10章 心の物理学はどこにあるのか?(後半)
5 「心(物理的世界)とプラトン的世界の関連」いかに可能か
意識の発展、すなわち脳神経の成長と収縮も何らかの問題の解であり、ありうる神経状態の複素線形重ね合わせの選択肢の中からどれかを選び出すことと結びついている。そして、それがどのように選び出されるのかは、波動関数の収縮であるRの構造を知る必要がある。
また、意識の指標が非アルゴリズム的であることだとするペンローズからすれば、このような脳神経の配列の解を導く過程は非アルゴリズム的でなければならないはずだ。ペンローズは、一般的なタイル並べがアルゴリズム的解を欠いている(第4章)ことを指摘し、脳神経の配列の選択過程は非アルゴリズム的であり得るとする。
なお非常に鋭い指摘と思われるのは、次の点だ。強いAIの立場、すなわち意識は十分に複雑なアルゴリズムが実行されるときに必然的に現れるものと考える立場では、アルゴリズムを実行する物体は電流だろうが水流だろうが関係ない。
すると、「特定のどの物理的実体化とも無関係にアルゴリズムが『存在』するためには、数学に対するプラトン的な見方が不可欠なように思われる。」(485頁)
強いAIの立場は、意識などというものは、脳内だろうが電子回路内だろうが、アルゴリズムが実行される際に偶々発生する現象にすぎないと主張するもの。こう書くと非常に即物的な印象を受けるが、少し注意して考えると、強いAIの立場は、物理的存在に全く依存しない何らかの存在を主張することであり、かえって、プラトン的存在を主張することになるのではないか。これがペンローズの指摘だ。なお、同様の指摘は既に第1章でもなされている(25頁)。
6 意識と時間
脳科学の啓蒙書でも紹介されることが多い、脳に関する2つの有名な実験について述べられる。
ひとつは、1976年にH.H.コルンフーバー(Kornhuber)らが行った実験。任意のタイミングで指を曲げる人の脳波を測定したことろ、意識が指を曲げる1秒から1秒半も前に、脳内では運動のための活動が既に始まっていることがわかったというもの。
もうひとつは、1979年にベンジャミン・リベットらが行った実験。皮膚に刺激を与えられた人が意識的にその刺激に気づくまでにほぼ半秒もかかること等がわかったというもの。にもかかわらず、被験者の主観的な印象では、刺激に気づくのに何の遅れも起きていないのだ。
この2つの実験結果を併せて考えると、外部の出来事に人が反応して意識に基づいてする際に1秒半から2秒もかかってしまう。しかし、現実には人は外部の出来事にもっと機敏に反応しているように見える。ここから、その1秒半から2秒の間、人は完全な自動機械として振舞っているのであり、意識は後からそれを観ているだけなのだ、との解釈もできる。
これはもちろん、ペンローズにとっては容認できない解釈である。
ペンローズは、ここでもびっくりするような考えを提唱する。
「現代物理学における時間の取り扱われ方は、空間の取り扱われ方と本質的に異ならず、物理的記述の中の『時間』は実際には少しも『流れ』ていない。あるのは実は、静的に見える固定した『時空』であり、われわれの宇宙の事象はその中に繰り拡げられているのである。(中略)われわれが知覚しているように『見える』時間的秩序は、われわれが知覚内容を外部の物理的実在の一様な前向きの時間進行に関連づけて理解するために、われわれがそれらに押しつけたものなのである、と私は主張する。」(501頁)
つまりペンローズは、時間の流れというものがそもそも意識の働きによって生じるものだとし、「物理的現象に対する意識の遅れ→意識は自動機械」という図式に揺さぶりをかけようとする。
そして、意識の現象が「正しい」量子重力論(CQG)に「依存しているのだとすると、意識自体が目下われわれがもっている慣習的な時空記述にさっぱり適合しないのは当然だろう。」(504頁)と述べる。ペンローズは、CQGが備えているはずの性質は「従来の時空記述からかけ離れたものとなる」と予想しているからだ。
しかしペンローズは、CQGが、実際には「どのように」従来の時空記述からかけ離れているのか、また、その場合にコルンフーバーとリベットの実験をどう解釈すべきなのかについては何も述べていないため、これはひとつの示唆にとどまっているというべきだろう。
以上で、意識と計算可能性及び時間についての考察が終わった。
7 終わりに
本章の最後には、「結論:子供の見方」という短いコーダ(終結部)ともいうべき文章が置かれている。ペンローズの科学と哲学に対する姿勢が簡潔に書かれていて、感銘を受ける。中でも私が好きなのは、次の一文だ。
「意識はあまりにも重要な現象であるので、それが複雑な計算によって「偶然」でっち上げられたものであるとは、私には思えない。意識はそれによって宇宙の存在そのものが知られるようになる現象である。意識の存在を許さない法則に支配された宇宙は、全然、宇宙ではない、と論じることもできる。これまでに得られた、宇宙の数学的記述はすべて、この基準を満たしていない、とさえ私は言いたい。推定上の「理論的」宇宙から現実の宇宙を呼び出すことができるのは、意識という現象だけである。」(506頁)ペンローズと共に、テューリングマシンから宇宙の終わりまでを巡った長い旅も、ここでようやく終点にたどり着いた。