以前、ホームセンターで「ブロッコリーの芽」を買ってきたことがある。貝割れ大根そっくりの写真が載った袋には、胡麻のような茶色の小さな種子がたくさん 入っていた。トレイに乗せて水を含ませたティッシュの上に種を置いておくと、発芽する。毎日わずかな水をやるだけでぐんぐん育つ。トレイの上の家庭菜園。
芽が出たばかりの頃は、かわいらしい。でも、それは成長するにつれ、生き物であることを主張するようになる。台所脇から入る光の方向へ、頼りなげな白い茎 と小さな葉を、懸命に差し向ける。その足元では、細く短い根がティッシュから離れるまいと、しがみついている。僕は、夕食のサラダにするに十分な大きさと なったそれを、摘み取らなければならなかったのだけれど、ひょろ長い体に生命力をみなぎらせているその根元にハサミを入れる時、ある恐ろしさと気味悪さを 感じたほどだった。こうした出来事があると、僕が毎日食べているものは「生き物」なのだったと、ようやくに思い出す。つい何日か、何時間か前まで生きて、 活動していた生き物を飲み下さなければ生きていかれないとは、恐ろしい仕組みだと思う。空腹になれば食べたくなるし、食べ、食べられることが自然なのだと は思うけれど、「捕食される」とは、一体どんなものなのだろうと考えると、やはり恐ろしい。
僕の頭部が備えている、唾液にまみれた歯肉に石灰質の杭を植え込み、他の生き物の組織を裂き、すりつぶすためのこの口という器官が、醜悪なもののように思えてくる。