術へと至るまでの葛藤は
もっと心奥で激しい焔となって燃え上がっているがゆえに…
当時の宗教-反宗教(科学主義)といった思潮に追従する形で、
ゴッホの思想的成熟が発展を遂げていったのだろうか?

ゴッホ展は、自然と宗教との間の葛藤というキーワードによって
ゴッホの芸術的進展を読み解く方向を採用したように思われる。
しかし、その両極の間を揺れ動くゴッホ像を描くための、
宗教的文脈からの掘り下げが足りなかったのではなかったか。と、思う。


しかし、ゴッホってニートのなれの果てですよね。
弟に援助してもらってばっかりで。。ニートの鏡だ。