夏休みの間も、私はKが約束してくれたとおり、
「2学期になったら学校へ行く」という言葉を信じていました。
信じたかったという方が正しいかもしれません。
ダメかも・・・という気持ちはありましたが、
それでも一縷の望みを持っていました。
子どもに対する期待が大きいと、
期待通りじゃ無かった時のこちらのショック度とか
落ち込み具合も大きくなります。
”うちの子はそこまで酷い状態じゃない。”
私はずっとそう思っていました。
思いたかったんです。
でも、2学期が始まってもKは学校へ行けませんでした。
やっぱりね・・・という思いと、
どうしてなの?!という思いの狭間で、理性は吹き飛び、
「2学期になったら学校へ行くっていったじゃない!!」
とKを叩きながら泣きました。
Kもあまりに私が取り乱すので
すっかり心を閉ざしてしまいました。
段々返事もしなくなり、目の焦点も合わなくなり、
顔色も悪くなり”ただそこに居るだけ”のような状態になりました。
そんな時でした。
灰谷 孝さんにお会いしたのは。
灰谷さんは全国をキャンピングカーで回りながら、
ブレインジムを広める活動をされていました。
近くまで来られるということで、
個人セッションを受けさせて頂くことができることになり、
渋るKを説得してなんとか会場まで連れて行きました。
この頃のKは常にベッドの上にいる状態でしたから、
本当に会場へ行けるかどうかも分からない感じでした。
Kは最初うつむき、目を合わせようとしませんでした。
けれど灰谷さんの声かけに少しずつ顔を上げ、
一緒に絵を描いたり簡単な運動をしたりしました。
その後、灰谷さんとKが二人で話をするということで
私は別室へ退席しました。
1時間くらいしたでしょうか?
来るときは顔色は土色で目も虚ろだったKが
頬を高揚させ顔を上げてしっかりした目つきで座っていました。
「お母さん、K君は高校へ行きたいそうです。
彼の意思で頑張りたいと言っています。」
と灰谷さんから伝えられました。
そして、Kは学校は嫌いでは無いが困ったこと2つあると
灰谷さんに話したそうです。
・朝起きられないこと。
・宿題が出来ないこと。
でも、「できるようになりたい」とも言ったそうです。
Kの口からそんな思いを聞くことは無かったので、
私はそんな風に思っていたことも知りませんでした。
そして、そのセッションで一番良く分かったのは、
私が必死になればなるほど
事態を悪くしてきたのだということです。
灰谷さんのパートナーのゆきさんが
「自分を責めないで生きたいように生きれば良いですよ。
K君もきっとやりたいことを見つけますから!」
そういって私の心を癒やしてくださいました。
灰谷さんとゆきさん。
お二人に会って、私は沢山の気づきを得ることが出来ました。
(今でもブログで沢山の気づきを下さっています)
間違ったやり方をすれば逆効果。
Kが不登校になった原因を取り除かないで
学校に行けというのは無理な話だったと気がつきました。
私は、考え方を切替えることにしました。
学校に行けないのなら
適応指導教室に行こう。
学校に戻ることにこだわらないようにしよう。
そして、悲観的になるのは止めよう。
それで良いことは何一つなかったのだからと・・・
そしてそれまでの仕事をセーブして
Kが行ける時に適応指導教室に送って行く事にしました。
適応指導教室では、Kは真面目に勉強しているようでした。
「ゆっくりだけどワークをひとつずつ丁寧に真面目に頑張りましたよ!」
迎えに行くと担当して下さっている女性の先生が
笑顔でそう私に伝えてくれました。
適応指導教室では、どの先生もKをほめてくれました。
今日は小学生と遊んだんですよ。優しいですね!とか
○○を手伝ってくれたんですよ。とか
とにかくKをほめてくれました。
Kも適応指導教室では、昼休憩に小中混じって追いかけっこをしたり、
卓球をしたりして勉強以外の時間も楽しく過ごし、
前のような明るい笑顔が見られるようになりました。
適応指導教室に行くようになって、
他の保護者の方と話をするようになり
今まで知らなかったことを沢山教えてもらいました。
発達障害の相談が出来る「クローバー」の存在も、
普通学級に通いながら自閉症などの子に合わせた
教育をしてくださる「通級」の存在も、
保護者の方から教わりました。
なぜ、このような情報が得られなかったんだろう?
それは残念でなりませんが、
後で聞くとKを最初に連れて行った小児科は
保護者の間ではあまり評判が良くないことも知りました。
まず相談→検査(WISC-Ⅲ)→指導・支援・療育→
その上で必要があれば投薬というのが本来の順序なのだそうです。
本人の状態を検査で把握し、適切な指導を行う為の方法を
検査結果と共に学校に伝えて連携してもらうこと。
また生活環境を整えたり、情報の伝え方を工夫するなど、
家族も協力して改善に努める必要があるそうです。
KもクローバーでWISC-Ⅲの検査をしてもらいました。
結果は
・口頭での指示が通りにくい
・処理速度が遅い
・漠然とした事柄についてまとめて話すのが苦手
・短期記憶が弱い
・時系列での予測が困難
など苦手項目がハッキリと現れました。
人と同じくらい出来ることと、
全く出来ないことの差が極端なグラフでした。
私はその検査に立会い、すごく驚いたことがありました。
「ウサギって何ですか?」
という検査官の方の問いに、Kが長ーーい沈黙の後に
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・分かりません」
と答えたことです。
勿論、Kはウサギを知っています。けれどウサギについて
真剣に真面目に考えた結果、何をもってウサギと言えば良いのか
自分の中での模範解答にたどり着かなかったのです。
その時ふと担任の先生から言われた言葉を思い出しました。
「なんで出来るのにやらないんだ?」と言っても
何の返事も返ってこないんですよね・・・
時間がかかる。要領が悪い。けど本人としては真面目に取り組んでいる。
出来ることは出来るけど、苦手なことは全くもってダメ。
今はすっかり自分に自信を無くし気力も無くしている。
あ~そうだな、Kってこんな子だな・・・と、検査を通して感じる事が出来ました。
Kへの理解が少しずつ深まっていきました。
それと同時に叱り方も変わってきました。
Kのようなタイプは、自分で失敗するつもりは無く、
こちらがいくら先回りして失敗しないように声かけしても
失敗するまでなかなか納得しません。
また、時系列で物事の予定を立てるのが難しいので、
しなければいけない事がある時は、
その前に間をあけて注意を促す必要があります。
前日、当日の朝、2~3時間前、1時間前、直前、約束の時間になって。
そんな風に声を掛けると行動に移せたりするのです。
これって、本来は小さい間にやっておくべき療育です。
それをすっとばしてしまったんですね・・・きっと。
その後も適応指導教室へ通い、そこで勉強させてもらいました。
Kの出席日数と成績でも受験出来る高校を選んで
オープンスクールも一緒に見に行きました。
ずっと未定だった志望校もやっと決まり、
そうしてKの二学期は終わりました。
3学期が始まるとすぐに受験日でした。
「2学期になったら学校へ行く」という言葉を信じていました。
信じたかったという方が正しいかもしれません。
ダメかも・・・という気持ちはありましたが、
それでも一縷の望みを持っていました。
子どもに対する期待が大きいと、
期待通りじゃ無かった時のこちらのショック度とか
落ち込み具合も大きくなります。
”うちの子はそこまで酷い状態じゃない。”
私はずっとそう思っていました。
思いたかったんです。
でも、2学期が始まってもKは学校へ行けませんでした。
やっぱりね・・・という思いと、
どうしてなの?!という思いの狭間で、理性は吹き飛び、
「2学期になったら学校へ行くっていったじゃない!!」
とKを叩きながら泣きました。
Kもあまりに私が取り乱すので
すっかり心を閉ざしてしまいました。
段々返事もしなくなり、目の焦点も合わなくなり、
顔色も悪くなり”ただそこに居るだけ”のような状態になりました。
そんな時でした。
灰谷 孝さんにお会いしたのは。
灰谷さんは全国をキャンピングカーで回りながら、
ブレインジムを広める活動をされていました。
近くまで来られるということで、
個人セッションを受けさせて頂くことができることになり、
渋るKを説得してなんとか会場まで連れて行きました。
この頃のKは常にベッドの上にいる状態でしたから、
本当に会場へ行けるかどうかも分からない感じでした。
Kは最初うつむき、目を合わせようとしませんでした。
けれど灰谷さんの声かけに少しずつ顔を上げ、
一緒に絵を描いたり簡単な運動をしたりしました。
その後、灰谷さんとKが二人で話をするということで
私は別室へ退席しました。
1時間くらいしたでしょうか?
来るときは顔色は土色で目も虚ろだったKが
頬を高揚させ顔を上げてしっかりした目つきで座っていました。
「お母さん、K君は高校へ行きたいそうです。
彼の意思で頑張りたいと言っています。」
と灰谷さんから伝えられました。
そして、Kは学校は嫌いでは無いが困ったこと2つあると
灰谷さんに話したそうです。
・朝起きられないこと。
・宿題が出来ないこと。
でも、「できるようになりたい」とも言ったそうです。
Kの口からそんな思いを聞くことは無かったので、
私はそんな風に思っていたことも知りませんでした。
そして、そのセッションで一番良く分かったのは、
私が必死になればなるほど
事態を悪くしてきたのだということです。
灰谷さんのパートナーのゆきさんが
「自分を責めないで生きたいように生きれば良いですよ。
K君もきっとやりたいことを見つけますから!」
そういって私の心を癒やしてくださいました。
灰谷さんとゆきさん。
お二人に会って、私は沢山の気づきを得ることが出来ました。
(今でもブログで沢山の気づきを下さっています)
間違ったやり方をすれば逆効果。
Kが不登校になった原因を取り除かないで
学校に行けというのは無理な話だったと気がつきました。
私は、考え方を切替えることにしました。
学校に行けないのなら
適応指導教室に行こう。
学校に戻ることにこだわらないようにしよう。
そして、悲観的になるのは止めよう。
それで良いことは何一つなかったのだからと・・・
そしてそれまでの仕事をセーブして
Kが行ける時に適応指導教室に送って行く事にしました。
適応指導教室では、Kは真面目に勉強しているようでした。
「ゆっくりだけどワークをひとつずつ丁寧に真面目に頑張りましたよ!」
迎えに行くと担当して下さっている女性の先生が
笑顔でそう私に伝えてくれました。
適応指導教室では、どの先生もKをほめてくれました。
今日は小学生と遊んだんですよ。優しいですね!とか
○○を手伝ってくれたんですよ。とか
とにかくKをほめてくれました。
Kも適応指導教室では、昼休憩に小中混じって追いかけっこをしたり、
卓球をしたりして勉強以外の時間も楽しく過ごし、
前のような明るい笑顔が見られるようになりました。
適応指導教室に行くようになって、
他の保護者の方と話をするようになり
今まで知らなかったことを沢山教えてもらいました。
発達障害の相談が出来る「クローバー」の存在も、
普通学級に通いながら自閉症などの子に合わせた
教育をしてくださる「通級」の存在も、
保護者の方から教わりました。
なぜ、このような情報が得られなかったんだろう?
それは残念でなりませんが、
後で聞くとKを最初に連れて行った小児科は
保護者の間ではあまり評判が良くないことも知りました。
まず相談→検査(WISC-Ⅲ)→指導・支援・療育→
その上で必要があれば投薬というのが本来の順序なのだそうです。
本人の状態を検査で把握し、適切な指導を行う為の方法を
検査結果と共に学校に伝えて連携してもらうこと。
また生活環境を整えたり、情報の伝え方を工夫するなど、
家族も協力して改善に努める必要があるそうです。
KもクローバーでWISC-Ⅲの検査をしてもらいました。
結果は
・口頭での指示が通りにくい
・処理速度が遅い
・漠然とした事柄についてまとめて話すのが苦手
・短期記憶が弱い
・時系列での予測が困難
など苦手項目がハッキリと現れました。
人と同じくらい出来ることと、
全く出来ないことの差が極端なグラフでした。
私はその検査に立会い、すごく驚いたことがありました。
「ウサギって何ですか?」
という検査官の方の問いに、Kが長ーーい沈黙の後に
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・分かりません」
と答えたことです。
勿論、Kはウサギを知っています。けれどウサギについて
真剣に真面目に考えた結果、何をもってウサギと言えば良いのか
自分の中での模範解答にたどり着かなかったのです。
その時ふと担任の先生から言われた言葉を思い出しました。
「なんで出来るのにやらないんだ?」と言っても
何の返事も返ってこないんですよね・・・
時間がかかる。要領が悪い。けど本人としては真面目に取り組んでいる。
出来ることは出来るけど、苦手なことは全くもってダメ。
今はすっかり自分に自信を無くし気力も無くしている。
あ~そうだな、Kってこんな子だな・・・と、検査を通して感じる事が出来ました。
Kへの理解が少しずつ深まっていきました。
それと同時に叱り方も変わってきました。
Kのようなタイプは、自分で失敗するつもりは無く、
こちらがいくら先回りして失敗しないように声かけしても
失敗するまでなかなか納得しません。
また、時系列で物事の予定を立てるのが難しいので、
しなければいけない事がある時は、
その前に間をあけて注意を促す必要があります。
前日、当日の朝、2~3時間前、1時間前、直前、約束の時間になって。
そんな風に声を掛けると行動に移せたりするのです。
これって、本来は小さい間にやっておくべき療育です。
それをすっとばしてしまったんですね・・・きっと。
その後も適応指導教室へ通い、そこで勉強させてもらいました。
Kの出席日数と成績でも受験出来る高校を選んで
オープンスクールも一緒に見に行きました。
ずっと未定だった志望校もやっと決まり、
そうしてKの二学期は終わりました。
3学期が始まるとすぐに受験日でした。